| 韓国のお土産物屋さんで、韓国人の占いの女の人に「貴女、忙しい方ですね、疲れていますから、気分転換を上手くしてください」と言われ、売り物でもないクロレラを飲まされた。 血圧もあがりっぱなしで、ずっと緊張していたので、日本に帰ったら好きな事をやろう! では、好きな事とは一体?映画!美術館!買い物!美食!だが、買い物はカードの後日支払いが余計ストレスを産み怖いので、止め、食べるのは太り気味なので止めにして、渋谷で『マーラー君に捧げるアダージョ』を見て、その足でフェルメール展に行くことにした。 マーラーと言えば、ベニスに死す、を最近、学生に見せようと何年かぶりにまたビデオチェックしたばかりだったが、マーラーの私生活を言及したこの新しい作品には新発見、そして思う事も多かった。 まず作曲家が几帳面で公務員のように、あまりにも時間を守って生活していた事だ。 あの神秘的なマーラーの作品から、全く伺い知り得ない事だったが、しかし実際の魂はそうではなかった事がやはり芸術家であり、また彼の人生に悲劇を生む由縁だったと知る。 後に妻になったあまりに美しい魔性の女、(ベニスに死すを彷彿とさせるのだが)との結婚!実は、彼女も作曲家志望だったが、マーラーを支える為、作曲を禁止させられ、不幸な結婚生活を強いられていた犠牲者でもあり、抑圧とストレス、しかも20歳もの歳の差が次第に不協和音となり、二人の家庭生活が崩壊していく! その過程を描いているのだが、感動なのは二人の幸せだった日々。 五番のアダージェット!美しい音楽が全編流れる。 マーラーの苦悩が浮き彫りにされ、そして妻アルマの哀しみとやり場のない孤独に、なんだか救いようのない気分に陥った。 映画の中で、「芸術家の栄養は悪!」であるという台詞?に、マーラーが幸せで悩みがなかったらあれほど深遠な音楽も逆に生まれなかったか?と思った。 とどのつまり、超一流の芸術家は幸せではいけないのか? 少なくとも満ち足りていては後世に残す作品は生まれない?という皮肉だろうか? 平凡でよかった!と考えこみながら道玄坂を文化村に向かった。 フェルメール、大好きだったが、真珠の耳飾りの少女!忘れもしない、ルーブルで見ようと方向音痴になりながらやっとのことでたどり着いたら、「この絵は今、日本に行ってます!」とあってその場にヘナヘナ座り込みそうだったのを忘れもしない! 今日はその名画はない、フェルメールの映画も以前見たが、子沢山で、奥さんはいつもやり繰りに苦労していた。 あの真珠の彼女も、実はいわくつきの女性?で、見てはいけない芸術家の私生活を知ってしまった気がした(^-^;、 私は美術館の名画に囲まれ、ゆったり座っているのが幸せで好きだ。 ルーブルでは「ドラクロワの自由の女神」の前にひとだかりもないし、モネの睡蓮の部屋も何時間も座っていられる、なのに渋谷では人混みでどの絵もゆっくり見られない。 残念だが日本だし連休では仕方ないか? ところで、巷で、いわゆる名画!名画と騒がれるが、確かに名画と言うものは作品の中から人物だったら、その目やしぐさで心を表現しているからすぐ分かる。 音楽もそうだが魂のあるものは、技術の先に伝わるものがある。だから技術は磨けても魂は真似が出来ない。 芸術は奥が深い、本物を見分けられる年齢になり、あまりに本物が遠い現実だ。せめて生徒たちには心を教える先生でありたい!と思った! 最近は見たい映画が目白押し! 初日にチェックした「ナタリー・ポートマンのブラックスワン」の感想は後日! |
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