| 休み期間中に読んだ本は、真面目なものは、猪瀬直樹の「ミカドの肖像」マンガは、「デスノート」全巻、ビデオでは「プライドと偏見」「真珠の耳飾りの少女」「ナルニア国物語」「ブラザーズ・グリム」といったところだ。 「ミカドの肖像」は、最初、その分厚さに読めるかな?と生徒の親に借りた時、「こんな厚い本、先生には無理かしら?」と言われたが、とっさに「いやーー読めますよ」と虚勢を張り、ついつい手を出して、借りてしまったものの、「見栄張って借りたけど、読めるかな?」と疑心暗鬼だったのだが、それがなかなか、内容が興味深くて、作者の歴史に対する資料研究の細かさに感動しながら読んでしまった。(読めてしまったと言おう) 特に、西武の堤一族と天皇家の人々の絡みがすさまじい。 一般の世界しか知らない我々には、度肝を抜かれる内容だった。 プリンスホテルの由来を知ったら、あなたも驚くであろう。 歴史を動かすものは一体、人か?金か?政治か? 天皇家の人々の立場の弱さ、脆さを垣間見る思いがして、紀子様に男子誕生の時期も相俟って、複雑な心境で、我々の祖先が、普通の家に生まれて、良かったと実感した訳である。 「デスノート」は生徒に借りて、一気に読んだが、これは漫画だから何の問題も無いと思いきや、内容が面白いのに、これがなかなか難しい。 後半はあまりに複雑で、頭がこんがらがって、何度も読み返す。 漫画如きに、頭がよほど悪いのか?と思い、しかし恥しいので、内緒にしていたのだが、何でも打ち明けられる姪っ子が、「これは若者でも難しいよ!」と言うのを聞き、心底ほっとした。(漫画もろくろく読めなくなったとしょげていたので) ビデオで感動はあまりなかった。 評判だった「プライドと偏見」は18世紀末、イギリスの貴族の結婚がテーマだったが、よくある話だ。 シェークスピア俳優のエマ・トンプソン、アンソニー・ホプキンス「ハワード・エンド」に代表される一連の19〜20世紀貴族のイギリス映画を見漁ってしまったので、「プライドと偏見」はそれに比べると、音楽や映像、内容もかなり質が落ちると思った。(残念だった。) 「真珠の耳飾り」は17世紀の画家フェルメールの名作、「真珠の耳飾りの少女」をフィクションか?ノンフィクションか?分からないが、その絵の由来を官能的に描いた作品だった。 当時の画家の生態(実態?)が良く分かる気がしたが、突き詰めると何を言いたいのか分からずじまい。 要は、ヒロインの美しさ、清純さを際立たせただけで終わっていた気がしたが、さすがに映像はまるで絵画の様に美しかったと思う。 この映画の収穫としては当時の画家が、絵の具の無い時代、どうやって色を作り出したか?(鉱物を削るシーンなど興味深かった。) また、金持ちのパトロン無しでは、画家は家族を養う事もままならず、時には、パトロンの言いなりに、絵を描かざるを得なかった事が、改めて分かった。 フェルメールの素朴な絵が好きな方は、少々興醒めの感が否めないし、映画のテーマが希薄な事が残念な作品だった。 「ナルニア国物語」も「ロード・オブ・ザリング」の壮大さに比較すると、内容も映像も子供騙しで、お子様向けかな? 「ブラザーズ・グリム」に至っては、単なるドタバタ劇。 魔女の美しさと森と赤頭巾ちゃんのマントの赤さが不気味なくらい、美しい映像だったがグリムに出てくる森の神秘性と、童話の由来が知りたくて見ていたのだが、もう少し深みのある内容で映像化してくれたら、お伽話の深遠さに迫られたのに残念だった! 以上、ビデオの感想ですが、私の独断と偏見ですので、楽しまれた方にはごめんなさい、デス。 それに引き換え、いよいよスタートした月曜9時の「のだめカンタービレ」は面白かった。 9時に生徒を慌てて帰し、漫画がどんな風に映像化されるのかを知りたくて、2階に駆け上がる。 大体ドラマ化されると漫画の良さは半減だろうと、タカをくくっていたが、なかなかどうして、のだめの天然は、さもありなんと自然だし、千秋の音楽に対するシビアな姿勢が、ドタバタ劇をピリッとしめていて面白かった。 悲愴の2楽章も、モーツァルトの2台ピアノも、のだめ風自己流、しかしベートーベンでは音楽のハーモニー、モーツァルトでは本来持つ音楽の楽しさを表現出来ていて、細かい所にプロが手を入れているなと実感したから、音楽を聞きながら見る事が出来るのが、漫画と違い面白い。 これからは、月曜日を目指して生きる事にしよう! 些細な事でも楽しみである。(土曜目指して生きていた、「大長今」が終わるのでなおさらである。) さてこんな日常であるが、ニュースとしては"日経kids+(プラス)"という月刊誌の12月号に、思いがけず取材を受け、載ってしまった。 内容は、恥ずかしいので言えないので、興味ある人は立ち読みでもして下さい。 お陰で、全国から問い合わせが殺到してしまい、どう対応しようか思案の最中である。 生徒と先生は、相性である、それに出会いだと思うのだ。そして突き詰めると、更には縁だなと思うので、都合のよい運命論者である。 だから縁があり、出逢った生徒とは、親も含め丸ごと本音でつきあってしまうのが、私の良い所でもあり、悪い所だとも言われている。 生徒とは、なるべく距離を持って接しようと努めるが、性分で無理である。 お陰で、随分立ち入った事まで関わり、有難迷惑されている親子も多いに違いないのだ。 よくよく人が好きなんだと自分で思うし、ミーハーでひょうきんな性格が、(前世は関西生まれだと信じている。)ピアノのレッスンの所々に出てしまっているのだ。 (本人は、意識はしていないので。念の為) そういえば「パイレーツ・オブ・カリビアン」に嵌った時は、そればかりレッスンの引き合いに出していたなぁ?? 雑誌のお陰で、大先生に変身してしまったかもしれないが、(はっきり言えば誤解である。)世の中に最高の先生はたくさんいらっしゃる。 その子にとっての最高の先生が、あなたの今の先生なのだ。そう信じる事で、きっと子供は伸びるに違いない。 自分の生徒達の最高の先生になりたいと、これをキッカケに、心新たに思うのだった! |
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