March/'07

’07/3月

2007年03月07日

パリ滞在記第二弾。
パリには、2月16日から3月1日まで約2週間居た。
6ヶ国語を自由に操る、語学堪能な姉が帰国した後は、1人で、凱旋門前で姉を見送ったら、年甲斐も無く寂しさに襲われ、ウルウルになりそうになった。
しかし、自分の子供の様な生徒達も、こうしてヨーロッパのどこかで留学して、1人で頑張っているかと思ったら、何くそへこたれてはいけない。
この国は、地震も無いらしいから、安心して、あと1週間余りを満喫しようと心に決め、一メトロに乗り継ぎ、ホテルに戻る。
姉と一緒に、大体の事はしてしまったから、やっていない事と言うと、美術館巡りである。(姉は何度も行っているから、行列が嫌で一緒に行ってくれなかったのだ。)
こうなったら、1人で初ルーブルを訪ねる。案の定、足が棒である。棒というより、股関節がギシギシと痛む。もう前に進まない。右、左、右、左と声を掛けながら、やっとの事で歩くのだ。
普段の運動不足が、こんな時悔やまれる。座りっぱなしのピアノの先生の職業病である。
"旅行も足腰の元気なうちだ"とつくづく思う。時間も暇もゆとりも出来た頃には、若い頃の半分も動けないもんだ。
憧れのモネの睡蓮を見に、オランジェリー美術館も行ってみた。そしてお次は、オルセーもと思ったが止めた。
連日、美術館で名画に浸っていたら、麻痺してきて、有難みが、イマイチになってしまった。
何でも"過ぎたるは..."である。
この中の名画の1枚が、日本に来るというだけで、普通なら行列である。
例えばドラクロワダヴィンチの名作が、そこかしこに散らばっているのだ。こうなると、感動も当然になってきてしまったからだ。
流れ作業の様に、名画を見た所で、意味がないと知り、今度はショパンのお墓をメトロを乗り継いで尋ねてみる。
"さあショパンのお墓だ!"と心がウキウキ、しかし墓地について驚いた。
その巨大さに"さあどうしたらよいものやら?"、生徒に「行ってきた!」と自慢しなくてはならないし、こうなったら探さなくては!と大体の見当を付けて、歩き回る事小1時間(石の階段を上ったり、降りたりして)。
夕方になって、小雨がパラつき、ヨーロッパの冬は寒々として暗く、墓地は日本と違って明るいとは言うものの、墓地は墓地である。
臆病の私は、諦めたくなってきた。こんなところで迷子になっては嫌である。
でもショパンなら、魂が私を導いてくれる筈である。
こんなにショパンを夜毎、日毎生徒と奏でている私である。ショパンに有難いと思われてこそいないだろうが、恨みも買っていないだろう。
「おーいショパンさん!何処だよーーー??」とショパンのソナタのメロディーの一節を口ずさんでみたら、ある一角にたどり着いた。
ふと見るとバラの花が一杯、人もいる。なんと導かれていたのである。魂が通じたのだと大感激である。
それにしても、普通のお墓の中に、紛れる様にひっそりと佇むその姿は、偉大なピアノの詩人の墓のそれとは思えないほど小さかった。
パリで孤独の内に祖国を思って、死んでいったショパンの最後を想い、涙が出そうだった。
見ると旅行者(多分ポーランド人だと思う。)英語がたどたどしく、フランス語もつたない、まるで私と一緒の男の人に、写真を撮ってもらう。
彼は、お墓にロウソクを立てて、何度も服で墓石を拭っていた、花束だらけのお墓である。
そこで、生徒の受験の成功を祈った。
日が暮れる前に、そこを立ち去れ本当にラッキーだった。(日が暮れたら、ジゼルが登場してしまうのだ)
さて、お次はノートルダム寺院である。
12・13世紀に建てられたゴシック建築は必見である。
2次試験を前に、寝込んでしまった生徒の回復を祈るという名目で出掛けて来た
何と、うちの生徒は、パリ滞在3週間目にして、疲れがピークで、40度の熱を出して、うんうん、唸って寝込んでしまったのだ。
元々、丈夫な子ではなかったし、ここ一番で、必ず熱を出す子だったので、覚悟はしていたが………。
寺院の中は、静かにパイプ・オルガンが流れ、荘厳である。
ステンドグラスから、差し込む光のなんと神々しい事、感動である。
パリに来たと、実感ひたすらである。
生徒にお守りのクロスを買い何度も振り返りながら、ノートルダムを後にした。(ノートルダムとは、私達のマリア様の意味)
パリ滞在、最後が迫るにつれ、ピアノの2次の試験も迫る。
何とか、生徒が回復出来たものの、病み上がりの体を引きずって、試験に臨んだ。
たった3人しか残れなかった日本人をして、最後まで残って欲しかったが、しかし結果は残念ながら日本人は1人のみだった。
全体では、14人しか入学許可されない、難関の2次試験であった。
残念で、悔しくて、絶句ものだが、2次まで進めた幸運を喜んで、次に繋げるしかない。
人生は、いつだってこんなものだ。しかし諦めたり、弱音を吐いたり、後ろ向きは、私達は好きではない。明るく、次に向かって、行動を起こすのみである。
パリで150人の1割に入る事は、至難である。のだめも簡単ではない。やはり、あれは漫画の世界の話である。
しかし、来年はきっと入学しようと皆で誓う。(パリは、2回目で入る人が、圧倒的に多いらしい。)
さて、パリ滞在の想い出は、こんな形で幕を閉じたが、一人で行ったビオマルシェ、美味しかった生カキ、夜景の美しかったエッフェル塔、毎朝買った、美味しかったシューケット、憧れのラデュレでのマリーアントワネッという紅茶とマカロン美しいオペラ座
書き忘れたが、一人でツアーを申し込み、ベルサイユ半日観光にも行ってきた。
鏡の間は、修復中だったが、半分は見学出来た。
美しいパリの街並み、おいしいパン、日曜のマルシェ、とても良い思い出一杯、詰め込んで、一人でパリの空港で、あと一歩と言う時に、脳天をかちわられる、悲惨な思い出が!!
お土産に買った、ビオマルシェのプルーンジャムグランマルシェで買い占めた、ディジョンのマスタードと、マロンのクリームを、何と皆没収(テロ対策で、手荷物検査が厳しくて)必死に目で「シルブプレ!」と訴えたが、無理だった。
その上、成田で荷物を回転台から取るのがしんどそうなので、男の係官のそばで荷物をヨタヨタして、取り上げようとしたのに、誰も手伝ってくれず、ギックリ腰になった。
行きのパリでは、フランス人が持ち上げてくれたのに、けちな日本人。
主人曰く、「若い女の子なら、助けてくれたよ。」つくづく、旅行は若い内に行くべきであると思った。
完全に年をとり、ヨボヨボになれば、助けてもらえるだろうが、中途半端な年寄りは、何でも見殺しだ!!
あーー腰が痛いよーー!!
これが私のパリ土産である。





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