August/'07

’07/8月

2007年08月31日

ピティナが終った!
今年も、“身体が無事で夏のフルマラソンを完走した!”というかんじだ〜
結果は、いずれにせよ、一人一人の子供たちにとって、有意義な夏だった事に間違いはないだろう。
私はといえば、審査の合間にカワイ全国大会や、地元の各種コンクールを何本も掛け持ちだから、ほんとに目が回るほど忙しかった
今年は、“健康おたく”を自負する私が、水にまで凝って、いわゆる“何とか還元水”を飲み、フコイダンも味方につけ、頑張れた。
流行の富士山登頂は出来ないが、自分自身的には、今年も登頂気分である。
ピティナは、今年、デュオの決勝を審査した。
デュオのレベルの向上には、目を見張るものがあった。
“4手のバランス”が絶妙に整ったペアが多くて、「お楽しみ目的の、俄か仕立てのペアでは、到底決勝を勝ち抜けないね」と、先生方との感想だった。
さて翌々日は、ホテル・ニューオータニ表彰式とパーティーだった。
表彰も、うちの決勝進出組には関係ないとは思うが、人生一回のチャンスかもしれない表彰式も、パーティーも思い出と打ち上げを兼ねて、毎年付き合う事にしているのだ。
その日は、朝から既にレッスンが入っていたのだが、朝御飯を食べ損ない(いつもの事だが)、レッスンもいつもの事でおして、ついでにお昼も食べる暇も無く、慌てて地下鉄で赤坂見附に駆け付ける。
相変わらずの三好時間に、席を毎年取ってくれてる友人達に、「また今年も遅刻かい?」と呆れられた。
腹ペコだが、パーティーで食べたらいいや、と思ったのが猿の浅知恵だった。
表彰式は、残念ながらと言うべきか?やっぱりと言うべきか?残念賞?だったのだが、ここに参集出来ただけでも、どれだけ幸運か分からないから、お祝い気分でパーティーに臨む。
しかし、お腹が空いている。
ピティナのパーティーで存分に食べるなどとは、有り得ないのは悲しいかな、長年の経験上承知だったのだが、甘かった(泣)
スパゲティーの前を、子供に混じって、お皿を突出してる姿は、まるで戦後混乱期の配給の欠食児童さながらの風景だ〜。
これが、ニューオータニのブッフェか?“あ〜嘘だ〜”と言う、熾烈な弱肉強食の世界である。
給仕の方も、うわてで、大人は後回し、お皿を、我よ、我よと差し出す子供たち優先である。
かく言う私も、しぶとく頑張り、何とか食べ物にやっとありつく。
ふとそんな時、この間、あまりに懐かしいからと、安くなったDVDを購入し、見た名画、「風と共にさりぬ。」の冒頭シーンで、パーティーに招かれた主人公のスカーレットに、召使のマミーが「淑女は、パーティーでガツガツ食べるもんじゃありません。みっともない。とにかくしっかり朝御飯を食べて、お腹いっぱいにしていきなさい。」というシーンが頭を横切る。
淑女には、もう縁もゆかりもない年齢だが、真理である。
しかし、私はスカーレットではない。朝から、何もお腹に入れてない上、目の前にはご馳走の山というのに、辿りつけないのだ。
さみしいではないか〜。ストレスも溜まる中、欠食児童に混じり、闘っていたら、あっという間に御開きだから、今年は、ろくろく恩師にご挨拶もままならなかった。
出口で、友人が上から降りて来て、「のびちゃん私しゃ、上でチャーハン食べて来たよ。こんなとこじゃ到底無理だしね、さあお茶しに行こうよ!」と、誘われる。
そっか〜、大人は優雅にお茶よね〜。
というわけで、友人三人とラウンジで、素晴らしい庭園みながら、お茶する為に、やっとの事で座る。
「立食配給型生存競争ブッフェは、疲れるわ〜」と優雅に座ったのだが、差し出されたメニュー見て、またまたびっくり。
ホットコーヒー1200円、げっ!スタバに慣れたチープな身には、ショックな額。やっぱり存競争に勝ち抜き、コーヒーまで辿りつけば良かった(泣)と言ったら、昨晩からオータニのデラックスルームにお泊まりのリッチな友人達からひんしゅく買った〜。
ピティナは、予選から熾烈だが、全国決勝に残ったとて、パーティーまで、延々と競争が続くのだ。
「あそこで、大人が、満足して食べようってのが間違いのもとさ。」と友人達に笑われた。
しかし、ほんとに食べる事が大好きな私である。
パーティーでは、やっとありついた料理を頬ばっていたら、何人かの父兄に、「三好先生ですか?ホムペのファンです、いつも楽しく読ませて頂いてます」と声かけられ、穴があったら入りたかった。
でも、嬉しかったです。ピアノと関係ない、くだらない事ばかり書いてますが、これからも皆さんよろしくです。


2007年08月23日

お盆休みは、全国大会や、静岡県の学生コンクールが、ある為休めないし、別の日に休んだ補習の生徒がいるから、一日も空く日はなかったが、海外単身赴任の主人が、出張で突然三日間帰って来たので、少しは妻らしい事をしてあげようと、東京レッスンを休んだ。
新築二年目の我が家は、必要無かったので、クーラーがレッスン室以外は、付けて無かったが、引越しして初めての猛暑に度肝である。
クーラーを頼んだが、来るのはお盆明けらしい。
今までレッスン室に籠っていたから、知らなかったが、とても家にいられない暑さだ〜
二人して、デパートやスーパーで昼間は身体を冷やして、夜はオールナイトの映画に行った。
旦那はハリーポッターを見たいと、私に負けずにミーハーである。
しかし、私はすでにチェック済み。
う〜む、こんな時はどうしようか?
「まあ“怪談”でも見るか?」と菊五郎と黒木瞳なら、おどろおどろしくないだろうと、見てしまったのが間違いの元。
いやあ!情念と因縁、宿命とか絡まって怖いの何の〜〜やな感じ〜ってのが正直な所だった。
ハリポタ二回見た方が、平和だったかもと後悔しながら、一足先に終った夜中12時前の映画館で、旦那のハリポタが終わるのを待っていたら、突然生徒からメールが来た。
「先生〜千葉コン受かっちまいました〜」「ひぇ〜」、その時は喜びというより、恐怖に似たものさえ覚えた。
「おぬし〜まだ死んでなかったんだ〜」
実は、ピティナの合間をぬって、受けてた千葉コン一次で、審査員の口頭講評で「来年会いましょう。」と言われてしまい、アハハ!と笑って諦めていたら、何と翌日、新聞見たら受かっちまってて、二次は、それこそピティナ本選の二日後で、レッスンもしてないし、静岡と千葉の距離は電話レッスン一回で、まあ受けるだけ、受けて、無理だからと静岡の実家にお盆休みで、今年の夏も終わりと万歳三唱、しゃんしゃんしゃんと手締めして、帰省してしまった。
結果は新聞だし、誰も見てくれる人もないし、それを休暇明け、一足先に帰ったお父さんが、二日前の新聞をあけてびっくりである。
怪談より怖い話である。
嬉しいというより、「おぬし、すでに逝ったのではなかったのかあ〜?」
正直、ゾッとした〜。
さて、その晩は、旦那のいびきもさることながら、因縁、情念とかが交錯して、怖くて眠れず、いざという時の為に、取ってあった睡眠薬をたった1錠のんでしまった。
何故って、先日テレビのバラエティの恐怖体験で、夜中の2時22分に起きていると、魂を取られるとか言っていたのを見てしまい、時はお盆だし、もう2時に近付くから、寝ないとやばいと焦って飲んだんだのだ。
10錠飲んでも、眠れないという朝青龍とは裏腹に、181数えたら記憶がない。
しかし、悲劇はこれからだった〜。
朝から、身体がだるくてだるくて、昼間息子の家で4時まで、お昼寝してしまう。
あ〜私のお盆休みはこれで、お終いという悲しい結末だった。
追伸?旦那との最後の晩餐は、何を作ったかって?よくぞ聞いてくれました。
旦那さんのリクエストは、“カレー”
それも、ハウスバーモント・カレー中辛、泣いて喜んだのは、御料理教室で懐石料理をいまだに習うグルメな私です。
旦那は、幸せそうにカレーを3杯おかわりして、また翌日海外に出掛けて行きましたとさ。


2007年08月18日

ピティナ本選が終った!
今年も、無事ゴール!終った!というのが実感だ〜。
気の置けない先生仲間から、「のびちゃん今年は何本当たり?」と矢と的の印がメールで送られて来る。
それを見るにつけ、つくづく全国は運次第だと笑える。
勿論、毎年、全国大会は常連という実力の子供たちもいるから。例外もあるんだろうが、どんな実力の持ち主でも、全ての条件を満たさなければ、残席1だ2だの幸運を掴むのは難しい。
審査員との相性、ホールの響き、弾き順などは特に微妙な問題である。
うちは、今年は全国はBとCで3名、次点と分かっている生徒が少なくとも、3名から4名いた。
残念だが、運を掴むのも、掴めないのも実力の内だし、分かった弱点を、今後勉強して埋めていけば良いのだから、目標がしっかり出来て喜ばしいし、ピティナでは、いや、コンクールでは一喜一憂などはしない様、長年の経験上、鍛えられてきた。
ベテランの先生ほど、皆そうだし、皆口を揃えて、同じ意見なのが、小さい年齢の子ほど、運次第で、まだ小さいうちにあまり良い賞を頂く事ほど、危険な事は無いとおっしゃる。
コンクールは、利用するもので、振り回されるものではないのは、口が酸っぱくなるほど、言ってはいるが、これだけ、レベルが上がり加熱してくると、難しい事だが、神様に試されてるとでも思い、我慢してほしいものだ。
うちの全国に行った生徒に、「もしや、今年懸賞で自転車でも当たってない?」と聞いたら、「先生〜何故分かるんですか?」
「実は、[午後の紅茶]で自転車当たったんです。」と言うではないか?
何故、私がそんな事を言ったかというと、毎年の例で、全国に行った子供は、抽選などで当たり年なのだ。
実際、以前全国大会で金賞貰った子供は、夏祭りで自転車を当てていた。
こんな法則を聞いたら、努力して、実力で勝ち取った子供たちに申し訳ないし、ひんしゅく買うかもだが、だからこそ、この運と実力を過信せずに、謙虚に次に繋いで欲しい
必ず、誰にでも努力しても、報われない冬の時期が来るし、誰にでも、必ず運の良い時期が巡ってくるものだ。
神様は、いつも平等だから、いつも謙虚で、そして諦めず、努力することだと思う。
長い事、ピティナと運試しをしていると、いろんな経験をする。
弾き順が、いつも最後ばかりでラッキーな事に、全国に行った子は、数年後、これでもか?と弾き順一番ばかりの年が巡って来る。
神様はいるのかなあ?なんて思わずにはいられない〜。
さて、時はお盆である。
忙しさのピークが過ぎ、ほっとして、テレビをつけたら、“はだしのゲン”をやっていた。
戦後62年、広島原爆の悲劇も、戦中派高齢化と共に、風化の一途を辿る中、幸せな世の中が当たり前過ぎて贅沢になってしまったという思いに襲われた。
あんな時代に、生まれなくて幸せだったと思うし、コンクールで泣いて笑って悔しがって、ほんとに親も子も我々指導者も幸せだ〜。
毎日、平和でピアノのコンクールに一喜一憂出来る事に感謝しないと、罰が当たると思った。


2007年08月07日

ピティナ中盤戦である。
昔は本選といえば、お盆までやっていたから、大変だったが、今やお盆前に終わる分、10日までに集中するので、審査に行きながら、生徒を教えるから、死にそうに忙しい。
今週末は、栃木本選審査で200人の講評書きをした。
それでも、レッスンよりは、楽かもしれない。
たくさんの演奏が聞けて、自分の指導を改めて客観的にみられるからだ。
それにしても38人に一人、54人に二人、73人に三人の全国進出はあまりの狭き門で、心が傷む。
当然、私の生徒もどこかで優秀賞、奨励賞で苦戦している訳だから、他人事ではないからなのだ。
宝くじに当たるほど難しい全国大会だが、チャンスは、どんな時にも残されてるわけだから、諦めるわけにはいかない。
しかし、こんなに厳しい全国大会だが、選ばれたからといっても将来が保障されたわけでも、才能ありと認められたわけでもない。
7人の審査員に嫌われなかったと言っても過言ではない位、微妙な世界なのだ。
我々は、出来ることなら7人の審査員に好かれたいと、上を目指すのだが、人の好みほど難しいものはない。
毎年、ある時は、馬鹿馬鹿しくなる位、試行錯誤するのだが、最後に出た結果に唖然である。
こんな気持ちは、私だけかといったら、ベテランの先生でさえ、こればっかりは予測不可能と言ってるから、仕方ない事だ。
力のある無しに関係ないのは、下の級に行けばいくほどだ。
それでも、毎年懲りずにチャレンジしていくのは、生徒が、夏ごとに、人間的にも、技術的に目覚ましく成長する現実があるからだ。
しかし、25人をそれなりに悔いない戦いを終えさせるのは大変だ。
栃木で、生徒が作った川柳の話をしたら、九州の先生が、過去全国大会で、銀賞取った生徒が創ったという川柳を、教えてくれ一堂笑い泣きだった

がーがーがー 蝉よりうるさい母の声
 思い通りに弾けなくて ピティナピティナと涙がこぼれる

だと、ピティナの夏は、まだまだ続く!全国の皆さん最後まで頑張りましょう!





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