February/'07

’07/2月

2007年02月25日

皆さんお元気ですか?
先生は無事にパリで暮らしています。
最初の一週間は、何と5ヶ国語がペラペラの姉と一緒で、食べたい物を食べ、行きたい所に行き、何も困らなかったのですが、姉も帰国し、今は一人で頑張っています。
何しろ方向音痴ですから、地図片手に一度で目的地に着かずとも、悲しいかな全くショックも受けず、です。
こちらで困った事は物価高です。ユーロが強くて、空港で換金して貰ったお金が半分近くになってしまい、悲しくなるほど不安です。
その上、コーヒー一杯、スタバでさえ、Sサイズ600円近くです。
ちゃんと外食したら大変な事になってしまいます。
こうなりゃケチケチ作戦で、自炊防衛。必死で運んだサトウの御飯が大活躍です。受験生もサトウの御飯を、ここ一番の為に、数えて食べています。
しかしチーズやワイン、果物は安いですし、パンが美味しいです。
毎朝早く起きて、近くのパン屋にシューケットという、シュー皮に砂糖をまぶした小さいパンにはまって、通っています。
あと、生ハムを食べていますから、日本の朝ご飯より満足しています。
しかし食べたいものは、やっぱりラーメンです。
こちらでラーメンは、お金をドブに捨てるくらい、高くてまずいと言われていますから、後もう少しの辛抱です。
怖かったメトロも今や毎日乗り継ぎ出来るようになりました。
生徒が練習の間は、ルーブルに行き、ぶらぶらというより、当然迷子です。
という事で、気付いたら、見たくなかったミイラの前でした、なんて事もありました??
こちらで不思議な事は、メトロでは誰も携帯メールをしてないことです。(メトロの中でも電話には出ていますが?)皆、新聞や本を読んでいます。
あと若い子は、ブランドバッグを持たず、持っている人達は、皆マダムです。
日本と反対ですから、不思議な気がしました。
そうそう肝心な受験です。
苦手なソルフェは何と90点以上取れて、二次のピアノの自由曲では、7曲準備したにも拘らず、たった2曲を弾かされ、23日に発表がありました。
受験者数150人で、合格者数は40人、その中で受けた日本人は15人。
受かった日本人は、たった3人でした。
実は、何と、何と私がミイラと御対面している間に発表があり、受かったんです。
というより、その3人のうちの一人がうちの受験生だったんです。
次は二次試験です。
課題曲のショパンのソナタラヴェルの鏡よりを弾き、受かるのは14人です。
かなり難しいので、あとは運だけ。私は、今日はパリの外れにあるショパンのお墓に、お墓参りに行って、合格祈願をして来るつもりです。
たどり着けるか不安ですが...?
では、もうすぐ帰ります。生徒の皆さん、しっかり練習して、お留守番していて下さい。
先生はお土産のお菓子の他は、願掛けで、な〜んにも買っていませんから、先生の買い物が気になる方は御安心を??
ではまた〜オ〜ヴォワール!!


2007年02月16日

いよいよ、パリ行きが迫ってきた。
普段の忙しさに加え、準備の忙しさ、留守中の引き継ぎ、発表会の準備もあるし、走り回っていたら、食べても、食べてもどんどん体重が減っていくではないか?
同情を買うつもりで、父兄にそれを告げると、「よかったじゃないですか、先生!!」と言われるから、私の事を皆、本当に不死身だと思っているらしい。
それはそれで嬉しいやら、でも一抹の寂しさも(汗)
とにかくこのHPがアップされる頃は、私はパリにいるのだろう。
知人は、「先生、12時間機内でする事が無くて、大変ですね?」と言うのだ。
私は、実はそれが一番の楽しみである。
携帯は有無を言わせず使えず、メールは来ないし、しなくてよくて、ただひたすら眠るだけである。
フランスに着けば、右も左も分からず不安だし、なんたって異国の地で緊張である。(行きは、フランスに精通している姉も同行だが?)
かといって、日本にいれば、あれやこれや心配で結局落ち着かないからである。
早く機内の人になりたい!ぐっすり眠りたい!と思って今は頑張っている。
余談だが、私のヨーロッパは常に生徒と一緒である。
ザルツブルグへ、ピティナ主催の演奏旅行に、故福田靖子専務理事の引率の元、生徒4人を連れて、モーツァルテウムに演奏会に行ったのを皮切りに、ポーランドでコンチェルトにも、生徒3人を連れて出掛けた。
あのショパンコンクールの会場であるワルシャワのホールで、コンチェルトをした感動は、今でも忘れない。
そして今回のパリだが、運命か?ザルツブルクでも一緒だった、当時小3の女の子が、今回のパリ受験なのである。
当時、私の4人の生徒の演奏を聴いて、感動してくれ、静岡に何度もレッスンに来るようになって、それがきっかけで東京にレッスン室を持ったのである。
あれから10年、人とのかかわりは数奇である。
一期一会と言うが、出会いは本当に大切である。
長くなりそうなので、早く寝ないと明日は5時起床なので、この辺で終わりにしよう。
では皆さん、パリの土産話を楽しみに。受験の結果は、世界のレベルという事で、あくまで勉強という事で行ってまいりますので、期待しないで下さいネ。(汗)
生徒の皆さん、しっかり発表会の曲を自習して、待っていて下さい。
帰ったら特訓が、待っていますよ〜〜!!


2007年02月03日

今週は、いつもの超高速回転に、更に事務処理で夜中残業が加わった為、土曜から体がボロボロになり、土、日、月、火と頭痛に悩まされ、一番忙しい日曜日は、夜中から頭痛がピークを越して、もうクモ膜下でダメかと思うくらいだった。
薬を飲みたくても、薬までたどり着けず、生き甲斐になっている月曜の朝のゴミ捨ても出来ず、床に転がっていた。
何しろ、2月中旬から3月初めまで、パリにいたのでは3月末の発表会と4月の東京の発表会のプログラム作り、留守中の生徒への連絡事項、留守中に代稽古の先生への引き継ぎ等を作っていたから、寝る間も無かった。
普段は、大雑把なくせに、旅行だ、出かけるだとなると、いつも以上に掃除などをするタイプで、変な所が几帳面で、いつも旅行先ではへばっている。
今回は、仕事とはいえ、長期の留守だから生徒が心配である。
発表会前だし、その上、寒いパリで自炊するとあって、何やかんやと準備もあったりで、普段の忙しさにプラスして、とんでもない事になっていた。
月曜午前いっぱい寝ていたら、火曜日はだいぶ楽になってきたものの、とにかく睡眠あっての体だし、体がないと魂だけでは何も付いてこないと自覚し、完璧主義を放棄する事にした。
どうせ何をやっても、完璧になんて無理なのだからと自分に言い聞かせることにした。





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