| 昨年の年末あまりに忙しかったので12月末に行ったキーロフバレエの感想を今回時間が とれたのでエッセイにまとめましたので読んでください。 |
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| 昨年5月に行われた、日本アーティスト・ビューロー主催の夢コン・フェスティバルで見事グランプリに輝いた、有馬加奈子さん(中3)がアーティスト・ビューローの主催するジュエリー・コンサートにゲスト出演することになりました。(別紙参照) コンサートに行かれる方は、チケットがありますのでどうぞ皆さんいらしてください。  |
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| 1月11日は、ピティナ・コンチェルト部門東京前期だった。 うちの教室からは東京教室のR.S.さん(小3)がプレ初級に藤枝教室からK.A.さん(中3)が上級に参加した。ピティナ・コンチェルトは、毎年年明け冬が本番である。 私は以前からコンチェルトに興味があり、シュロス主催のコンチェルトにポーランドまで、生徒を数名引き連れ演奏旅行まで行ったりしたこともある。 ワルシャワのショパンコンクールが開催されるあのホールで地元の管弦楽団をバックに生徒が共演した想いでは一生の宝だ。 あの感動と体験は生徒とともに何にも代えがたい貴重な思い出となった。 その後藤枝でもシュロスとコンチェルトを共催し、他の生徒達にも管弦楽団と共演するチャンスを持たせてあげることが出来た。 しかしコンチェルトは、全楽章では信じられないくらい費用がかかるので、とても勉強になるからといって誰もが手の出せる体験学習ではなく、我々は1楽章ずつ切り売りしてもらうのが精一杯だった。 とはいえコンチェルトの感動、喜びを子供に体験させたかったので安価で挑戦できるピティナにコンチェルト部門が出来た時は嬉しかった。 コンチェルトの面白さというものはとにかくソロだけでは味わえない、ハーモニーの世界を演奏者全員で作り上げることにある。 その上、相手の呼吸を聞き、味わい、フレキシブルに対応し音楽的なキャッチボールする面白さだと思う。(しかしなかなかそこまで到達できないのが実情なのだが) ハーモニーに包まれる感動は口では言い表せないものだ。しかし実際にソロでも弾くのもやっとの子供達にとってオケとの合わせは、喜びというより怖ささえ伴い、期待と不安が交錯する瞬間だ。 しかし1度味わったが病み付きになってしまうのがコンチェルトの醍醐味である。 コンチェルトのコンクールとなると、第一にまずソロとして自分自身の音楽を確立していることが第一条件で、まず音がはっきりクリアで、1音1音の粒たちがはっきりして、テクニックがしっかりしていることだ。そうでないとオケの音につぶされてしまうからだ。 第二には表現力,主張がはっきりしていることだ。これがないとやはりピアノの主張がオケに埋もれてしまう。 第三には相手の音をよく聞けるか、自分だけで自己中心ではなく相手の呼吸、音楽を聴いて弾けてるか、他人の音楽と合わせるゆとりがあるかが重要なのだ。 生徒にはこのBが1番よい勉強で、コンチェルトや連弾でしか体験できないことだ。しかし連弾は相手と日々練習できてしまうから、相手の呼吸に慣れることが出来る。 コンチェルトは1回のリハーサルしかないから、よりフレキシブルな対応が必要となる。頭の良さに加えパニックらないで落ち着きのある性格が重要である。 今回は年明け早々ということで、またこちらもそうだが回りもお正月気分が抜けていない、楽なところが逆に狙い目かもと勝手な見当をつけたのだが...。 渋谷の桜丘の坂を上り、エレベーターなしのにヤマハ・エレクトーン・シティーに息を切らして、階段を上りつめたが、その予想が見事に外れたことに気づいた。 いるわ、いるわ、超有名人、あのK.D君(高1)!ラフマニノフの楽譜を持って立っているではないか。 それだけではなかった、上級のメンバー10名ほど全員がピアニストの卵たちではないか。 F級やG級の全国大会の常連さん達、ぞろぞろではないか。ここまでくると競うどころではない生徒の演奏の心配をよそに素晴らしいコンクールの幕開けに楽しみと期待さえ湧いてきてしまったではないか。 さて、演奏はというと、その誰もが期待を裏切らず、素晴らしい出来栄えだった。K.D君のラフマニノフの迫力は、その男らしい音楽と迫力で圧倒された。 同じ曲を用意していた私の生徒もかなり健闘したが、やはり男の子のダイナミックなテクニックとスケールの前には太刀打ち出来ないものを感じた。 やはりピアノって、男のものなのだろうかと、正月返上で年末から休まず、あーでもない、こうでもないと努力した自分たちが、何故かむなしく感じられてしまったではないか。 何事も結果ではない、音楽は比較するものではないのは承知なのだが男性のその骨太な音質とスケールの前では、あまりにも女性の力の弱さを認めざるを得なかった。 これがプロを目指す男性のピアノなのだとつくづく思って思い知った。 また驚いたのはベートーベンの協奏曲No.1を弾いたA.S(中3)さん。 その繊細かつ大胆で緻密に計算され尽くしたベートーベンは素晴らしかったが、彼女は昨年のピティナの夏の陣で全国大会に出場を、そのうえ冬は冬でショパンコンクールinアジアにエントリーしそして今年1月にコンチェルトである。 このスケジュールはただ一言、過酷そのものである。 1日も休まず練習していなければこれだけの曲数をこなせないはずである。 回りを見渡せば、やはりピティナ夏の陣で汗と涙を流した、お馴染みの顔触ればかりではないか、こんな世界だから一時でも歩みを止めたら、終わりなのだ。 どの子供も1日として休んではいない、そのうえ学校も優秀な進学校に行っているではないか。 先生方も同様である。日々是努力、切磋琢磨、年末年始休まず働いていたのは、私だけではないのである。 こうなったら体力気力が勝負の世界なのだ。 その中で嬉しかったのは、東京教室のR S(小3)ちゃんがプレ初級で全国大会出場になったことだ。昨夏、全国大会を逸した理由がテクニックの弱さだった。 テクニック克服を第一に難しい音階ばかりで構成された曲を選択した。 寸前まで、テクニックに振り回され、泣かされたが、持ち前の努力で弾きこなしてくれた。 Rちゃんの健闘ぶりにひとつ考えさせられたのは、Rちゃん東京教室だから週に1回のレッスンがやっとである。静岡の子供のようにまめにチェックしてあげられないにもかかわらずこの快挙だ。 レッスンは回数ではなく、本人の意識と親御さんのつかず離れずのフォローひとつで、充実した練習成果が挙げられるのだと思うと、面倒見よすぎる私自身のやり方も、もっと見直さねばと思う。 あまり手をかけすぎると、自分でどうすべきか考える力を奪ってしまうのではと思うのだ。 私もそうそう若くないし、子供達に練習の上での自立をうながすのも、今後の課題だと考えさせられた。 |
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| 謹賀新年 あけましておめでとうございます 今年がいつもと違う新年だったのは、主人が長い海外赴任(6年)から 帰り、家族全員皆で新年を迎えられたことでした。 それに伴い6年前は中学生だった息子も社会人ですから、我々も すっかり熟年になってしまいました。 家族が揃ったので、お料理教室で習った腕前を披露すべく、 初おせち料理に挑戦しました。 なぜこの年までおせちを作ったことがなかったのかというと、理由は いたって簡単。年末年始は常に両親の実家で過ごしていたからです。 普段は時間もなくお料理教室で習ったものを再現する暇が ありませんでしたが、今回は年末年始を利用し台所にずっと 入り浸りで、思う存分主婦が出来、満足でした。 2日には来客もあり手作りおせちで接待出来、嬉しかったです。 ばらずし、牛肉の八幡巻き、しめサバの棒寿し、昆布じめ、 お煮しめ、なます。お正月料理オンパレードです。 しかし台所にずっと立っていた為、肝心のニューイヤー・ オペラコンサートを聴き忘れてしまい、それだけが悔やまれました。
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