July/'06

’06/7月

2006年07月17日

ピティナの夏、真っ盛りである。
うちは6月11日の予選に始まり、遅い子は7月後半まで、誰かが毎週何処かで受験している。
そして私は、週末は殆ど審査に飛び回りながら、東京と静岡を往復しているのだが、お陰様で、各種栄養サプリメント・シリーズフルコースで、何とか今年も元気である。
例年通り、今年も夏のバーゲンも無縁だったが、W杯のお陰で、と言うより、あの暑い中、ボールをひたすら追い続け、駆け回る各国の選手達を見ては、自分の生徒達の様だと思い、頑張らねばと思う日々だった。
私は、選手というより、立場上、監督の一挙手一投足に関心があった。
選手が、自分の予想を裏切るプレーをしてしまったら、監督はどんな顔をしているのだろう?などとテレビを覗き込んでいる自分がいる。(ひたすら好奇心である。)
決勝は眠い目をこすり、こすり見ようと、目覚ましをつけ、3時半に起きたものの、気付いたら、床に転がっていたから、正気に返ったのは、ジダンの頭突き辺りであった。
あれはショックだった。なんで?Pourquoi? Why?とそれから眠れなかった。
あとで家族への中傷が許せなかったと聞いて、自分の引退試合。そして世界中が見ている中でも、自分というものをしっかり持っている事。
国より、名誉より、家族の名誉を大事に思っているジダンの人間らしさに共感してしまった。
こんな事を考えているのは私くらいだろう?
それを抑えるのが知性だが、前科もあるんだしとか言われようが、私はそんな人間臭いダンが好きなのである!
しかし、イタリア選手の喜び方も嬉しくなる。あんなに喜んで頂けると、自分も幸せになるではないか?
トロフィーに次々とキスをして、狂喜乱舞。物理的には、あれはただ金の塊なのに…?
コンペもそうである。
金賞が何だ?全国大会が何だ?予選だから何だ?と時々思うの
それに振り回され、頑張っている自分は、さらに一体何だろう?と思うのだが。
この間、ある雑誌で、こんな文章を見つけて共感したので載せたい。
(ここをクリック)
ピティナやコンクールは、ここに書かれている、いわゆるインセンティブなのだと思う。
人間は、常に具体的な目標がないと頑張れない、弱き生き物なのだ!


2006年07月05日

6月末の週末は三重コンクールの審査で三重県津市に土日といた。
三重コンクールは、昨年に続き2回目だが、年々中部のパワーの高さベルアップをひしひしと感じさせられるコンクールだった。
特に小さい子供達が上手で、ピティナも同様だが、昔だったら確実に予選は通るレベルの子供たちが、些細な減点で本選に進めない。
コンクールに長く関わっていると現実の評価をどうとらえ、先につないで行くかが非常に指導者として気を使う点だが、生徒や親御さんにとっては、毎年が初めての体験なのだから、一喜一憂するなといっても無理な相談だろう。
それに、一喜一憂するからこそ、先につながる事もあるのかもしれない。
悔しい思いとか、嬉しい思いとかが、自信や次へのやる気につながっていく。
しかし、落ち込み過ぎは困りものだ。
「人と比較しないで」といっても比較しているのは、当のコンクールなのだから残酷なものだ。
コンクールを利用して、次に自分の糧とする事は、どこの先生方も声を涸らして叫んでいる事だが、こう年々レベルが上がり、本選進出者が絞られてくる現実になると、本当に受験者や指導者、親の苦労は並大抵ではない。
しかし、コンペで育って成人した子供達が、当時の真夏の熾烈な戦いを振り返って、「あの時の頑張りが、今の自分の自信になっています。苦しかった夏が懐かしく、いい思い出となって甦って来ます。」という言葉を聞かされると、普段とは手の平を返したように、鬼の様に形相を変えて、怒っている自分には、慰めの言葉である。
とはいえ、今年も例年通り本格的な夏はこれからだ。(汗)





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