| 大阪開成館でピティナ・ステップ審査だった。今回は運動会と重なったとかで人数が少なかったので午後からあっという間の3時間審査で楽だった。 先生も、参加者50名以下なので、同年代の女の先生と2人だったから、リラックスムードで審査出来た。 大阪は、ステップが盛んで、毎月あるそうで、来月は100名以上だと言うから、今回の人数は特別少なかったようなのだ。ただ1つ、問題はチーフだったことだ。私は「長」のつく柄では無く、小さい時からその他大勢で、人に付いていくのが常だったので、まとめ役は大の苦手で心から遠慮したい。(ステップ,コンペ担当の方、読んでいたらお願いします。) しかし今年に入ってからチーフが2回も舞い込んだから如何に中堅層の年齢で且つこの道では、もう経験豊富(ベテラン)の部類に属してしまったんだと、何だか嬉しいやら、悲しいやら。兎に角、責任の重い年齢になってしまったんだなと自他認めるコンペ,ステップのムードメーカーの役目もそろそろ若手に譲るしかないか?と寂しい気持ちで一杯だ。 途中で大阪の生徒のレッスンを久しぶりにして帰宅した。なんだかんだと大阪は今年に入って5〜6回目ですっかり、地下鉄に慣れた。周りから聞こえてくる大阪弁は大好きだから耳をダンボにしている。関西弁は庶民的でとても親しみやすさを感じる。でも怒鳴り声は迫力があって、 「ホンマコワイワーーー」
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| グレンツェン・ピアノコンクール浜松予選だった。 我が教室からは、今夏ピティナも各地のコンクールにも全く参加しなかった小1〜高2まで10数名が挑戦した。 このコンクールは課題曲が短く簡単なので誰でも気楽に受けられるのが利点な上、上位入賞者にはトロフィーが頂けると言うのが魅力だ。 私の「トロフィーが貰えるかもよ!」の甘い言葉に誘われ楽しく気楽にこの夏、さほどの緊張も無くのんきにやっていたのだが...。 8月末三重に出た生徒から「先生、皆ちゃんと上手に弾いています。」の言葉ににわかに刺激され、9月に入ってからは、かなり真面目に練習をさせてきたつもりだった。 しかし今回のチャレンジ組は元々、音楽は好きだけどあまり競争心の無い、マイペースの子供達ばかりだったせいか、楽しく遠足気分で浜松のアクトシティー中ホールにやってきた! しかし、ホールに入って驚いた。皆ドレスばかりで、気合が入っているではないか? 大体コンクールのレベルは、親御さんの熱意と比例しているものだから、「こりゃあ、ちとやばいかも!」というのがまさに的中!! 小学生低学年などは、もうしっかり腕の脱力バリバリ! 基礎力は勿論、曲想もしっかりつけ、曲の完成度の高いこと!!ミスなんてする子は1人もいないではないか! こうなるともうハラハラドキドキもの。もう自分の生徒が出て来る度に心臓バクバクで口から飛び出そうな程緊張した。 「トロフィー!!トロフィー!!」と"ハーメルンの笛吹き"よろしく、生徒を連れてきた私としては、もう「失敗しちゃだめだー!」と手を合わせていた。 念力が通じたのか?大きな失敗もせず(何せトロフィーにつられ、本人達は金銀取るつもりで、望んでいたのが功を奏したのだ。トロフィーを目指していなかったら惨敗に違いなかった。やっぱり目標はいつも高く置いとくものだ。) 無事に終わった時は、すっかり老け込んだ気分だった。(あまり緊張して心臓の打つ回数が多すぎると早く年を取る気がする?だって人間一生の間に心臓の打つ回数は決まっていると聞いたことがある。) 結果は高2T.M.君が金賞を頂き、他、銀,銅とトロフィーを7人が頂いた。4人は準優秀賞で惜しかったがマイペースの子供達も帰りには「本選は頑張るよー」と目標が出来たらしく、やっぱりコンクールに挑戦させて良かったと思った。 やる気を育てるのが教育なら、結果はいずれにせよ1つの大進歩だったのだ!!
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| 残暑が厳しく、かんかん照りの中で子供達は毎日運動会の練習で疲れ果てています。 「芸術の秋」は、いつ来るのでしょうか?と言いたい今日この頃です。Essey「永遠のマリア・カラスを見て」の反響は意外にも「先生、元気出して!」でしたが、続編を読んだら元気が出るかもでーす!! どうぞ読んでくださいね!! 15日「敬老の日」は東京レッスンでした。このところ忙しかったので、自分をねぎらうつもりで夕飯は、御寿司屋さんに行きました。その頃、主人は1人藤枝でレトルトのカレーだったそうで、 後でひんしゅくものでした。
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| 仕事の合間を見つけて新宿で、映画「永遠のマリアカラス」を見ました。 感想をエッセイにしてみましたので読んでみて下さい。 同世代のピアノの先生、是非読んでみてください!! |
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| N.A.君に続き、また元生徒との再会があった。7年前に別れたYちゃん(大3)だった。たしか彼女が高1のとき、東京に引っ越してそれっきり音信不通だった。 とても人懐こくて可愛い子だったが、すっかりそれ以来時と共に記憶から消えていたからびっくりした。 「先生元気?私はまたピアノが弾きたいのーー!」と無邪気に電話口で甘えてきた。 「分かった、今度逢おうね!」と言うと「わあい!先生私きれいになっちゃたから、分かんないかもよ。ちゃんと見っけてね!」とうれしそうだった。 「また、おごりだな!」と苦笑、年取ると甘えられるばっかりだ! 何かおやじになった気分だ! 東京にいる音大生は現在十数名、みんな”先生、先生”と慕って くるけど、再会はいつもおごりだ! だいたいアルバイトして親のスネかじりの身分で、おごらせるわけにもいかず、かといって教え子と折半なんて私のプライドが許さないのだ。今回の再会もそんなお気楽な気持ちだった。 しかし逢って、そんな予想は吹き飛んだ。彼女はたしかに見間違うくらいきれいになっていた。 さらに、驚いたのは家の事情で現在アルバイトと奨学金で家計を支えながら大学に通っていたことだった。持っていたグランドピアノも既に手離していた。 彼女は「私ね、ついこの間、ユンディーリーのピアノをTVで見た時から、衝撃的にピアノが弾きたくなったの。先生には申し訳ないけど、7年前までは1日30分も弾くのが苦痛だったんだよ。でもね、今は何時間でもずっとピアノが弾いていられるの。」 「家のは、電子ピアノだからピアノを時々楽器店でレンタルして弾いてるの。」 「私、今本当に自分がピアノが好きだったんだって気づいたの!こんな私にまたピアノ教えてくれるかなあ?」と言うのだ!私は涙が出そうだった。 色々苦労したんだなあーと思った。「前はねグランドピアノは物置になってたのに手離してから、弾きたいなんて”ばかだなあ”あたしって!」と笑うのだ。 別れ際に「先生!私あの頃よりずっと感情込めて弾けるとと思う」とつぶやいた。 確かに子供の頃はピアノに感情がこもらず苦労した子だったが、この7年間人生の荒波にもまれ、苦労してきたのだと思うと可哀想だった。 その中で彼女を支えていたのが音楽だったのが何より嬉しかった。「ずうっといつまでも弾いていられるよ!」その言葉が心の内にこだまして、帰り道涙が出た。 ピアノ練習嫌いの子供たちと毎日葛藤していると時々うんざりするが、この一言にパワーを貰った。というより音楽って偉大だ!! ピアノ万歳なのだ!! |
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| 先日ひょっこりN.A.君(大1)がレッスン中に顔を見せてくれた。 彼はピティナっ子でB級からずっと全国大会で入賞し、D,E級では、各々全国大会で審査員特別賞を貰っていた。あの田村響君とも友人だった子だ。 しかし、高2の冬の発表会を最後にピアノを勇退し、大学受験に専念することになった!! 彼の才能は惜しかったが、しかし彼は、自ら勉強で進む道を取ったから、私としては悔いなく心から応援していた。 その後、東大理Uに合格と聞いたから、更に驚いた。ピアノもうまかったが、やはり精神力も集中力もあの頭の良さから来ていたのか?と何か自分の子供が東大に入ったようで嬉しかった。 今日は夏休みで帰省していたらしい。聞けば、東京に行きアルバイトでピアノを買うからレッスンを再開したいと言うのだ。大学に入ってまだ半年、音楽に対する情熱がまだ彼の心の中に燃え尽きず、残っていたことに私は嬉しかった。 これぞ彼が幼稚園の時からピアノを教えてきてよかったと思える瞬間だった!! 音楽家になる為だけでは無く、音楽を愛する子供に育てる事に自分が関われたことが何より嬉しかった。 N君東京でまた、頑張ろうね!! |
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