| 今週のイベントは、何といっても、待ちに待った冬季オリンピック女子フィギュアスケートだった。 しかし、夜中の3時に果たして、起きていられるか?疑問だったが、息子のお嫁さんのお父さんから煎りたての豆を頂いたので、その豆を挽いてコーヒーを夜中に一杯飲んで寝たら、幸運にも3時過ぎにパッと目が覚めたではないか?(お父さん、ありがとう) ベッドで寝ながら、早速テレビに釘付け、予選後7〜8人位から、全員終わりまで見る事が出来た。 日本の3選手、特に高校3年生の安藤美姫が、懸命に滑る姿は、今受験を頑張っている自分の生徒達の姿と重なって、目頭が熱くなった。 そこへ横でぐっすり寝ている夫が、テレビの音に目覚めて、「うーん?転んだ?」と寝ぼけて呟いたのを聞いて、無性に腹が立ってしまった。 日本の選手のみならず、世界のどの選手達も懸命に滑っている姿に感動して、胸が熱くなるのだ。 あんな大舞台のプレッシャーの中で、普段通りの力が出し切る事がどんなに大変な事か?と思うと、本番演奏の怖さを常に抱えて、頑張っている生徒達を抱えている身としては、他人事になど到底思えないのだ。 出番直前、コーチの目をしっかり見つめ、手を握って、励ましの言葉をひたすら頼りに聞いている選手達を見ると、精神的な支えがどれだけ大事なのかを感じて、人はひとりでは頑張れないんだなと思うと同時に、彼らを支え、励ましている人達の存在を、コーチとしての今の自分と照らし合わせて、意義のある立場にいるんだなあと思わずにはいられなかった。 予選に引き続き、金メダルをかけたフリーの戦いは、勿論見たのだが、コーヒーを飲まなかったので、不覚にも4時から6時まで、テレビをつけながら寝てしまっていたものの、何とか最後のグループは、全てしっかり見る事が出来た。 フィギュアスケートは好きだが、あまり一人一人の選手の特徴については、予備知識が無かっただけに、ロシアのスルツカヤ、アメリカのサーシャ・コーエンの演技には魅了された。 あと、私はカナダの16歳の中国系の少女の、のびのびした演技も好きだった。 音楽家としてフィギュアを見ているので、常に音楽と踊り(滑り)がマッチして美しいかを見てしまうのだが、荒川静香の好きだという、プッチーニのオペラ、トゥーランドットの"誰も寝てはならない"は、パヴァロッティの歌声と共に、私の大好きな曲だっただけに感動した。(開会式にパヴァロッティ自信がこの曲を唄ったそうだが・・・さすがイタリアオペラの本場だ。) あの曲の歌詞だが、実は意味が深いのをご存じだろうか? 知らない人の為に書くと、プッチーニの最後の未完のオペラで、古い時代の中国を舞台にしたオペラで、冷酷なトゥーランドット姫の出す3つの謎を見事に解き、結婚する権利を勝ち取る、ダッタン人の王子カラフの物語で、見事に謎を解いたカラフだったが、姫が結婚を拒む為、彼は夜明けまでに、自分の名を言い当てたら、喜んで死のうと言い、街には若者の名が、分かるまで誰も寝てはならぬという、布令が出される。 ここで、有名な"誰も寝てはならぬ"のアリアが登場、「姫はやがて自分のものになる」とカラフは確信をもって歌う。 オペラ最大の聴き所、
誰も眠ってはならない!眠ってはならない! あなたもそうだ 皇女さま あなたの冷たい部屋でご覧なさい 愛と希望にふるえる星を! しかし私の秘密は私の胸にある 私の名前は誰も知ることはできない! そうではないあなたの唇に私がいう! 光が輝いた時! そして私の口づけは沈黙の中に あなたを私のものにする 逃走する夜!星は沈む!星は沈む! 暁に我は勝つ!勝つ!勝つ!
この歌詞を知っているだけに、荒川静香が演技している間、私はひたすら感動していた この曲が大好きで、この音楽を感じ、音楽にのって滑れたらと言っていたという荒川は、文字通りに勝ったのだ。 私はショートプログラムでの、コーエンとスルツカヤの演技を見ていて、あの2人の完成度と集中力には、多分逆転は不可能だと思っていたから、彼女達がメダルのプレッシャーで、本来の演技が出来ず、次々に失敗していくのを見た時、荒川選手の真の強さが、王子カラフの"我は勝つ"という言葉と重なって、ひたすら感涙だった。 アスリート達は、自分の体調とコンディションに微妙に左右されるのだから、自分の健康管理が重要な所へ持ってきて、更にメンタル面での自己鍛錬も必要だから、さらに過酷である。 そして、その上で、美しく優雅で、見る人を幸せにさせなくてはならない。 心の葛藤、肉体的な辛さ、今までの苦労のかけらを微塵も出さず、笑顔で滑らなくてはいけないのは、フィギュアが芸術の一つだという事を証明していると思う。 表現力豊かだという、村主選手は、オペラやバレエを見て勉強したというが、フィギュアはコスチュームも、音楽も全て一体化しなくてはならない。 村主選手といえば、音楽家としては残念だったのが、やはり、私の好きなラフマニノフの2番が、途中で音が飛んだか?とドキッとしたくらい、突如2楽章に飛んだり、また1楽章に戻ったりした編集が、許せなかった事で、これは曲を熟知している、我々には違和感である。 演技の流れ上、あの編集は仕方ない選択だと思うが残念である。(こんな事思うのは、私だけ?) ラフコン2番は、私が高校生の時、体育の創作ダンスの音楽担当を任された時、選曲した曲である。 実は、私が「この曲で私のグループはダンスを創作する」と言ったら、友人達から「何でこんな暗くて、重い曲で?」と白い目で見られたものだが、あれから30年以上、今やラフコンは、高橋大輔も村主選手も選んでいるではないか? あの当時の友人達が、この曲を聴いて、「あれはのびちゃんが選んで、みんなで踊った曲だ!」と思い出してくれていたら、嬉しいのだ。(忘れちゃったかな?) それは、ともかくフィギュアも音楽の選択も大切である。 サーシャ・コーエンの"黒い瞳"はノリが良くて、良かった。 素晴らしい演技は、素晴らしい音楽との融和である。 かつて、巨匠アシュケナージが、公開レッスンであの"田村響君"に言ったそうだが、「技巧的に困難な曲は、その曲のイメージを創る事が大事であり、そのイメージの音を出したいという意欲が出てくれば、弾きづらい個所も、乗り越える事が可能になる。」と話されたそうである。 難しい所になれば、ピアノでも3回転ジャンプでも、体が硬くなり、ミスを呼ぶが、如何に集中してその曲のイメージをつかんでいるかによって、音楽の流れに乗るかで演技も演奏も、のびのびと出来るのだろう。 そう思うと、ピアノの演奏もフィギュアも、共通する事がいっぱいである。 それもこれも本番に対して、良い意味で勝負にいかにこだわらず、自然体で集中出来るか? 要は他人に勝つではなく、"自分に勝つ"事なのだ。 まさにキーワードは、トゥーランドットだったのである。(納得)
さて、私事としては、今週は「自分に勝つ」為の受験生の応援のコーチ役で、東京2往復の週だった。 小さい時から、コンクール慣れしていて、ほとんど本番で上がらない子だった生徒が、年令と共にここにきて、すっかり怖さを覚えてしまっていたので、不安で心配になり、ついつい応援に行ってしまったという訳である。 高校生なので、甘やかしはいけないのだが、心配性なのでどうしようもない。 しかし、その心配性の祈りが、天に通じたのか?今週末、半ば諦めかけていた合格者十数名の狭き門である第1志望の演奏家コースに合格が決まった。やれやれである。 これで終われると思ったら大間違い。受験戦争は、3月中旬の更に狭き門の国立まで、あと2週間続くのである。 ほんとの春は、まだまだ先である。(汗) |
|
|
|
| 先週は"文芸の週だ!"と嵐の様にテレビに本に夢中になっていたが、今週は一転して、体調を崩して半病人だったから情けない。 年をとると、疲れが後に後にとなるそうで、なんだか悲しいが...。 「超人的な体力」と回りに言われるが、いやほんとは、気力で持っているだけなのです。(か弱い元乙女なのです。) 我々ピアノ教師は、会社務めではないから、朝早く起きなくても良いし、上司や部下を抱える訳でもないから、自由で気楽な分、夜は遅いし、土日や祭日返上なので、常に体調管理が必要だ。 好きな事を職業としているのが幸せなのだが、違う意味でのストレスが多くて、万が一倒れたら迷惑の掛かる人達がいっぱいだ。(自分の代役はいないのだ。) 今週は、先週食べ過ぎで、壊した胃がキリキリ痛んでいたので、主人もまた例の如く海外出張だというのを良い事に、ここで一気に痩せたいし、胃も直したいので、朝夕と"くず湯"ばかり飲んでいたら、栄養失調になったか?体力低下で途端に風邪菌にとり疲れ、週末には喉が痛くて、熱まで出てきてしまった。 ああ!こんな事なら、胃薬飲みながらでも、しっかり食べておけばと悔やまれたが後の祭り。 もう早く寝るしかないとドーピングして、一目散にベッド目がけて突進していた。 そして、やっと風邪菌が退散したら、肩こりと、偏頭痛で、週明けにはヨタヨタしていた。 もう本もビデオも街を歩く元気すらない。それでも仕事は休めないので、チョコだらけの町をフラフラしながら歩いて、静岡に辿り着く。 その上、週末、夢コンがあった。 小さい子供達を育てるのも大事な仕事だし、いろいろな経験をさせて、耳を育てないといけないから、受験で忙しかった上、少々付け焼き刃の様相を呈していたが、小学生数人をコンチェルトに挑戦させていた。 その前日のリハーサルがあったので、早朝からまた横浜だ。 夜は夜で、受験生はいよいよ来週出発だから、夜中までホールを借りて、最後の仕上げをしなくてはならない。 本当にここで倒れてなんていられないので、気合いを入れて頑張るのだが、朝起きてベッドの上に座りながら、また新幹線に乗るのかなぁ?と、休日ってどんな味がするのだろう?1日何もしない日ってどんなだったのかなぁ?と思い出そうとするが、思いだせない自分がいる。 しかし、「自分で好きでやっている事じゃないか!」と自分に言い聞かせ、また仕度して新幹線に乗る。 しかし、神様のご褒美か?全員が入賞できた上、ピアノ歴数年の野球少年が、 ビギナーズ・ラックか?全国大会に進出できる事になったらしい。 本人は、ここで一気に"のだめ"の"千秋"を目指すらしいが、口の悪い2つ年上のお姉ちゃんに、「顔が悪いから無理!」と言われているらしい。 また運が良かったから?本当にあと3月の受験が終わるまで、運を使い果たさないでいられるのだろうか? この分だと、多分宝くじは当たらないだろうと"売り切れ間近"という看板を横目で見ながら、"運"は努力と足で稼ぐのみと、言い聞かせているのである。 |
|
|
|
| 今週は、私にとって文芸の週だった。 溜まっていたDVD,ビデオ、本を読みまくり、見まくり、殆ど週末は、テレビの前に陣取り、朝2時まで起きていた。 まず、少しずつ読んでは止まっていた、“ダヴィンチ・コード”を一気に読み切り、感動して、今解説本を読んでいる。 ダヴィンチ・コードは本当か?という内容の本である。 そして、マシュー・ボーン演出"アダム・クーパー"の踊る"白鳥の湖"を最初は口をあんぐり、目をそむけつつ、しまいには妖しい魅力に引き込まれて、くぎ付けになり、翌日は"ベルリン・フィルと子供達"のDVDを見て、舞踊家と指揮者サイモン・ラウルに感動し、初心に戻って音楽の意味を探った。 とどめは、映画"トロイ"、アキレスとヘクトルの一騎打ち、ギリシャ神話"ホメロス"の壮大な歴史ロマンに旅していた。 そして最後には、TV"チャングム"の言葉に感動をするのであった。 "ダヴィンチ・コード"は、まだ読んでいない方もいると思うので、あまり話してしまっては、元も子も無いのだが、レオナルド・ダヴィンチの絵画を通して、暗号解読、そして聖書における数々の謎に鋭く迫っている。 それらを想像力を膨らませて、読むだけで知的好奇心が満たされていくのだが。 面白かったのが、著者のダン・ブラウンがこの本で、最終的に言いたかった事が、女性への畏敬の念だったところが興味深かった。 それもその筈、ダン・ブラウン自身が、妻を深く尊敬しており、この本を書くにあたり、画家でもある妻(パートナー)から、大きな知的援助だけでなく精神的にも支えられ、この本が誕生したという訳で、むしろ夫人にこの本を捧げているのだ。 全ては母なる女性から生まれ出るという訳なのだろうが、この本のキーワードである、聖杯とマグダラのマリアの謎の根源が、ここにあった気がしてならなかった。 その次に、マシュー・ボーン"白鳥の湖"を見て「ガーン!」である。 あの繊細で、ひ弱な美しい白鳥が、胸毛とわき毛に覆われて筋骨隆々の半裸の男性アダム・クーパーというのには、その筋立ての下品さに加えて、最初は気分が悪くて、いつ消そうか、いつ消そうかと思ったものだが、黒鳥が出てきた辺りでは、その妖しい魅力にすっかり虜になっていた。 気付くと、アダム・クーパーのセクシーさにメロメロになっていた。 何故これが、一大センセーショナルを起こしたのかその理由が、呑みこめたというものだ。 男尊女卑?ダヴィンチ・コードとは違った意味で、このホモセクシュアルな踊りに性別を超えた何か?を感じたのは私だけではない筈だ。 "ベルリン・フィルと子どもたち"では、難民を含む全て、ど素人の子供達がベルリン・フィルの"春の祭典"をバックに踊るのだが、その踊りを指導した舞踊家の根気、厳しさの中に愛のある指導、指揮に加え、サイモン・ラトルの音楽に対する情熱と、音楽は金持ちや選ばれた者達の物ではなく、人類全てに共通する物なのだという言葉に感動してしまった。 年齢、性別、国を越え、ひとつになれる物、それこそ音楽なのだと“春の祭典”を通して叫んでいるのだ。素晴らしかった! "トロイ"は、ギリシャ神話"トロイのヘレン"や"木馬"そして"アキレスとヘクトル"である。 ブラピの演じるアキレスの人間性が興味深かったし、ギリシャ軍の戦闘シーンが、まるで実際見ているようで面白かった!! ギリシャ神話と聖書、この2つは絵画の題材で、知らないと絵画を見るのもつまらないので、本を読んだり、忙しい中、カルチャーセンターに通ったりして、勉強した時期もあったくらい、大好きな題材だから、ダヴィンチ・コードもトロイも非常に面白かった。 子供の頃は、ピアノより絵描きになりたかったが、今やその昔あったか、なかったか?の才能の名残は、懸賞葉書の漫画書きに生かしているという訳だ。トホホ 毎週見ている、チャングム 今週のチャングムの言葉は、心に沁みた。 料理には、コツなど無い、あるのは真心と手間。何事も手間暇惜しんではいけないという事である。 近道など無い、努力あるのみ、その先にあるのは、それを口にする者の喜ぶ姿、それである。 料理は"愛"であるというのだ。 音楽にも通じるものがある。人々に感動を与える音楽を作る為、コツコツと日夜練習するのみである。 人々が感動して、喜ぶ姿のその一瞬の為に、音楽家は努力するのだ! 近道など無い、コツも無い、あるのは努力のみ。久しぶりに心に響いた。 ベルリン・フィルを見て、エリートを育てるのも大切だが、音楽や踊りを通して自分の居場所、打ち込める物、人生の目的を見つけた子供達を見ていると、自分の関わっている音楽の持つ力や偉大さに勇気づけられる私だった。 ピアノの指導は、時には、同じ事の繰り返しの様な、むなしい作業になりがちだが、そこに頑張る意味が見つけられそうな気がしたのである。 溜まりに溜まっていた、借りたビデオ、DVD、本だったが、私の中でいつしか不思議に一つになっていた。 本や映画、ドキュメンタリーは、人生を深くしてくれ、今の自分の生き方に指針を与えてくれる。 私にとっては、大切なエネルギー源だ。 という訳で、今週はしっかり充電チャージ完了である。 |
|
|
|
| 今週末は、息子と私の誕生日を遅ればせながらしたり、おざなりになっていた家の雑用 に追われていた。 それでも久しぶりにビデオを見たり、本を読んだり、自分の為の夜更かしをする心のゆとりが持てたことが嬉しかった。 しかし、受験合宿で食べ盛りの子供と一緒に食べていたせいで、すっかり2キログラム太ってしまっていた。 その上、お祝いにランチだと誘われて、いい気になっていたから、それがしっかり身について、離れないから困ったもんだ。 しかし、年が変わり、インフルエンザも我が教室に上陸し始めた。 大学受験組まで抱える身としては、ここで油断して倒れてもいられない、2キログラムの皮下脂肪は、しばらく蓄えつつ、頑張ることにする。 私は、子供相手に30年近いが、子供からあまり病気を移されない、得なというか丈夫な体質である。 おたふく風邪、水ぼうそう、嘔吐下痢症の治りかけの子供達が、学校を休んでもピアノには来るのだが、(吐き気のある子供に洗面器を持ってレッスンした事すらある。)何故か今の所、移らずに済んでいる。 しかし、うちの若いソルフェージュの先生は、いつもインフルエンザはおろか、りんご病までもらって四苦八苦である。 健康が"宝"だとは、よく言ったものである。 私も、過労と加齢で今までの様に行かないと思うが、せいぜい、うがいをふやし、対抗する事にする。 3月中半まで、とにかく倒れず、頑張らなくてはである。 受験生の皆さん! これからが本番です! 体調にはくれぐれも気をつけで頑張りましょう! そうだ!!先日当たった、名前入りの鍋がきた! しかし、その名前のあまりの小ささに、少々ショックを隠し切れなかったが、「懸賞でしょう。仕方ないよ。」と皆に言われ、「それもそうだ。」と思い直し、2匹目のどじょうを探しに、100枚程の年賀状で、ハワイでも当たっちゃいないかと、期待に胸を膨らませ、目を皿の様に、はがきの番号を照らし合わせたが、何故か今年に限って、1枚の切手シートも当たっていなかった。 年賀状を出さずに、切手シートを当てようなど、"他人のふんどしで、相撲取るな!"ということで、天罰覿面である。 やはり、そうそう運などは、無いのである。 もう今年の運は、使い切ってしまったのかなあ? そんなぁ、受験戦争は、これからが本番なのだ! 私は努力しないと、運にありつけない宿命らしい...。 また、いざ!!頑張らなくては!! |
|
|