| 今週は週の中盤から、生徒の高校受験の為、ずっと東京入りだった。 試験が、週末と日曜を挟んで、月・火と5日間も続く、長丁場である。 そのレベルの高さは言うまでもない。ピアノ科一学年12人という、超難関の東京芸大付属高校だからだ。 この日の為に、課題曲の出た9月中盤から、日夜、生徒と悪戦苦闘してきたが、めったにやっていない、ベートーベン・ソナタの全楽章とシューマンの幻想小曲集。 古典派のバイブルと本格ロマン派に振り回され、翻弄され、やっと形になりかけたら、さあ出番です!!で、息もつく間もない3カ月が終わり、ゆとりのかけらも無いうちに、試験だったから、メンタル面が一番心配だった。 という訳で、1月も始まったばかりというのに、他の生徒達にまたお休みというのも気が引けたが、しかし、仕方ない。 何とか理解してもらい、生徒に付いて、東京のスタジオに2人で、試験合宿の1週間である。 ラッキーな事に、うちの主人もまた海外出張が重なる。こんな時は出張様々である。 前日は、試験の日程を2人で上野に見に行き、場所と時間を確認するつもりが、上野でなく、鶯谷から降りたら、方向音痴で、2人でうろうろ。行けども、行けども学校が見当たらない。 やっぱり我々には縁遠い学校かも?といやな予感が横切る。 タクシーに乗れば、全く逆方向へひたすら歩いていたらしい。 やっとの事で、時間を確認して、帰り道、今度は山手線が、人が線路内に入ったとかで急停車。 明日は一体無事に試験会場に臨めるか?不安で堪らなくなるではないか? それもそのはず、弾き順が2番。朝9時半集合で、開始10:00で2番なのだ。 という事は、家を8時に出なくては、ゆとりが持てない。少しさらってから出るとなると、5時起きである。 いつも9時か10時まで寝ている私が、いったい5時に起きられるのだろうか? いや、起きられるのだろうかではなく、起きなくてはならない。(must wake up!!なんでもかんでも)こうなると緊張で夜中に何度も目が覚めるから寝た気がしない。 しかし、この日のために2人で頑張ってきたのだから、眠いなどと言ってはいられない。5時に跳び起き、いつもは、手抜きの朝食を、本格和食でしっかり朝ご飯を作る。 朝から、魚を焼いたり、お味噌汁を作るなんて事はここ数年無かったので、我ながら感動である。 子供にしっかりご飯を食べさせると、自分もつられて、5時半に朝ご飯である。まるでドラマ「おしん」である。 それから、2時間練習させ、2人でいそいそと、バス・私鉄・JRと乗り継いで、上野に着く。 鴬谷は迷ったので止め、上野の公園を横切って、学校に着く。 公園は、広々として、とても気持ちがよい。しかし噴水は、凍っているではないか? 冬の朝は、日も高くなってから起きている身には、嫌に新鮮である。 校門まで、子供を送り届け、我が子の試験が終わる時間まで、校門の外で、親は待機である。 何処の父兄も、皆そうして、我が子の終わるのを、ひたすら寒風吹きすさぶ中、祈るような気持ちで待っている。 めちゃめちゃ寒いが、中でどんなふうに弾いているかと思うだけで、これが意外に待てるもんである。 そうこうするうちに、生徒が戻ってくる。済まなそうに下を向いている。 「やっちゃったかな?」と思うが、終わったものは、怒っても仕方がない。最後まで弾け、大きなミスさえしていなければOKだから、「いいよ、いいよ」と慰め、ひたすら悔いる子供を励まし、また帰途に着く。 2日目は、朝から大雪である。静岡は雪が降らないから、生徒は雪が珍しく、大喜びである。 これでかえって、リラックスしてくれたら良いかもと思う半面、雪の積もっている所ばかり、選んで歩いて、滑りかける幼稚さに腹を立てそうになる。 「滑る前に、滑らないでよ!」と怒りながら、また上野まで2人で早朝歩いて行く。 その日は、あまりの寒さに笠地蔵になりかけたので、東京文化会館で待つ事にする。 2日目は、更に下を向いて、がっかりして、戻ってきた。「流れがなかった」「歌えなかった」「走った」だの、反省を聞いているうちに、不安の固まりに襲われる。 しまいには、「審査員が溜息ついていた。」などとオマケ付きだから、心臓に悪いなんてものではない。 その日の4時半に、2日間の結果(1次発表)が出るのだ。 お昼も食べられない。しかし、これで漏れていたら、夕飯も多分胃袋に入らないから、今のうちに最後の晩餐をしておこう、と池袋まで戻り、"グリル満天星"(名前が縁起がよい)へ行き、ランチを豪勢に2人で食べまくる。 そして、上野にUターンすると、静岡からお母さんが、万が一、通った時の事を考え、着替えを持って、待っている。 さあ、そして3人で結果を見るのである。ドキドキだ! 雪の降りしきる中、グチャグチャになりながら、また学校に戻る。入っている、入っていない、入っている、入っていないと、つぶやきながら、次第に早足になり、終いに小走りになる。 もしかして?どこかで信じている自分たちが、いるのだろうか? 辿り着いた目線の先、その番号を見つけた時の喜びといったら、口では言い表せない。 "やった………!!"、頭の中でくす玉が割れた。 奇しくも、この日は私の〇〇歳の誕生日である。何より最高の誕生日プレゼント有難う!神様!と涙がどっとあふれそうになるのを抑えるのがやっとだった。 しかし、その喜びも束の間、よく見ると合格者は17人、定員は12人である。5人も多いではないか? という事は、これからソルフェージュ、初見、そして学科の試験で、あと5人除かれるという訳である。 「えーっ!」「そんなぁ…!」また新たな2回戦の始まりである。 嬉しいけれど、複雑な気分である。 ソルフェージュも勉強してきたし、学科も捨てず、ちゃんと頑張って来てはいるが、回りを見れば、勉強には自信のありそうな頭の良さそうな子供たちばかりである。 「うーむ、これはやばい、早く帰ろう!」という訳で、帰りに、たった1日の為に、また問題集を買い込み、今度は3人でみぞれ降る中、池袋の「無敵家」というラーメン屋の暖簾をくぐる。 まだお祝いの膳を囲むのは早すぎるし、あくまでずっと、縁担ぎである。 翌日、日曜日は中休みであるが、生徒はソルフェージュと勉強の復習をひたすらやるだけである。 子供も疲れと緊張で、興奮がピークである筈なのに、夕飯にしたしゃぶしゃぶで、ご飯を3杯食べる。 頼もしさに、惚れ惚れてしていたら、食事中に目が泳ぎ始めて、落ち着かない。 「どうしたの?」と尋ねると、「すみません。」とトイレに駆け込み、ゲホッと吐いているではないか? "あー病気にしちゃった!"その時の私は、チビマル子ちゃんの縦線が、おでこに何本も・・・・。 やっと出てきたトイレから、「急いで食べたからです」と済まなそうに言うが、そんな筈はない。もう胃袋も疲れているに違いない。胃薬を飲ませ早々と寝かせる。 明日も、明後日も5時起きで、そして緊張のテストが2日間続くのだ。 朝は、お粥にして、ユンケル1本千円を飲ませる事に。人生で初めてのドリンク剤。 どうなるか?心配だが、疲労がピークに達していれば、ドーピングしても大丈夫だろう。(ピアノの時はドーピングすると、それでなくても走るタイプなのでさらに興奮して、突っ走るから、不安で飲ませなかったのだが?) 上野には、計7往復もしただろうか?ゲホッ事件も大事にならずすみ、4日間の連日試験が、無事終わる。 さあ私は静岡にUターンである。上京してきたお母さんにバトンタッチして、ずっと留守してしまった我が家に向かう。 無事に受験生の母親役と先生役をこなせ、新幹線に乗った時は、結果はどうであれ、無事に全てのスケジュールをこなせた事を、神様や支えてくれた回りの人達に、感謝の気持ちでいっぱいになる。 その一方、やはり、明日の結果が気になる。全て、後は運のみである。 そんな時、東京でバトンタッチしたお母さんから電話で、生徒がソルフェージュの先生に必勝を祈って貰った、Kit・Katの手袋を落としたと聞く。 それからは、ひたすらみんなでドヨーンと落ち込む。 ものを失くす事が、天才的に多い天然なのは知っていたが、よりによって、Kit・Katの手袋を失くすとは?その時ばかりは、ピアノの失敗より、怒りがこみ上げてきた。 それからは、もう自信が訳も無く、失われていくのを感じる。 発表は翌日午後1時だ。 朝から落ち着かず、出かけていったお料理教室の玄関をあけると、「三好さんは、明日よ。」と言われ、自分が曜日感覚も無くしている事に気付く。 その時まで、熊の様にウロウロしていても仕方がない。 誕生日のはがきを持って行くと、ポラロイドで写真を撮ってくれ、ケーキまで出してくれる、チープな焼き肉屋へ、友人とランチに行く。 それは1時少し過ぎだった。今か今かと携帯を見つめていると、 「先生!ありました!受かりました!」「ヒェーーー、本当?」という訳で、涙がポロリン。 信じられない朗報に我を失い、あらゆる友人と知人、応援し心配してくれている皆にメールを送り続けた。 長い受験戦争だった。絶対合格するぞとスタートした受験だったが、何度もめげそうになり、あきらめかけもしたが、頑張って良かったと本当に思った。 どんな事があっても最後までくじけず、頑張る事を教えてくれたのは、当の本人に他ならなかった。 いろいろな事があった。でも最後まで「ピアノが好きなんだ!」という彼の言葉を聞く度に、芸高なんて到底無理だとくじけそうになる気持ちを立て直し、頑張って来られた気がする。 皆に支えられ、守られ、戦って来られた事は、何よりの宝だ。 合格したからといって、彼の演奏家になりたいという夢の、これはほんの始まりで、スタート・ラインでしかない。 これからは、彼が自分で一つ一つ、通って行かなくてはならない道のりの入り口のカギを渡された事だけなのだ、と思うと、身が引き締まる思いだ。 しかし、今は取り敢えず、何も考えずにこの快挙をとにかく、手放しで喜ぶだけである。 喜びホッとして、その後、レッスンしていて、夜になってハタと気づいた。 「待てよ!今日はうちの息子の誕生日だ!」我が子の誕生日も忘れていた。 "人の子育て、我が子育てず。"と自責の念に駆られ、あわてて息子にメールを送ったら、息子はすっかりあきらめていた。申し訳ない事をした………、情けない………。トホホである。 しかし、もうひとつ、我が家には、この日、嬉しい事件があった。 年末に出した懸賞ハガキで名前入りの鍋が当たっていたのだ。 懸賞ハガキが目立つと良いというのを、以前小耳にはさんだので、鍋の絵を書いて送ったら、見事、名前入り鍋を当ててしまったという訳である。なんとラッキー続きではないか。 年賀状の返事を出す暇は無いのに、年末の忙しい中、色鉛筆で鍋の絵をせっせと描いている自分を思うと、年賀状を下さった方々に本当に申し訳ない気持ちである。 今年前半の運は、ショパコン、芸高、鍋で打ち止めだろうか? いやいや、まだ受験は始まったばかりで、これからである。気を許している場合ではない。 しかし、今日1日くらい、合格に鍋当選にウハウハしていても良いと言う事にしよう。 |
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| 年末年始、嵐のように過ごしていたら、あっと言う間に10日だった。 お正月が、はるか向こうのように感じるほど、年末からの10日間を走り回った。 29日は東京、30日,大晦日,元旦と静岡、2日神奈川、3日東京、4日静岡、5日東京、6日は柏ステップ審査、7日,8日は静岡、9日東京だった。 (一方、夫も4日から海外出張でいない) 一日おきに新幹線に乗っていた。目が覚めると、"今日は何?、此処は何処?"状態だった。 年初めのコンクールは、出る子供も、審査する先生方も、そして教える側にも残酷である。 人が休んでいる時に努力しなければ、進歩はないと思うが、年末年始、休めないのは辛いものである。 しかし今年はおかげで、ショパン・コンクールinアジア全国大会に3人が残ったのも幸運なら、その全国で、2人が銅賞をとり、ファイナルのアジア大会に進出し、そこでさらに入賞というお年玉付きだった。 テレビで、サッカーの選手が勝負の秘訣はと聞かれていたのに、「運です。」と答えていたのが印象的だったが、努力していないと運にも恵まれないから、何事もひたすら努力あるのみなのか? どの子も、最後まで諦めず、頑張って運をつかんでくれた事に感謝している。 頑張るだけがとりえの私だが、これで結構、諦めも早く、何度か生徒や親に、「もう限界、諦めようよ。」と言ったか分からない。 その度に、生徒に「先生、頑張るから、諦めないで!」と励まされている駄目先生なのだ。 1月中旬には、高校受験組みも控えている。 まだまだ油断出来ないのだが、一方、まだ女の端くれとして、巷のバーゲン広告を横目で気にしながらも、相変わらず走り回っている。(どうせ、今年もバーゲンには、行けないのだ。) 夜には世界的ベスト・セラー"ダヴィンチ・コード"を遅ればせながら読んでいるが、大体1ページ読むと、睡魔に負けているから、果たしていつになったら、真相が解明出来るか、それこそ"謎"である。 |
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| 謹賀新年。 鳴門からクリスマスまで、そしてその後、年末年始へと嵐の様な毎日に振り回された数週間だった。 クリスマスの時期に重なった、カワイの音楽コンクール,コンクール受賞コンサート,グレンツェンのコンクールと、次から次へと押し寄せ、合間に東京往復をしていたから、目が回るようだった。 一方、受験生は気が抜けないし、昨年末程、年末が目まぐるしかった年はない。 その上、自分の好きな、"年に1度のイベント事"クリスマス・パーティーは、ちゃんと大切にしたかった。 やっぱり想い出づくりは、大切だからだ。 クリスマスは、やはりチキンの丸焼きを作らなくては!そして何より、華やかな普段と違う食事を作り、お祈りをしてケーキのロウソクを吹き消す。 こういう事は、好きな事だから、忙しくても苦ではない どんなに走り回っても、家族の喜ぶ姿が嬉しいから、今年もクリスマス・イブはそれなりに頑張った。 しかし、朝起きたら、また東京へ直行。クリスマス当日は、彼氏のいない大学生の生徒がアルバイトの後、レッスンして泊まる。 せっかくのクリスマスの日に、先生の家で過ごすのは、あまりにも侘しいと...、ステーキを焼いてごちそうする事にした。 翌26日になれば、宴の後、クリスマス・ツリーは何だか、白ける。そして年末の大掃除が、待っているではないか。 うちは、大掃除は、家中の窓ガラスを拭き、カーテンを全て洗うというのが、毎年の恒例である。 しかし、29日まで、主人も私も仕事があるから、思うように動けない。 家の中が汚いと、責任をお互い転嫁しあいながら、分担して30日から、大掃除に望み、更にお正月料理の仕込みを始める。 元旦にお嫁さんの家族が、年始挨拶に見える。 自分達を入れると、総勢10人。普段は、2人分の食卓しか作らないから、大人数の分量が分からないのと、残ったからといって、あまり同じものをいつまでも食べているのが嫌いだから、食べ切れる量だけを作る事にするので、分量がさらに分からない。 昨年から、懐石料理にしておもてなしをしたので、今年も懐石料理する事にして、30日の晩から献立作りに頭を悩ませた。 30日から、数の子の塩抜きをしたり、作り置き出来る煮物は、早めに作っておき、手順を自分なりに工夫して考える! ところが、元々、気が小さいから、なんだかうまくいくかドキドキ、ハラハラしてしまい不安である。 少しずつをたくさん出したいから、お鍋もお皿の量も半端ではない。 31日は、ずっと一日中台所に立っていた。 大晦日は、元旦のおもてなしの準備で、台所を行ったり来たりで、ゆっくりTVを見る事も出来ない。台所から紅白を盗み見しながら仕事をしていた。 元旦は御屠蘇でお祝いして、お雑煮を頂くのは世間と一緒である。 さぁー、おもてなしだ!ワインやスペインのスパークリング・ワインで乾杯して、新年を祝う。 ビストロ三好の開店である。 手順は頭に入っているが、1品ずつ、少なく出すので、食べる方はあっという間だが、作る方は、そうはいかない。 お客様を待たせず、頃合いを見計らって、次から次へと出すのが大変である。 こんなにピアノで忙しくなかったら、もっと料理の勉強も出来るし、手際ももっと違うのにと情けなくなるが、仕事のある身だから許して貰おうと、自分にいい聞かせる。 15種類ぐらい出しただろうか?皆の「おいしかったです!」というお世辞の後、お嫁さんのお父様の趣味のコーヒーを淹れてもらう。 お父様は、生豆から、自分で煎り、挽いて、コーヒーを点ててくれる。 素晴らしい香りと共に、新年会の締めくくりを無事に終えた。 新年会が終わり、ホッとしたら、年末からひいていた風邪が悪化して、熱が出てきた。咳も止まらない。 テーブルの上には、年賀状!そうだ、年賀状を書く暇もおろか、買うのさえ忘れていた。 しかし、翌日は実家に帰らねば。 忙しいので、春も秋の彼岸にも帰れない。 夏休みは尚更だから、1年に一度位、両親に会っておかなければ、会う日がない。 両親とも80を超えているが、元気である。 お昼頃、静岡を出ると大渋滞。神奈川の実家に着いたのは、夕方4時だったが、主人の実家に挨拶し、自分の実家で新年会をする。 その夜は実家に泊まり、翌日3日は、ショパコン全国大会に出る東京の生徒のレッスンだ。なにしろ、ショパコン全国大会は、7日なのだ。 ピティナのコンチェルトも年初め早かったが、ショパコンはさらに早い。 どこの生徒も、正月返上でレッスンしているに違いない。 全国大会は、レベルが高いから、どんなに頑張ったところで入賞は難しいと思うが、それでもレッスンをせず、あきらめる訳にはいかない。 "最後まで努力しなくては!"と、また3日から、いそいそと東京に向かった。という訳で私の三が日はこんなふうに明けた。 4日は、1月中盤に受験を控える、音中、音高の受験生を休めない!! そして6日は、柏のステップ審査である。 という訳で、"先生、正月はのんびりされましたか?"とメールを頂くと返答に詰まってしまう。 何でこんな人生なのか?年賀状の返事も出せなくなって、何年経つだろう? 体力が持っているから、走り回っているが、これではいけないなぁと感じてはいる。 6日ステップの審査で、咳が止まらないのが不安だ
こんな三好先生ですが、年賀状下さった皆様、ホームページを読んで下さっている皆様。私は相変わらずですが、元気にしています。 ホームページの更新の遅れ、年賀状のお返事を出せないのをどうぞお許し下さい。 旧年中同様、今年もどうぞ宜しくお願い致します。 |
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| (前回の続き) さて鳴門だが、日本地図に詳しくない私は、それがどの辺りか全く分かっていない。 旅行の醍醐味は、下調べ、下準備にあるのは知っているが、そんな余裕は無かった。 リーダー的な友人から、予定表を貰い、自分が何時の新幹線に乗れば良いだけを確認して、後は友人たちの後に付いて行くだけである。 途中、神戸で本格飲茶を頂き、鳴門のエクシィヴに泊まり、帰りは神戸ルミナリエを見学するのである。 しかし、この所のハードスケジュールで、私の胃壁は、ずたずただった。 真夜中までレッスンするせいで、朝食は食べられず、昼一食ドカ食いして、あと夜はスープ状のものを食べているのだから、体重はお陰で減るものの、何だかストレスと疲労で胃が重くて痛い。 こんな所へ美食家の仲間達と同じテンションで、悔いなく食べ歩き出来るのだろうか? 不安でいっぱいになりながら胃薬を飲む。 こういう事は、友人達に気を使わせて、せっかくの旅をつまらなくさせてはと内緒にしておくことにしたが、新幹線の中でコーヒーを飲んだら、胃がキリキリ痛み出し、もう駄目状態。しかし、神戸の"オールド香港亭"が待っている。 これは、六甲ホテルの前にあり、飲茶のワゴンが何台も次から次へとやってくる、美食家垂涎の飲茶である。 その量、種類といったら半端ではない。 大感激して、後で死んでもいいからと、とりあえずどんどん胃袋にしまい込む。 せっかく神戸まで来たのだからと、皆と同じ量を食べて、さぁーー胃はどうなのか?と思いきや、何だか落ち着いている。 それから、バスに揺られ、鳴門海峡を渡り、四国に渡ったそうであるが、私はもう連日連夜の疲労でぐったり。 そばで、「こんないい景色を見ないで寝ちゃうなんて信じられない。」という皆の声が聞こえ、ひんしゅくを買っているのが分かるが、もうどう思われても構わない。睡魔に負けてぐったり寝ていた。 鳴門は、しかし素晴らしい絶景であった。 この会員制のホテルの素晴らしさは、リストのヴィラ・デ・エステもさもありなんと、彷彿させる素晴らしさだった。 さて、皆で温泉に入り、カウンター会席で懐石料理を頂いたが、素晴らしく美味しかった。 シャブリの白ワインを頂き、懐石料理に舌づつみを打ったら、来てよかった!とつくづく思った。 私は真に食いしん坊である。 その上、クリスマス前とあって、混んでいず、ゆったり気のおけない3人だけで、食事を頂き、リラックスしていたら、ちっとも胃が痛くない。 こんなに食べているのに不思議である。"やっぱりストレスが、体には一番いけないのだなぁ"と思う。 常にコンクールや受験に晒され、ストレスには強いはずの私の胃も、この所の更なるハードスケジュールには、すっかりお疲れモードだったようだ。 ゆったり食べていれば、大食いでもOKなのだろうか。 その夜は、皆でゆっくり語り合い、ほろ酔い加減で、ベッドに何の悩みも無く、潜り込む。 朝も、温泉にと思ったが、目が覚めるとまだまだ寝足りない。疲れがどっと出てきて、動けない。 私は、温泉をパスして、ベッドに残ったのが悔いである。 しかし、更に美しい風景を見ながら、皆と優雅な朝ごはんを食べていたら、雪が舞ってきた。それも風を伴い吹雪となる。 急遽、鳴門のうず潮を見るのを中止して、バスに揺られ、また神戸に戻った。 ルミナリエが点灯するのは、夕方5時半。それを見て、家に帰れば真夜中。 コンクールと受験生が気になる。ルミナリエと受験生、やはり、私は迷わず受験生をとった。 友達には申し訳ないが、ここまで付いて来られたのも奇跡なら、こんな忙しい中、鳴門に連れて来て貰えたのも感謝である。 ここでルミナリエまで見てしまったら、バチが当たりそうではないか? 夢は、全て叶えず、あと少し残しておくのも、これからの楽しみのひとつと自分に言い聞かせ、こんな時期に自分にご褒美するのも早過ぎると思った。 いやいや、悲しいかな?ただの仕事人間である。 遊びに少々の罪悪感を持つ、何と気の小さい"小心者"である。 ルミナリエを見たからといって、受験生やコンクールの結果にさほど影響無いに違いないのに、やっぱりその時の私は、帰ることにしていた。 新幹線に揺られていたら、友人から"神戸は頑張っています!"とタイトル入りのルミナリエの映像が携帯に送られてきた。 そうか神戸は、あの震災から10年だったのだ。 そんなことも忘れていた自分の愚かさが恥ずかしい。 という訳で、私はそのままレッスンをして、夜中2時に寝て、8時に跳び起き、また東京に戻るべく、気付くと新幹線に乗っていた。 そして、火曜日の夕方に藤枝に戻った時は、金曜日に鳴門に出掛けたままの、服装だったから、5日間"着たきり雀"だったという訳だ。 なんだか情けなかった。すっかりこの所、女も主婦も捨てている。しかし週末はクリスマスだ! 家族の為に、クリスマス料理を作らねばいけないから、主婦に変身せねばならない。 マトリックスみたいに、自分を何人も増やしたい師走である。 (2週間も遅れてすみません。) |
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