November/'03

’03/11月

2003年11月22日

「永遠のマリア・カラスを見て」のエッセイでカラスとジャクリーヌ・デュプレについての類似点を書きましたが、先日私がとっている音楽小冊子にデュプレのドヴォルザーク&シューマン:チェロ協奏曲を推薦する文章に奇しくもデュプレとカラスを重ね合わせている筆者がいたので紹介したい。
是非エッセイ集をご覧下さい。
また、ピティナのOur Musicの今月号の巻頭随筆に南院紀子先生が「〜文学・絵画・そして音楽〜」という題で執筆していらっしゃいます。それも合わせてご覧下さい。

2003年11月16日

ピティナ宮古ステップだった。
宮古ってあの沖縄の宮古島?そうなんです。
私も最初びっくり。ピティナは北海道から沖縄までとは知っていたものの、宮古でステップが開催されるなんて、驚いた。
私はピティナに入るまでは、旅行とは全く縁が無かった。そもそも私の実家はレジャーを全くしない家だったし、母は心配性で娘の頃、友達と旅行さえさせてくれず、一泊旅行などもってのほかだったから、修学旅行で行った京都、大阪、奈良の先の西は全く知らず、日本地図でその存在を知るのみだったから、ピティナで九州、四国、沖縄、秋田そしてついに宮古島が来た時は、歓喜の声を上げてしまった。
とはいえ、いつもお仕事なので、沖縄に行った時も、もしかしてプールがあったら入れるかもと水着をしのばせ、行ったものの朝の9:00から夜の9:00まで拘束され、ホテルはオーシャン・ビューという名前なのに、ただのビジネスホテルだったし、空港とホテルとホールを往復しただけの、旅行とは全く無縁のコンペ審査だった。それでも休憩時間に外に出ると一面のさとうきび畑に感動したものだった。
そんなわけで今回の宮古島もお仕事だし、水着はやめとこうとあまり期待せず、でもふだんのレッスン室から解放される気分転換だけは、出来るかも?と期待して出掛けて行ったのだった。
名古屋〜沖縄から、また飛行機で海の上を飛ぶこと30分。宮古の空港に降り立つと出口に「三好のびこ先生・歓迎」と大きな看板を持った支部の方がお迎えにいらしてくれていた。立派な看板で何だか感動して、有名人になった気分!
あとで記念に看板を頂きたいなと思ったくらいでした。
朝の7:00に藤枝を出て、宮古についたのは、夕方4:00。まだ明るかったので"その辺ご案内しましょう!"と支部の先生に連れられ、海までドライブ。どこまでも青い海が続く、風も11月というのに暖かく、とても秋とは思えない。"さとうきびジュース、飲みます?"というお言葉に甘え、島のおじさんがやっているスタンドに立ち寄るとおじさんが"あっ、氷が無いや!"と家まで氷を取りに走っていった。あーこれが"うちなータイムというやつか?沖縄ではのんびりゆったりした時間が流れるのでそれを称して"うちなータイム"というらしい。だいぶ待たされたが、こちらも焦る気持ちが全くなくなっている。「こっちもすっかりうちなー時間
さとうきびジュースはさとうきびを洗わずそのまま(驚いたのは、機械も野晒しのまま洗わない。)機械でつぶすとあの竹のような太く長い茎から樹液がいっきに流れ出るから驚く。
これが黒糖の元だ。それを紙コップに入れて渡された。
さとうきびと機械に少しゴミが付いているが全く気にならない。それをいっきに飲んだら、その甘いこと。さとうきびを最初にかじった人はさぞ感動しただろうと想像した。
あまりにいっきに飲んだら、"もう一本おまけしようね"とおじさんが2本目をつぶしてくれた!
何だかこんな美しい海に囲まれ、さとうきびジュースを飲んだだけでも宮古に来た甲斐があったと嬉しかった。その後、"海岸の砂を触ってみましょうね"と先生に海岸に連れて行ってもらった。何だか私のしてみたいこと、みんな分かって下さる!前回の沖縄の審査では海は飛行機の窓から見るだけだったのでえらい違いだ。
海岸で波と砂に触れ、今夜の宿に到着。そこには以前、ステップでご一緒したS先生と大分のT先生がいらして、皆で宮古料理を食べに行きましょうということで郷土料理のお店に行った。
ご主人のトライアスロンについて来て宮古は3度目というS先生のお勧め料理をたくさん頂いたがとってもおいしかった。アーサというのりの天ぷら、海ぶどうが珍しく、おいしかった。
辛いものが大好きな私は味付けも大いに気に入った。宮古の塩は粉糖のようでこれに天ぷらを合わせると最高だ。
翌日はゆっくり、午後からの審査だった。ホールは島に一軒の楽器店の2階なのだ。2階というので狭いと思ったら大違い。天井は高く広々とした立派なホール。音響も良くびっくりした。そのゆったりしたホールで島の20人の先生方指導を受けた167名の演奏を2日間かけ審査させて頂いた。正直言って沖縄から更に遠い宮古島で、どの程度のレベルのピアノが聞けるのか?疑問に思っていたが、その不安は見事に一掃された
小さい子供たちは、本当にきちっとテンポ・リズムも狂わず、しっかり弾くのだ。どの子もどの子も誠実にピアノと向かい合っている。その背後に先生方がどれだけ真面目に音楽と取り組んでいるかが分かった。
プロフィールもピアノ大好きという子供達の多いのにびっくり。のびのびと音楽大好きな子供達を育てている島の先生方の姿勢がうかがえるではないか?
1つ南国の特徴といえば音楽が底抜けに明るい、音も大きく強め。東北地方に今年、審査に行ったが全く逆だったから、太陽の日照時間て、こんなに人間の性格を変えるのだと思うと恐ろしい。ショパンがマヨルカ島で健康を取り戻したのもうなずける。
気候風土は人間を明るくし、免疫力をも高めるのだろう。
どうしようもなく落ち込んだら、無理してでも外に出た方が良いのかもしれない。私も葉っぱじゃないけど、人生に疲れたら外に出て光合成でもしなくっちゃ。
1日目の終わり、島の先生方、楽器店の店長さん方に接待を受け、親睦会を開いていただいた。改めて先生方の誠実さとパワーに圧倒された。中に東京音大附属高校から音大卒業後4年間(計11年間)東京で暮らした若い先生が一生、島を出る気は無いと話されたのに衝撃を受けた。
宮古は観光では素敵な所だが、東京の刺激的な生活を体験した若い子が島から出ないという決意はすごいと思った。当たり前だが宮古にはバスも電車も地下鉄も無いし、デパートも無いからだ。コンペを受けるのにも飛行機で沖縄に出なければならないのだ。
空港に送ってもらう帰り道、その若い先生の車で島を一回り、海に沈む夕日を見にドライブに行った。
カーステレオから流れるサラ・ブライトマンの"タッタン人の踊り"を聞きながら海に落ちる夕日を見た時、果たして、東京に戻る自分達が幸せなのか?いや、この自然に残る彼女達が幸せなのか?と思った時、言葉が無かった。
"このCD帰ったら買おうね"、"この夕日とこの音楽の組み合わせを忘れられないね"とうなずきあったS先生も同じ気持ちだったと思う。

2003年11月08日

読書の秋だ!
私は忙しいのでゆっくり本を読む暇が殆どと言って無い。
大体レッスンが終わるのが夜10:00近くだから、それから夕食を作り、
急いで食べて、雑用を済まして寝ると、気づくといつも午前2:00近くに
なってしまうからだ。
TVドラマも見る暇も無いくらいだから、読書の秋は無縁に等しい
それでも私の友人達がTVドラマをビデオに撮って貸してくれたり、
「この本良かったから読んでね!」と親切に貸してくれる。
「ありがとう」と喜んで貸しては頂くが、借りたら最後なかなか返せないのが実情だ。それでもいつまでも借りていては、申し訳ないし、読まずに返すのは、更に失礼だし、おしゃべりの私が何のコメント無しで返せば読まなかった嘘が途端にばれてしまうではないか。
先日友人に「のびちゃん、この本すごく感動したの、泣けたから、是非読んでね。」一冊の本を手渡された。彼女は人も羨む美人でありながら、性格もとても良い上、優しく純粋な心の持ち主だ。
同い年だと言うのに、私のように世俗にまみれず、少女の様な魂を持った人である。
私はといえば、どちらかと言うと現実主義だから全く相反する性格と言っても過言では無い。
そんな夢見るロマンチストから手渡された、一冊の本は辻仁成の「サヨナライツカ」という本だった。「ふーん!センチメンタルな私小説か?」と一瞥してBedの下に置いていたのだが、先日Bedの下を整理していてその本を発見!借りてから半年も経過しているではないか。
そろそろ返さないといけないと思い、「速読するしかない」とその本をポイッとBagに放り込み東京レッスンに向かう新幹線に飛び乗った。
兎に角、さっさと読んで返さなくてはと思う一心だったのだが、何故か思惑に反して、読んでいくうちにすっかり夢中になり、ついにはロマンチックに侵されていった。東京駅に着くのを忘れるくらい没頭し、JR,バスと乗り継ぎ、レッスン室に着くまで、ひたすら読み続けた。気付くと一人目のチビちゃんを教えていたが、すっかり頭の中はロマンチックになり現実がにわかに受け入れられないではないか?
内容はと言うと今は60歳を過ぎた主人公が若かりし頃、結婚を目前にしてある女性と運命的な出会いをしてしまう。本人も納得、満足のゆく理想的な結婚をする筈だったから、その女性とは、独身最後のアバンチュールのつもりで4ヶ月間の期間限定恋愛をするのだが。
しかし、別れて別々の人生を歩んで25年経過してもお互い片時も忘れる事が出来ない永遠の恋人だったという訳で、25年後に再会するのだが...。
こうして書いてみると"陳腐"なのだが、いやあ本当に泣けるのだ。行き着くところ人間は感情の動物なのだ。理屈や理性、道徳、倫理では割り切れないものが存在するから人生は奥深いのだろう。
しばし、異次元にタイムスリップした私だったが、昔は「夢見る夢子ちゃん」だった。
子供の頃から詩集を読み、すっかり本の中の主人公に
なり切っているのに"はた"と気付くと恋もしたことも無く、
不幸でも無いではないか。
そんな我が身を情けなく恨めしく思ったものである。
思春期になっても、高校は女子高、音大は女性ばかりだったし、
親も厳格だったので、気付いたら子供相手にピアノを教えていたので、
ロマンチックとは更に無縁だった。
その手の感情は本や詩の中からもっぱら疑似体験でしかなかったが、
何故か想像力は人一倍強い方だった。
それがいつしか、こんな現実主義になってしまったのだろうか?年のせいだろうか?もう、ついぞこんな感情にはお目にかからないと思っていたが。こうしてみると、また再び目覚めているではないか?あながち年のせいだけでは無いのかも?
東京のレッスンでその後、高校生とショパンのコンチェルトNo.1を弾いたが本の余韻からかフレーズ・フレーズにすっかり感情移入してしまい、いつに無くどっぷり歌った。やっぱり、小説は想像力をかきたててくれる。日常に無い体験はやっぱり本でしか味わえないものだと再認識した。
やはり、もっと本をたくさん読まねばと思う。この所、忙しさで感性の扉が少しずつ錆付き始めていたかもしれないと感じた。
子供達も同様だ。色々な人生を体験し、色々な感情を理解する事は、想像力や感受性を高めてくれるが、1人の人間が体験できる人としての経験は限られたものだし、子供においては尚更だ。当たり前だが多感な時期に人生の悲哀、辛苦を味わわせることは、親として避けたいし、ましてや一番大事な勉学にいそしむ時期に異性に心奪われ、勉強やピアノがそっちのけではたまったものではない。
こうなると、やはり本を読みたくさんの疑似体験をし、人の感情や心の機微を理解し、同時に人生の悲哀を味わわなければ、音楽も深まっては行かないだろう。
結局はシューマンの苦悩もブラームスの憂鬱もショパンの愛憎、葛藤も理解できないのではないかと思うからだ。
我々教師も同様だ。時間に追われて暮らしていても、日頃から感性の泉を涸らさない様に努めなくてはいけないと思う。
幾つになっても常に色々な事に好奇心を燃やし、小さな事に心を揺らし感動する心を失わないことは、芸術、こと音楽に関わる者にとっては、大切な事だと思う。
「サヨナライツカ」は子供達に読ませられない内容なので、今週は「秋」に因んだ恋の詩を紹介しよう。
あまりにも有名なあのP.ヴェルレーヌの「秋の歌」だ。
外国の詩は翻訳が命だが、この詩は明治時代英仏学者の上田敏がその著書「海潮音」で日本の文学界に始めてフランスの象徴詩を紹介した詩の一節だ。

秋の日の ヴィオロンの ためいきの
 身にしみて ひたぶるに うら悲し
  鐘の音に 胸ふさぎ 色かへて 
   涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや
    げにわれは うらぶれて ここかしこ
     さだめなく とび散らふ 落葉かな

ピアノにおいて空間をも歌うことが最高のテクニックだとすれば、詩においてはさしずめ、をふむことだろう!
仏語の流れるような原語で聞き感じる事が出来たら、それこそまさにドビュッシーの世界ではないだろうか?

2003年11月01日

行楽の季節だ
土・日レッスンを振り替え、主人と息子と友人の子供連れ家族で山梨の知り合いの経営する民宿を訪ねた。知り合いとは7〜8年前、ピティナ主催の海外演奏旅行以来、親交を深めてきた友人で、お嬢さんはピティナでもその名を知らない人はいない「Y.K.」さんだ。
そのKさんに「山梨に一度遊びに来てね」の言葉に誘われ、迷惑省みず、今回ホイ・ホイと家族で出掛けて行ったのだ。
ここ数年何故か「自然」特に「」に郷愁を覚えるようになった。都会派でにぎやかな所が大好きな私としては、とてもめずらしい現象だ。年を取ると草木に心を奪われ、そしてついには石に関心がゆくと人生も枯淡の境地というらしいから、そろそろ...かな?
西富士道路を一路、山梨に向かうと右側に富士山がくっきり、静岡にいると富士山は珍しくないが、こんなに間近で見ると圧巻だ。
朝霧高原では牛が放牧されているのを横目に見つつ、のどかな気分に浸る。
これぞまさしく"Pastorale"だ。
さて、1日目はKさんお勧めの笛吹川フルーツパークを訪れた。山梨に入ると見渡す限り、ぶどうの棚・棚。この時期ぶどうは、収穫を殆ど終えていたが、それでもその数といったら凄い。フルーツパークに続く街路樹もたわわに実ったカリンの木だから、ここは日本一の果物の産地だと納得だ。
フルーツパークのフルーツ館では、世界の果物について少し物知りになった。ぶどう酒の由来は、古代ローマからだそうである。(そういえば、ギリシャ神話の酒の神バッカスが頭上に頂いているのは、確かぶどうの葉だった。)
また8世紀中国の話だが、楊貴妃は大層レイシ(ライチ)が好物だったそうだ。
しかし、この果物は収穫から3日と持たなかったそうで、冷蔵も運搬技術も無い、当時の中国で数千Kmも離れた都にレイシを運ぶのは死人も出る程の大事業だったそうだ。
「安禄山の乱」で玄宗皇帝が滅びたのは、この死の運搬も理由の1つだったそうだ。食べ物の恨みは恐ろしいというか、今のように食物の豊富ではない時代には、果物は「魔力」さえ持っていたのだと思うと、興味深かった。
フルーツパークでしばらく遊び、物知りになって、Kさんお勧めの温泉に入った。
この温泉は、入ったらビックリひどくぬるいのだ。"あれっ"と最初思うのだが、ジワジワと芯から温まり、最後にはポカポカ。
遠赤効果だ。さすが地元評判の湯であった!!
さて、温泉の後はいよいよKさんの民宿訪問。もうすっかり、秋の夕闇が迫り、あたりは真っ暗!!当たり前だが山にはネオンも街灯も無いから車のライトだけが頼りの真の闇である。
そんな中、古めかしい「夢遊苑」と表札のある民宿の門をくぐる。何とこの民宿は、明治初期の建物でKさんのご主人のお母さんがご主人亡き後、一人で切り盛りしているという。
夜で奇しくも庭園灯が壊れていて良く見えなかったのだが庭園の素晴らしさは、有名で近隣にもその名がとどろいているという。池には百匹の鯉が泳ぎ、回り廊下は黒光りして人が歩くとギシギシと鳴り、まるで明治時代にでもタイムスリップした気分になった。
床の間にある仏壇や置物、襖絵、天井の細工ひとつひとつが年代と由緒を感じさせる。
さしずめTVのお宝鑑定団に出したら良い値が付きそうなものがゴロゴロ!!
そんな中、お母様の手作りの山菜の天ぷら(これは本当においしいい。おせんべいのようにパリッとしていておいしかった。)山菜のごまあえ、馬刺し、手作りの味噌こんにゃく、いわなの塩焼き、黒米という古代米を炊いたごはん(これは大昔の人が食べていて、今では作る人がいなくて希少価値だそうです。)、とどめに山梨名産のかぼちゃのほうとうを頂いた。ウーーーム、こんなヘルシーで愛情のこもったおもてなしは、久しぶりだ。グルメの私も恐れ入った。
Kさんは、田舎料理で...と謙遜していたがとんでもないご馳走だ。
Kさんのお嬢さんのYちゃん、弟のR君が素直で心優しい子なのは、こんな心のこもった暖かい料理を作ってくれるおばあちゃんがいるからに違いないと思わずにはいられなかった。
皆でビール3本、ワイン2本も開けて大リラックスしてしまった。
お土産に手作りこんにゃく、とっくりワイン、ぶどうを頂戴して宿に向かった。
近所のオーベルージュが今夜の宿だった。2家族用に8畳2間が間続きになっていたので、のびのび布団を敷いて、大の字で寝た。いつもベッドなので布団も中々新鮮で嬉しかった。
翌朝は快晴、窓を開けると眼前に赤や黄色に色づき始めた山々が広がって感動だった。
森林浴という言葉があるが、普段からパソコンに追われる主人と息子を含め、キーボード一族の我々にとって、時の経つのも忘れるほどのリフレッシュなひと時だった。
2日目は、Kさんにワインの里、勝沼に連れて行ってもらった。
そこで友人の3才になる子供の為に念願のぶどう狩りをして、ぶどうの棚の下でバーベキューもした。
富士山の噴火の石を温めて、鉄板代わりにしてぶどう棚の下でのバーベキューは、なかなか風情があった。
その後、ハーブ園を訪れ世界のハーブについて、団体さんのガイドの話を甘味料の素だというステビアの葉をかじりながら盗み聞きして、「なるほど」と相槌打ちながら歩いて回る。
帰り道は、朝霧高原で新鮮な牛乳(ちょっと薄い)を飲み、帰宅という行程でした。
久しぶりに家族旅行をして本当に楽しかった。
たくさんの思い出が心に残った。特に今回の旅行での発見は、友人の3才になる子供に対する息子の面倒見の良さだった。とても良いお兄ちゃんをしていた。
一人っ子だったから、弟が欲しかったのだろうか?小さい時は弟も妹もいらないと良く言っていたが、さぞかし1人はつまらなかったのだろうと思う。
小学低学年くらいから父親の海外長期出張が多くなり、中学の時からは6年間、海外へ単身赴任で全くいなかった。母親から自立し、父親が必要になる時期に母親は忙しい上、父親もいなく1人ぼっちでどれだけ寂しい思いをしたかと思うと可哀想だった。
単身赴任は会社の命令だから、有無を言われず仕方が無いが、こうした不自然な家族の形態が当たり前になっている日本の社会や企業の在り方にも疑問を感じる。
アメリカに住む外国人である私の義兄は、長期の単身赴任はアメリカでは考えられない、と首をかしげる?
家族とは?夫婦とはいったいなんだろうと思わずにはいられない世の中だ。
息子の仕事も同様だ。コンピュータのプログラマーとして4月より入社して以来、残業、残業で夜11:00前に帰ることなく、深夜午前様も当たり前である。こんな異常な生活をしていて体を壊さないのは、ただただ若さゆえだ。腹を立てて辞めれば、この不況のさなかフリータという現実が待っているから親としては不憫だが、「辞めたら」と言えないのが現実だ。
音楽の世界にどっぷりつかって、政治にはついぞ無関心ではいたが、こう自分達の家族が脅かされては、そうそう無関心ではいられない。
翌週は、沖縄宮古へステップの審査へ行くが、不在者投票には行かねばならないと思っている。
何だか山梨紀行が総選挙にすり変わってしまった。
それにつけても、
    山梨のKさん家族、素敵な想い出作りをありがとうございました。




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