April/'05

’05/4月

2005年04月22日

冒頭のシーンは、目が眩むばかりの映像の素晴らしさ!
といわれる映画「オペラ座の怪人」のその問題のシーンとは、ついぞ縁がなかった!
いや、実際見ることは見たのだ。朝だけは苦手なこの私が、朝7:00に早起きして、栄養剤を飲み出掛けたのだ。
しかし、なにぶんいつもの事で、事務能力に欠け準備不足の私だから「待てよ、まだやっているの?」先週は、確か新宿でやっていたが、寝坊して映画館の前に着いたものの20分も遅れたので、「やっぱり映画は最初からだよ」と思い断念したのだが...。
携帯で友人に電話して、ネットで調べてもらったら、案の定、今週から上映プログラムが殆ど変更されているではないか、しかし、唯一"東武練馬"ならやっているとの事!
池袋から埼玉に向かうこと20分。「フン近いじゃないか"東武練馬"!」と元気よく鼻歌まじりで出かけたのだが、池袋から東上線に乗った途端、ホームで「ただ今、この先で人身事故発生、復旧の見通しが立ちません。お急ぎの方はお乗り換えください!」
ゲッ、映画は10:00からだというのに、また遅刻か?
映画館に慌てて電話をして、「本編はいったい何時からですか?」と問い合わせると「予告が15分あります。」というではないか?やっぱり田舎だ。"東武練馬"
新宿では、たかをくくって、予告15分とサバを読んでいたら、いきなり本編だったのだ!
「ヨシッ!間に合うぞ!」と西武の練馬駅にダッシュ。東武も西武も同じ名前の練馬なら、背中あわせの駅に決まっているじゃん、と勝手に推測したのが、田舎者の浅知恵だった。
池袋から急行で1駅の西武練馬に立ったら、それらしきビルはないのだ。もう迷っている暇はない。
いつもだったらまだ寝ている時間に、こんな所にわざわざ立っている私だもの、引き返すのはの意地でも出来ない。
「行くぞ!"東武練馬"」「怪人め、待っておれ!」とタクシーに飛び乗る。がしかし、行けども、行けども"東武練馬"は見えてこない。メーターが1,500円を越えた頃、やっと目的の駅ビルが見えた時は、怒りより、諦めの境地。
それでも、自らの座右の銘「最後まであきらめない」を駆使し、エレベーターで駆け登って飛び込んだが、スクリーンには劇的に登場する筈の怪人が、もう現れていた。
ガーン!ということで25分遅れ
映画通なら、「やめとけ!」「良しとけ!」「見るな!20分も遅れた、オペラ座の怪人」と叫ぶだろうが、2週続けの怠慢と、その上アクシデントに見舞われ、これで断念したらきっと一生、スクリーンでは見られない気がした。
5月の連休には、一気にロードショーも入れ替えの時期を迎える。
「ビデオがあるじゃないか」とはいえ、この映画は大画面の映像と、音楽が素晴らしいのだ。
しかし、冒頭を見ずに語ることなかれ、と笑われるかもしれないが、私は映画を観ている間は、"東京タワー"(HP参照)の10倍は喜びのホルモン・エンドルフィン大放出だった。
この映画には、私の感受性を刺激する全てが詰まっていた。
長くなりそうなので、この続きはエッセィーに書くことにします。
興味のある方はどうぞ!


2005年04月17日

発表会が終わったら、どっと疲れが出る筈なのに、今年はとても元気だった
珍しく発表会で苦労しなかったせいか?それまでのスケジュールは慌ただしかったが、ストレスが掛からないのはやはり体の為に良いのだろう。
自分達で自己管理が出来る様に、生徒が育っていってくれているのが、少し嬉しい。今年の収穫だった。
発表会の後は、家族で浜名湖に一泊し、リフレッシュをするつもりだったが、あまりに近くてすぐから覚めてしまった! のが残念!
その上、帰ったら発表会に出られなかった生徒のレッスンもある上、翌日は東京のレッスンも開始で、新幹線に飛び乗った。
しかし、休まないのが疲れが出ない秘訣なので、この方が私には良いのかも?である。
ピティナの課題曲も出ているし、ピティナ参加の子供達は、休まず発表会後も続けてレッスンが待っている。
それでも今週は、比較的空き時間があるので、普段時間が無く出来なかった主婦業と、お産で入院している私の教え子のピアノの先生の元へ、やっとお見舞いに行く事も出来た。
いつも決まった景色しか見てない人生の繰り返しだし(音楽バカ)、まして、病院に行く為車を30分も運転するなんて事も無かったので、私にとっては偉い刺激であった!(私のBMWは一体何だ?飾りか?)
そして今週こそ、遅ればせながら「オペラ座の怪人」を見るぞ!と意気込んでみたものの、やはり寝坊して見られなかった。
来週こそ、行くぞ!である。


2005年04月08日

4月2日、いよいよ本拠地、静岡藤枝の大発表会である。
うちの発表会は、午前10時から夜6時頃まで、一日がかりである。
せっかくホールを1日借りているのだから、余裕のある生徒には出来るだけ長い曲を選曲しているし、コンチェルトなどもプログラムしているせいか、かなり盛り沢山なのである。
内容の濃さはいずれにせよ、質の高さを問わなければ、結構お客様に楽しんで頂けるメニュー!!
昔は、発表会前となると、髪をふり乱してレッスンしたものだが、最近(特に今年)は意識の高いご父兄のフォローで、結構負担なくやれた
難しい曲を与えすぎた上、本人は勿論のこと、親御さんが無関心だと、辻褄合わせに発表会だけで死にそうになるので、今年は比較的楽だったのが有り難かった。これで少し長生き出来そうだ。
多分、早めに曲をあげたのもよかったのだろう。
しかし1日がかりだから、お客様が少ないのが残念だ。(1日いたら大変である。)
その上、大井川町ミュージコは、田園地帯にぽつんと立つ大ホールなので、交通手段も少なく、なかなか来る人も大変なのだ。
しかし、このホールは素晴らしく、広く、ピアノもスタインウェイ他3台備え、音響も良いので、どうしてもここを借りたくなってしまうのだ。
今年は、終演後の挨拶でも話したが、高校3年組がごっそり抜け、寂しかった。
私がまだ若かりし30代前半(お母さん達が、ほとんど私と同年齢)、年中さんを5,6人ずつ集め、グループ・レッスンていた、ちびちゃん達が今年は全員高3。ほとんどの子供達が音楽の道を選択していったのだ。
ノートやリズムをやり、歌を歌い、部屋を行進させ、1人5分ずつ並ばせて、ピアノ教えた。
クレヨンしんちゃんが始まった頃で、しんちゃんの物真似をしながら、「次、おらの番!」などとけんかする子供達を、いなしながらレッスンしたものだ。
いつも、窓辺に外向きに椅子に正座して、夢想していたMちゃん
いつもノートが出来ないとべそをかいていたAちゃん
マイペースで、いつもニコニコ、でも負けん気が強かったMちゃん
ちょっと王子様を気取って、Hちゃんが大好きだったSくん
そのHちゃんも、小1になる前に転勤してしまったけど、今年桐朋に入りましたよ。
グループではなかったけど、いつもしっかり者で、「お嫁さんは、ぬいぐるみがあるから、いらないよ」と言っていた、おばさん達に大人気だったT君
マイペースで、おっとり過ぎて、いつもお母さんを苛々させたけど、絵本ばかり読んでいたMちゃん
お母さんから、いつも欲が無いと叱られていたEちゃんは、練習がいい加減だと最後の雷を落としたら、「これからも怒ってくれるのは、先生だけ!」と言い残して、発表会には出られなかったけど、先生を泣かせて卒業していきました!
ピアノの道を選ばなかった子供達も、本当に高2まで頑張って、どの子も一流の大学に進んだ事を聞くと、ピアノと勉強の両立が出来る事を、立派に証明してくれました。
コンクールや発表会で、何かと比較され、辛かったと思うけど、いつもライバルであり、そして、頑張っている仲間がそばにいたからこそ、励まし合いながら、競い合いながら、頑張ってこられたんだと思う。
だって、人間は1人ではなかなか頑張れないと思うから。
卒業おめでとう!!
これからも、音楽を一生の友として、そして、音楽の先生を目指す‘みんな’、音楽の楽しさ、喜びを教えられる素晴らしい先生になって、先生の所へまた再び戻ってきてね!
待っています。
それまで先生も現役で頑張るからね!!





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