June/'06

’06/6月

2006年06月18日

嵐の様に忙しい体力勝負の6月が始まった。ダヴィンチ・コードを早々と見ておいてよかった。
6月11日は奈良審査が入っている。平城京に関心があったので(ホムペ・エッセイ)奈良にまた行けるのを密かに楽しみにしていた。
最近、審査はほとんど何故か首都圏ばかり
東北は秋田、南は宮古島、九州と日本中を飛び回っていた数年前が懐かしい。
忙しいからあまり何泊も出来ないので、助かる反面、ちょっと遠出が出来ないのも寂しいものである。
という訳で、久しぶりの古都奈良である。
ピティナ開始直後で子供達の曲の仕上がりも興味があるし楽しみに新幹線に飛び乗るも、結局寸前までレッスンしているから、相変わらず到着は深夜である。
翌日も早くから審査。今回は120人の講評書きを夜の8時でぶっ続けである。
休憩は、トイレ休憩のみだから頭がクラクラしてきた。疲労ピークがB級だったから、年毎、体力の低下を感じる。さすが100人を超えるとしんどい!
昔は、D級あたりが疲れたのに、いやはやB級でくたびれていたら、C・D・E・Fまでもつだろうか?と不安になった。
それだけA2やA1の参加者が多くなったのだろう。
A1のレベルの高さにはほとんど驚嘆だった
熱心な親御さんと、勉強熱心な優秀な先生方が、いっぱいいらっしゃるのだろう。
良い刺激になった。
BCもとにかく皆達者に弾く。よく練習しているから、ミスも無く、そのテクニックの確実さに脱帽だが、その反面、音色やハーモニーへの関心は、テンポが速くなるほど、薄いように思った。
音を聴き、よく感じ取って弾く事は、自分の生徒も難しい事だが、やはりどこでも同じ悩みなのだろう。
耳だけでなく、体中で、音を見る事、感じる事を育てないといけないと、つくづく思った。
コンクールのレベルが年々上がれば上がるほど、弾く事に集中してしまわないよう、気を付けなければと思わずにはいられなかった。
審査が終わって、ホテルに戻ると9時過ぎ。
お弁当を頂いてしまったので、外へ食事に皆で繰り出すのも、お弁当が勿体ないのでいっそ止め、部屋でお弁当頂く事に・・・。
奈良の中心地に居ながら、東大寺は目と鼻の先なのに、早朝と夜では奈良漬けの店さえ開いていない。
まして、翌日も東京に午後一時に着くべく帰るとなると、朝8時にホテルを出る訳だから、土産物屋さえ覘けない。
京都に戻って、走ってのぞみに飛び乗って、気付いたら東京だった。
東京駅のJRのポスター
  【うまし うるわし 奈良】
  そこには、大きな歴史がある。
  気高くおおらかな美しさがある。
  そして、悠々と流れる時間がある。
  大和の国の先人たちは高い志を持ち、この地に高度な国家を築き上げた。
  さあ奈良へ
  日本人の原点を発見する悠久の旅
  2010年平城京遷都千三百年
という見出しを見て、情けなさに涙が出そうになった。
巷でいうか私はつくづく、M子だと思った。
皆さんは、ぜひ奈良へ行って下さい。中学の時とは違う見方で見られるかも。新しい発見が出来るかもしれません。


2006年06月10日

5月は何かと忙しく、皆さんにホームページ上でご紹介しそびれてしまったのだが、6月3日は、芸高に入学したAI君が、掛川市民オーケストラモーツァルト協奏曲を共演した。
入学早々慌ただしく、準備もままならない中、突然1週間前にAI君の成長とこの日のコンサートをひたすら楽しみにしていた闘病中のおじいちゃんが、突然天国に旅立ってしまった。
子供の自慢ひとつする事のない真面目一筋のおじいちゃんが、唯一、孫の事となると嬉しそうに語ったという。
なのに、この日を待たずに逝かれた事は本当に惜しまれた。
おじいちゃんの追悼になった演奏会で、AI君、モーツァルト協奏曲は初体験だったが、中々良い演奏だったと思う。
まだまだ未熟で経験不足だが、ひとつひとつ大きな舞台をこなしてピアニストとして成長して欲しいと、願わずにはいられない。
私は、この日もレッスンがあり、舞台の本番は見られなかったが、彼の初タキシード姿を見たかった。(ここをクリックすると詳細がわかります。
という訳で、週の初めに、東京で夜のレッスンが生徒の都合で抜けたので、話題の映画"ダヴィンチ・コード"オールナイト(夜9時始まり)を見に六本木ヒルズに行った。
近所でも上演していたが、ふだん忙しく走り回っている身だから、たまにはムード一杯、大都会の若者に交じって、リッチな気分で自分にご褒美のつもりで、六本木に舞台設定をしたという訳であるが………。
問題の映画だが、「ふーむ?」あの名作が、すっかりアメリカ映になってしまっていた。
まさに、サスペンス、スリリング、カーアクションありである。
筋を知っているので、舞台設定が頭の中の空想から、現実味を帯びるので、その意味では多角的にまたダヴィンチ・コードを楽しむ事ができたが、あれがダヴィンチ・コードだと思われてしまったら(原作を読んでいない人達に)残念である。
原作は、まさに美術史歴史宗教の根源を問う、謎解きであり、思う存分知的好奇心を満たしてくれる。
映画は、その点、筋を追い、テンポよくアメリカ映画のノリで進んでいくので全く違う。
フランス料理をコース料理で堪能した身には、この映画はさしずめ、"ワンプレート・ランチメニューセット"という訳である。
終わったのが夜中の11時過ぎ、地下鉄は若い人でいっぱいだから、都会はこんな時間も眠ってはいない。
しかし、最寄りの地下鉄から地上に這い出たら、住宅地はひっそりだ。
自分のハイヒールの音だけが響く中、小走りに20分駆け続けた。
"中年の女性、通り魔に刺殺される!"なんて見出しを想像していると、いつしか全速力で走り抜いているではないか?
「まだ死にたくない!」しかし都会は怖い。(田舎もだが……?)12時に、家に帰ってカップメンをすする。
あーーー?六本木ヒルズで映画なら、さぞかしディナーだと思いきや、この現実とのギャップ。
でもあの映画館は、ルーブルのピラミッドと似ていたから、「まあいいか」という事で納得である。
それにしても夜遊びとは、我ながらまだまだ気力・体力、充実我が身である!


2006年06月04日

今週末(先週末)は千葉船橋でステップ審査だった。
ここの会場は大きなホールで、ステップといっても恵まれた環境で、コンペの会場ともなる上、またそのコンペが近いときているので、かなりの子供がコンペの練習台として、「細かくて厳しい講評を下さい!」と要求して来ていたので、いつにも増して真剣に講評書きをしなくてはいけなかった。
ほとんどの子が、4曲を難なく弾きこなしているのには脱帽だったが、逆に早い時点でまとまりすぎてしまうのは、やはり問題だなぁと思わずにはいられなかった。
音楽の新鮮さや感動は、テクニックと別の所にあるので、弾く事に慣れすぎると、肝心の耳が育たない。
ピアノは何といっても耳が勝負だから、どんな美しい音で弾くか?どう歌えているか?自分の耳でしっかり聞いて判断出来なくてはならない。
だから、結構不器用で、弾けない子の方が、よく聞きながら弾くしかないので、遅くて回りは苛々するが、コンクールは器用な子より逆に有利だったりするので、とにかく早めにまとめにかかってしまわない事が大切だ。
譜読みが早く、指も動いてしまう子は、1音1音をよく味わい、感じて、色々な事にアンテナを張り巡らさせながら、ゆとりある時間を深く掘り下げる事に時間をかけないとウサギとカメウサギ状態になりかねない。
毎日同じ曲を繰り返し練習する事が、飽きてしまう事になったり、マンネリ化になってしまわない様、色々な工夫や努力も指導者に求められるが、家でも、弾いているから弾けているからと安心せずに、耳を使って弾いているか?心で感じているか?考えて弾いているか?よく目を光らせてあげて下さい。
決してピアノで運動神経を養わない様に、ピアノは耳と心で弾く事が大切だという事を忘れずにいましょう。
という訳で、今週はステップ審査をする事で自分の生徒達への反面教師も兼ね、弾けている子供にこそ目を配らねばと心新たになったので有意義な審査だった。
ここで自分の経験も振り返り思う事だが、ピアノに関して、親の目が行き届くか?届かないか?でだいぶ結果が違ってきてしまうように思う。
子供は何てったって子供だから、練習内容を深く掘り下げたりはしないし出来ないものだ。
頭の中は、他の事を考えながら、ピティナのやさしい課題を繰り返し3カ月も弾いていても進歩は望めない。
先生はやるべき事を指示しても、それを、日々具体的に声をかけ、見てあげているか?親の対処の仕方ひとつで、ずいぶん結果が違ってしまうと思うのだ。
この間、週刊誌(週刊朝日)の記事に"東大合格率=専業主婦の子育て×ピアノを習っていた子供"が断然確率の高いという記事を読んだ。
これについては、いろいろな考えや意見のある人がいるだろうから、そのまま抜粋して載せるので興味のある人はここをクリックして下さい。
私の意見としては、やっぱり集中力というものは、ピアノで養う事が出来ると思うのは確かである。
専業主婦も、昔から"手塩にかける"というが、子供は片手間では育たない。
体力も時間も精神的にもゆとりがある母親が、子供の状態をよく見ながら、子供を育てていくのが、理想中の理想だと思うが、なかなかそうもいかないのが現実だ。
ピアノの先生仲間にも、息子さんは医者に、お嬢さんはピアニスト、自らはバリバリの優秀なピアノの先生という方がいらっしゃるが本当に羨ましい限りだ。
人の子供を育て、中途半端な子育てを悔いる母親は、私だけだろうか?
"専業主婦×ピアノ"だが音楽に関わっている者として、ピアノをやっているから東大合格が高いとは、思いたくない気持ちがしなくもない。
ひとつの事を頑張る事は、全てに通じるように思うからだ。
音楽は、それとは別な意味で、人間に意味のある芸術だと思う。
先日私が、「カラスがモーツァルトを間違いなく弾くと鳴かなかった」と大阪での笑い話を書いたが、実は、それはすでに医学的に証明されている事だったらしい。
神経伝達物質として、脳内で感情や行動を調節しているドーパミンの合成が、音楽を聞かせる事によって促進され、パーキンソン病や認知性、てんかん症、注意欠陥多動性障害、はたまた高血圧症などに有効だという事は、医学的に証明されている事なんだそうだ。
まして音楽を聴くだけでなく、全身運動を伴うピアノなどの楽器演奏は、その意味で更に効果が有るというのだ。
音楽の魅力は計り知れないと思わずにはいられない。





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