May/'08

’08/05月

2008年05月28日

先週末、18日はピティナステップ審査で熊谷に2泊していた。
移動も新幹線もホテルも大好きというか?環境が変わるのが大好きなので、これから始まる夏の審査、日本横断大移動も楽しみなくらいなのだ…。
どんな事でも楽しみに替えられるポジティブな性格のせいか?人様が大変ですね(汗)とおっしゃるほど苦ではないのが、申し訳ない〜。
移動の新幹線では、溜まったメールの返信をしたり、本を読んだり、吟味したお弁当食べたり、あっという間だ…。
ホテルは、一度お化け遭遇初体験して以来、誘眠剤を必ず飲むようにしているし、水晶も身に着けてるから大丈夫だし〜。
ところで、東北新幹線に常備してあるトランヴェールという雑誌の今月号に、なかなか感動するというか?身につまされる内館牧子さんの文章が乗っていたので紹介したい。

「醜い親子」

 東京駅のホームで「はやてを待っていると、私の足元にサンドイッチとお握りが飛んできた。両方とも買ったばかりらしく、透明のラップで包んだままだ。驚いて飛んできた方向を見ると、学齢前の男の子が両親の前で泣き叫んでいる。
 「あんなもん、食べたくないッ。あんなのイヤッ。あんなもん、ゴミ。ゴミ‥。」
 驚いた。本当に「ゴミ」と言ったのだ。ゴミだから放り捨て、私の足元に飛んできたのだろう。さらに驚いたのは、両親がこのバカガキを一切叱らず、
 「ごめんごめん。じゃ、のり巻ならいいかな?おいしいのり巻も買ったんだよ」
 なんぞとぬかす。そしてバカガキとバカ親は並んで、ホームで大口を開けて食べ始めた。私はすぐにその場を離れた。とても冷静に注意などできず、こいつらに上手投げをかましかねない自分を恐れたのだ。
 2007年に、私はテレビ朝日で五時間の大作ドラマ「白虎隊」の脚本を書いた。
 ご承知の通り、白虎隊士は、会津藩の少年兵である。数え年の16歳から17歳の彼らの日常生活や藩校生活を調べていくと、いかに真摯に毎日を送り、つましい日常に喜びを見つけていたかがわかる。親や教師は懸命に生き方を説き、厳しくしつけ、彼らは恥じぬようにそれらを守った。
 白虎隊士が飲まず食わずで戦い、土砂降りの山中で野営を張ったのは自刃する前夜だ。食べ盛りの少年たちは、寒い山中で冷たい風雨にさらされ、すきっ腹を抱えて夜を過ごした。私はそのシーンを作る時、少年たちに「思い出のごちそう」を語らせようと思った。今までに食べたごちそうを、みんなに尻取りのようにあげさせるのだ。
 少年たちは会津の「こづゆ」や「棒鱈」をはじめ、「ふかしカボチャ」「茹で豆」「納豆」「そば」「干し柿」などを次々にあげ、
 「すごい大ごちそうだ!」
 と、はしゃぎ、食べた気になろうとする。しかし、翌日には何も口にせぬまま、自刃して果てるのである。
 あの頃、会津では学齢前の幼児たちにも
「戸外で物を食べてはなりませぬ」
 と叩き込んでいた。あれから140年がたったとはいえ、食べたくない物を「ゴミ」と言って投げ捨てる幼児と、それを叱らぬ親、そしてそろってホームでのり巻を頬張る姿は、あまりにも醜い。

トランヴェール5月号より


2008年05月09日

連休開始一日目29日は初ディズニーシーに出掛けていた〜。
連れは、ディズニーがあまり好きでない姪っ子(ミラコスタに泊まると言ったら何故か?ついて来た)とその母である、私の実の姉と三人である。
東京駅にのんびり昼頃集合して、つらつらおしゃべりしながら、浦安に着いたものの、三人とも一体何処がシーかもわからない。
借りたガイドブックを頼りに、シーサイドラインとやらに乗り、テンション低くミラコスタにチエックインして、いよいよシーに入場したのだが、三人とも、それぞれ遊ぶ事には天然な上、無類の方向音痴…、一致するのは食い気だけ。
美味しいものの為には妥協せず、食べ物はシェアなどはもっての他のご法度。
自分のお皿に入った物は、あくまで自分の物なのだ。
お昼御飯を吟味しながら、ぐるぐる歩き回った末、メキシコ料理に決めてタコスを食べてから、ぶらぶら歩く。
「そうだ…ここは遊園地なんだから、ファーストパスとやらをとらねば!」とインディージョーンズのアトラクションの発券機に入場券を入れたら、なんと姉のチケットだけ長いではないか?見ればシンドバッドのファーストパスが一組様おまけで付いていた。
早速ラッキーだあ。というわけでシンドバッドに乗る。
楽しい音楽に少しテンション上がる。
さて呑気御一行様が見上げると、シアターの看板…んじゃ…と入ってみたらアラジンと魔法のランプ…飛び出す眼鏡つけて子供騙しを楽しんだ後は、童心に帰りカルーセルに乗ってみようか?と二人を誘う…。
フランス映画に出て来る、手回しオルガンの音楽に合わせ、アメリになってみたかったのだ。
さて、お次は何故か見上げると、再びシアターの看板が〜つられて入ったら、アリエル〜人魚姫のショーだった。
これはなかなか良かった…。音楽と演出が素敵だ。
これで入場料が相殺の気分だ…。姉と“やはり音楽の力は偉大だね〜音楽がなかったらシンドバッドの感動もアリエルも感動なかったね”“音楽は空間最高芸術だわ。”納得…。
さてそうこうするうちに、インディジョーンズのファーストパスの時間が迫って来た…。
慌てて、元来た道を探しあてて戻り、インディジョーンズに乗った!
絶叫とまではいかないが、映画のシーンを彷彿とさせてなかなか迫力あり面白かった。
さて充分遊んだがまだ4時…私のリクエストで、タワーオブテラーに乗ろうと誘う。
その前に、せっかくだから船にでも乗ろうと船着き場に行くと、なんだかショーがあるからと行き先が変更です〜とアナウンス。
まあ乗り間違えたからと言ってスワニー河じゃああるまいし、所詮ここはディズニーシーさ。と開き直って乗る。
海風が心地よい五月だ〜呑気だね〜と着いたらタワーオブテラーの前ではないか?
超ラッキー!とファーストパスを取ろうとしたら、何と現在4時なのに乗れるのは9時だというではないか?
数々の小さな運も底を着いたか?と、どうすべきか呆然と立っていたら、後ろから「すみませんがタワーにのりたいんですか?チケット使わないのでどうぞ使ってください。」と3枚差し出されたのだ。
あまりのつきに恐ろしくなったが、しかしこれが恐怖の神様の大サービスだとはあと数分で気付いたのだが、その時は何も知らず(汗)手放しで運の良さに喜ぶ三人だった。
タワーには持病が目まいの姉を残して姪っ子と二人で行列を尻目に先頭集団と乗りこんだはいいが、「怖い物知らずの諸君!逃げ出すなら今のうちだ!」というイントロに「しまった!」と後退りして出口をマジ探してしまった!
しかし横に小学生にもならない子供がいるのを見て、こんな年端もいかない子供が乗れておばさんの私に乗れないはずはないと腹をくくる。
まるで電気椅子のシートベルトのような座席で、真っ暗闇のエレベーターに十数人で乗り込むとたん、いっきにエレベーターが急上昇した。次の瞬間突如として視界がパッと開きディズニーシーの景色が眼下に広がったかと思ったら、「愚か者めが、!ハハハ」と笑い声が聞こえて来たのは夢か幻か?「シリキリトゥンドゥの呪いだ〜」という声と共に急降下!その速さに身体が宙に浮く!暗闇にきゃ〜キャ〜と悲鳴が響く。
当の私はヒィ〜と声も出ない〜、下まで着いたと思いきやまた急上昇もんどりうってまた急降下!やめて〜と目を硬くつむる。
そうだ!これと同じ経験をしたことがあるではないか?数年前ピティナステップ審査で熊本に行った時だった。折しも台風が来ていて羽田は欠航便が相次ぐなか熊本は断念か?とピティナ本部に連絡したら、「何とか行って下さい」というではないか?
熊本ラーメン楽しみに引き受けたのにチーフだった事が、今や裏目に〜仕方なく、この便が最後であとは欠航という最後の飛行機に乗り込んだのだ。
しかし、何と横浜に上陸中の台風に突っ込んで行ったのだ。その時の恐怖は言い様がなかった〜。
上がって下がって唇が冷たくなり、冷や汗が出てお願い降ろして〜いや降りれない。と半べそだった。
それを思えばまだましか?
こちらはアトラクションだ。二回三回繰り返したら、何気なくドアが開いて助かった。
姪っ子曰く、「夢の国ディズニーなんだから、そこまで徹底的に怖がらせはしないよ。」だとさ?
しかし私には十分だった。あと二回もあったら失神だった…。いやあ、しかし終ってみれば長い人生、なんだか刺激的な体験だった。
さて夕食は、イタリアンを頂きながらブラビッシーモ(水上ショー)を見た。
水と音楽だ〜。バロック時代ならさしずめヘンデルが王様の為に水上の音楽を作曲して演奏しているかの如くかもしれない。
それを王様でもない我々が、贅沢にもミラコスタのベランダから、人垣に頭越しに見てるの図というわけだ。
なかなかいい感じ〜。これも音楽があっての火と水の演出だと思い、改めて音楽の偉大さとそれを仕事としている幸せを感じた。
さて、その晩はすっかり興奮して血圧があがり、睡眠薬を飲んでも眠れなかった〜。
これが私の初ディズニーシー体験だった。
まあちょっぴり庶民にしては贅沢な一日だったが、15年ぶりにディズニーに来たのだし、もういい御年だし、優雅にディズニーを楽しんだと罰は当たらないだろう…!なんて(汗)





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