| ピティナの夏、真っ盛りである。 うちは6月11日の予選に始まり、遅い子は7月後半まで、誰かが毎週何処かで受験している。 そして私は、週末は殆ど審査に飛び回りながら、東京と静岡を往復しているのだが、お陰様で、各種栄養サプリメント・シリーズのフルコースで、何とか今年も元気である。 例年通り、今年も夏のバーゲンも無縁だったが、W杯のお陰で、と言うより、あの暑い中、ボールをひたすら追い続け、駆け回る各国の選手達を見ては、自分の生徒達の様だと思い、頑張らねばと思う日々だった。 私は、選手というより、立場上、監督の一挙手一投足に関心があった。 選手が、自分の予想を裏切るプレーをしてしまったら、監督はどんな顔をしているのだろう?などとテレビを覗き込んでいる自分がいる。(ひたすら好奇心である。) 決勝は眠い目をこすり、こすり見ようと、目覚ましをつけ、3時半に起きたものの、気付いたら、床に転がっていたから、正気に返ったのは、ジダンの頭突き辺りであった。 あれはショックだった。なんで?Pourquoi? Why?とそれから眠れなかった。 あとで家族への中傷が許せなかったと聞いて、自分の引退試合。そして世界中が見ている中でも、自分というものをしっかり持っている事。 国より、名誉より、家族の名誉を大事に思っているジダンの人間らしさに共感してしまった。 こんな事を考えているのは私くらいだろう? それを抑えるのが知性だが、前科もあるんだしとか言われようが、私はそんな 人間臭いジダンが好きなのである! しかし、イタリア選手の喜び方も嬉しくなる。あんなに喜んで頂けると、自分も幸せになるではないか? トロフィーに次々とキスをして、狂喜乱舞。物理的には、あれはただの金の塊なのに…? コンペもそうである。 金賞が何だ?全国大会が何だ?予選だから何だ?と時々思うのだ それに振り回され、頑張っている自分は、さらに一体何だろう?と思うのだが。 この間、ある雑誌で、こんな文章を見つけて共感したので載せたい。 (ここをクリック) ピティナやコンクールは、ここに書かれている、いわゆるインセンティブなのだと思う。 人間は、常に具体的な目標がないと頑張れない、弱き生き物なのだ! |
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