| 先週末10/16は、私が月一回通うお料理教室の先生の20周年記念パーティーだった。 お料理教室では、課外授業として先生と一緒に食事に出掛けたり、旅行に出かけたりといったイベントがあるが、私は仕事もあって全く1度もと言っていい程、参加していなかった。 今回も仕事優先でご遠慮させて頂くつもりだったが、たまたまその会のお世話係が、私のクラスになっていた事と、10月は土日が5回あったので、何とか時間の都合をやりくり出来そうなので参加する事になった。 しかしこのお世話係、何かと仕事があった! 招待状作成、招待客へのお土産の手作り、会の司会進行を全部とにかく1から10まで会に責任を持つのだが、私はこれらの一つにも参加出来ない。 ひたすら申し訳ないと思っていたら、皆さんが私にぴったりのペナルティーを有難くわざわざ考えて下さっていた。 それは、ウエルカムピアノ演奏! お客様が会場に入る迄の間、ピアノの生演奏をするって訳である。えっっ??と驚くが、もうこれは逃げられないではないか? 有難くお引き受けして、皆に協力するしかない。 場所は御殿場のホテルのフランス料理店。 しかしここのところ、ご馳走には無縁の生活だったので、胃袋が密かに期待に胸を膨らます。 早朝7時に起き、御殿場に到着して、お昼近くの開場から開演までの間、ひたすらピアノを弾いた。 曲目は、先生のリクエストでエルガーの"愛の挨拶"良かったーー! もし、これが大曲でもプロなのだから、断れないではないか? その"愛の挨拶"を繰り返し、繰り返し聴き続ける事1時間。終わる頃にはしっかり暗譜してしまった。 パーティーはとても楽しかった。生徒さんのハーブ演奏、モダンダンスの披露あり、私のクラスの生徒の手品あり、その上素晴らしかったのは、招待客で陶芸家の方の篠笛の演奏だった。 秋雨のそぼ降る箱根の山中で、心に沁みるような篠笛は、日本人としての心の郷愁を呼び覚まさせてくれた。 頂いたのは、フランス料理のフルコースだったが、この笛の音に胸打たれるのは、やはり日本人なんだなぁと改めて思った。 昔、電気もテレビもない時代、山中で寂しく暮らしていたら、心を癒す音楽としては、こういう笛を手作りし、そしてそれを吹く事だったのだろうなぁ。 人間と音楽との原点を垣間見るような素朴な音色だった。 その方は、陶芸のかたわら、自分でそばを打ち、篠笛を吹き、山で暮らしているというから、うちの主人の様なストレスはないのだろうなぁ?なんて余計な事を考えていた! 好きな事をして、好きな空間で生きられる事は幸せだが、殆どの人達は、色々なしがらみで、全ての事をあきらめてしまううちに、自分が本当は何をしたいのか忘れてしまうような気がする。 気付いたら定年で、そうなると仕事一筋で無趣味な夫は、妻から離婚状を突き付けられ、いわゆる今テレビやドラマではやりの"熟年離婚"である。 うちの主人は、「僕は大丈夫かなぁ?」なんてつぶやいていたが、こちらは健康が続く限りの仕事がある。 夫は、60歳定年。後10年はあるが、こう毎日嵐のように速く過ぎていけば、あっという間だ。 仕事以外の趣味を早く見つけて欲しい、と篠笛を聞きながら、男のロマン、日本人の心、現実問題を行きつ、戻りつしてしまった。 100人の招待客の中、篠笛を聞きながら、こんな事まであれこれ思い巡らせていたのは、多分私だけだったろうと思う。 主役の先生の1人息子さんの母への手紙も感動的だった。 辛口のユーモアと、底に流れる母親への思いが、「あなたの作るもの全てがおふくろの味ですよ!」と言わんばかりで、全ての招待客の感動と羨望を誘った。 本当に心に残るパーティーで、その上無事大役を果たせほっとした! 帰りは、慌てて飛び出し、箱根小田急ロマンスカー"あさぎり"に飛び乗る。 休める筈が、やはり東京でレッスンをしなければいけない。 クラシック・コンクールの生徒がいる事をうっかり忘れていたのだ。 しかし、箱根から飛んで帰って、レッスンした甲斐もあり、高校生のその子はクラッシック・コンクールで難関の全国大会に残った。何事も最後まで諦めない事が肝心だ。 |
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| 時はショパコンイヤーである。 今年は子供も自立したので、本場ポーランドに行こうか?と友人達と春あたりには、盛り上がっていたものの、私も友人達もなんやかんやと毎日忙しく追われ、夢がついに実現出来なかった。 今年は、ピティナっ子の超エリート達が、ぞろぞろ参加するとあってピティナでも総力挙げての応援態勢だし、知人や友人,先輩の諸先生方もポーランド現地入りで、皆お留守である。 日本に取り残された我々は、ネットで応援という訳だが、これがまた深夜だったり、一番忙しいレッスン時間だったり、となかなか落ち着いて見る事が出来ない。 こうなったら、ゆっくりハイライトの放送を待つしかなさそうだが、現地に飛んだ友人から、興奮した速報が携帯でリアルタイムに送られてくるから、嬉しいやら羨ましいやら、である。 ピティナっ子達は大健闘である。日本の音楽教育水準が、如何にハイレベルになりつつあるかが証明されているのだろうが、これからどうなるのか興味津々である。 (これを書いているのは、1次予選が通過時点である。) さて、演奏の好き嫌い、批評は各々だと思うので、言及するつもりはないが、こんな大舞台で演奏する彼らのプレッシャーは、想像に固いが、当の現代っ子は、結構このひのき舞台を楽しんでいるのかもしれない。 我々は、あのショパンコンクールに、ついこの間まで一緒に勉強していた仲間達が、参加していると思うだけで、凄い事だと思うのだが、結構古臭い考えかもしれない。 ショパンコンクールを横目で気にしつつ、私が今週興味を示した事は、2−3歳児の幼児教育のビデオである。 うちの教室では、最年少が昨年から見ている年少組の2人で、それ以下はいない。 4月生まれの年少さんでも、なかなか日本語が難しい。 「ドはレッドのドだよ、レはレモンのレ、ミはミカンのミ。」 「じゃ、これはなにかなぁとドを指せば、赤!」という調子なのだから………。 2−3歳児を一体どうやって調教するのか、興味があったのだが、生徒の親御さん(ピアノの先生)が、2−3歳児に指導しているのを聞き、どんな事をするのか?ビデオをお借りして、興味本位で見ていたが、目からウロコ。 日本の幼児教育(江口寿子先生のメソードだが)の凄さに改めて感心してしまった。 2−3歳児が主要3和音を、絶対音階で当てていたり、リズムや歌やお話しで、音符の違いを覚えていくのが面白くて、一気に4本もビデオを見てしまった。 ショパンコンクールもいいが、幼児教育も重要だ! 理屈でなく、リトミックの大切さを今更ながら実感。私も、もう少し新しい手法で、チビちゃんたちを飽きさせないよう、楽しく導入を研究してみようと思い、いい刺激になった。 それはそうと、ボージョレヌーボーも解禁間近だ。 夜はワインだ!まだワインに興味を持っている。 そもそも、自慢じゃないが、お酒は強いがあまり好んで飲まない方なのだ。 レッスンが終わり、食事を作って、勢い飲んでしまうと、後片付けも嫌だし、それでその日はピリオドになってしまい、何も出来ないからだ。 そうこうしているうちに、頂いていたワインがどんどん山積み、これらを酸化させずに、飲まねばと思ったのがきっかけなのだが。 飲むとなると、銘柄や出所が気になる。またとことんイヤな性格だ! という訳で、ワインスクールに行きたくなり、うずうずしていたが、時間がない。 大体「ワイン」といったって、所詮はお酒。 お酒を仕事より優先する訳には、いかないではないか? ならばと、いろいろな本を読んだり、ネットで調べてみるうちに、大体銘柄と出所の読み方が分かってきた。 また、毎日少しずつワインを飲んでいるうちに、徐々にだが、味の違いも分かってきた。 面白い事は、"高いワイン=おいしいワイン"ではないという事だ。 何人もの日本を代表する有名なソムリエも、家で飲むワインは千円台で、十分だと言っているし、嬉しい事に普段のワインは、彼らもそれらを愛飲している事だ。 一本数万円もする高いワインは、希少価値という事で、付加価値により、高価なのだそうだ。イコール絶対おいしいとは、ならないらしい。 要は、"自分の好きなワインを見つける事なのだ。"という事に尽きるらしい。 しかし、そこで大切な事は、まずそこそこの高価なワイン(約一本5千円位)で本物を知る事だそうであり、その上で、自分の口に合う好みの安いワインを見つける事なんだそうだ。 手っ取り早くいうと、日本人が外国人を、まず回転寿しに招待しない事と一緒という訳だ。 本物を知り、そして、それから自分の好きな安価なワインを見つける、これが、健舌家の醍醐味であるらしい 音楽も一緒で、とにかく頭も感受性も柔らかい子供達には、まず本物を与えること、より本物を見聞きさせ、耳を育てる事だ。 その上で、たくさんの音楽を聞いて、自分の好きな音楽家や演奏家を見つけて欲しいと思う? 本物を知る事、芸術の世界もワインも一緒なのだと思うと興味深い。 |
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| 今週も元気に主婦の続きをした。 お陰で、冷蔵庫内も野菜室もすっきり空っぽ。いい調子ではないか? 待てよ、こんな時に限って、強い地震が来たら、一体どうなるのだろう?と不安になる。 冷蔵庫を開けたら、何かしら無くては、数日間救援物資が届くまで、物乞いに歩くようではないか? こんなに年中忙しくしていると、近所付き合いも良い方ではないから、村八分になっていたらどうしよう?地域社会は、地域との交流も大切なのだ。 静岡は、地震がいつ来るか分からないと言われているので、常に市でも、その準備はされていると思うが…? 数年前、生徒が「先生○月○日、地震が絶対来るよ!この情報は、確かだよ!」と言うので、素直な私は、"了解!"と水と食料を友人と買い占め、その上、生徒の親にも「ここだけの話、○月○日らしいよ」とふれ回り、皆で準備万端整えたのに、待ちに待った?その日、ぐらっとも来ないのには参った! 私の言う事を信じて、玄関まで逃げる準備のものを整えた方々も少なくなかったので、申し訳ないやら、しかし、開き直って「良かったね、来なくて…本当に来たら大変だよね」と言いながら、内心冷や汗ものだった。 "備えあれば、憂いなし"とは言うものの、冷蔵庫空っぽは、まずいかもしれないと思うが、しかし、今は完璧(多分なり切れないが)主婦の真似事をしているので、こんな些細な事が嬉しいことなのだ。 冷凍したものや、ある野菜で、だいぶ料理も工夫して、出来る様になってきた。 しかし、食べたいものよりも、作れるものが優先するせいか、ちとストレスが溜まる! エコとは、ストレスが溜まるのでは? にわか専業主婦が、どれぐらい続くのか?自分でも興味津々。お陰で、色々なレストランに食べ歩きをする癖がついてしまった。 今は、フレンチに凝っていて、鴨料理を食べに、トゥール・ダルジャンを訪ね、ロブションにも行った。フカヒレ料理は、福臨門だ。 最近は、イタリア料理を食べに、予約でいっぱいのベットラダ・オチアイのところにも行ってきた。 「へぇー??凄いじゃん!」と、いやぁ、実はこれはネットで訪問して、メニューを見て、よだれを垂らすだけである。 そんな、余裕も時間も無い身である。実際はサンマを焼いて食べている私である。 そんな私の姿を肩越しに夫は、「今日はどこのレストランですか?」と声を掛けてくる。微笑ましいというより、当の本人からすると、"悲しきグルメ三昧"である。 再開した腹筋は、1日に1回ずつ増やし、今は26回になった。休み、休みである。 今更、くびれたウエストなぞ、大それた野望は抱いていないが、せめて、ポッコリおなかを、ひっこめたいものだと頑張っている。 この間、新聞でもテレビでも見たが、ダイエットというのは、遺伝子ダイエットというのが効果的らしい。 糖分を止めると痩せるリンゴ型。脂肪を止めると痩せる洋梨型。タンパク質を摂ると痩せるバナナ型とあり、それぞれ、またそれが好物らしい。 私は洋梨型で、大好きなのはてんぷら、揚げ物でどんぴしゃり。夫はご飯が大好き。 どうりで、ご飯を止めても、私は体重が減らない訳だ。おかずを減らさない限り、無理って事? 何でも自分の好きなものを、止めるのは辛いのだ。勇気がいるゾーー!。 脂肪が強敵と分かってしまったのに、最近チーズ・フォンデュを手軽に楽しめる、食べきりチーズ・フォンデュを雑誌で読んでから、はまっている。 紹介すると、市販のカマンベールチーズの、中心に十字を入れ、1分位、チンして熱々のところへ、フランスパンを小さく切るか、クルトンをからめて一人で食べる。 これは、まさに一人チーズ・フォンデュである。器もいらない上、あっという間にチーズ1個完食だ。 チーズ・フォンデュとなると、アルコール・ランプを出すは、グリルエール・チーズやエメンタール・チーズの分量も面倒だし、食べきれないと鍋にこびりついて、これがまた落とすのが一苦労。(フォンデュ鍋掃除専門だった、愛犬も居ないので尚更だ。) このカマンベールなら、残ったら、冷蔵庫に入れ、続きはまた、チンして復活だ。 なんと主婦に優しく、ごきげんな料理だ。赤ワインと、このチーズで幸せなひととき。 ささやかな、我ながら心温まる庶民の食卓。名付けて、"なんちゃってチーズ・フォンデュ"チーズを好きな方、是非お試しあれ! という訳で、脂肪ダイエットは、一体どうなるのだろうか? まぁ、心に留めて、食欲の秋を乗り切ろう!! そう言えば、前回土葬の話で、私の神奈川の田舎では、40年前は土葬だった、と暴露したが、生徒の父兄で、"20年前に三重県の田舎では、まだ土葬だった"と聞いて、私より上手がいることを知り、安心した! 20年というと、ついこの間ではないか?それも、座葬というから驚きだ。当時の友人からは、縄文時代か?とバカにされたそうだ。 私の場合は、この間まで生きていた祖母が、地中深く埋められた時のショックは忘れられないが、さっきまで、肉体を残していた叔父が、数時間後に丸々骨にになって出て来た、火葬も残酷だった。 愛犬を火葬した時もそうだった。火葬も土葬に負けず劣らず、愛する家族が、肉体を残していない事を、認めるのには十分ショックな事だ。 魂は、一体どうなっちゃうのだろう?いずれ自分も、遅かれ早かれ焼かれる身の上だが、熱いのは嫌だなと思う。何でこんな話題に行ったのだろう。ハロウィンの季節とはいえ、暗い話はやめとこう!
読書の秋である。 この間、"青島広志の作曲家発想術"という本を読んだ。 その中で、友人や同級生は、皆音楽家一族ばかりというのに、彼だけは全く環境が違ったというのだが、そんな彼がどうして芸大の作曲科に入ったかというくだりが笑えた。
以下抜粋 『昭和30年(1955年)生まれの筆者は、芸術とは無緑な家庭に生まれたが、唯一の芸術的な備品としては母方の祖父の形見である足踏みオルガンがあったことで、当時はオルガンすら持っている家は少なく、子供用の「バイエル」教則本には紙鍵盤という図が折り畳んで人っていて、音が出ないその上で指を動かすのであった。しかし、上には上がいて、小学校の同級生の家には、家族で合奏する「音楽室」があったし、東京芸術大学の同級生には、札幌の実家のどの部屋にもピアノが置いてある−脱衣所にも縦型(アップライト)ピアノがあったという女子学生や、練習する条件に合った家を探すため、一家ごと引越しを繰り返すという男子学生もいた。まるで孟子の母である。 つまり、幼時の環境が、彼を音楽の道に進ませる重要な要因になると書きたいのだが、実は経済力だけでは不充分で、そこに人的な力が加わるのである。音楽に明るい家族や知人がその大きな力になるであろうが、筆者の場合はそれが祖母であった。今から考えると病身だった彼女の唯一の仕事は、孫のお守り役で、オルガンに向かった筆者からさまざまな表現を引き出した。曰く、(テレビがなかったので)「今のラジオの音楽を弾いて」−これは「聴音」という聞きとり練習になるし、「少し変えて弾いて」−「変奏」という作曲技法となる、「この音から弾いて」−「移調」という、高さを変える技術である、等々。もっとも祖母はまったく音楽教育を受けていない人間だったから、以上の注文は孫を飽きさせないようにとの、彼女なりの必死の配慮だったのであろうが、見事に功を奏して、筆者は以上の技術を、さして苦もなく行なえるようになっているわけだ。 祖母は晩年に筆者の「初見奏」にもつき合ってくれた。一冊の曲集の中から、勝手に一曲を選び出し、当方はそれを数分見た後、弾くのであった。しかし、演奏のミスに対して、当然のことながら彼女が口をはさむことはなかった。 幼時に、音楽に親しむ−没頭するためには、さらにもう一つ重大な条件がある。それは子供が他の遊びに興味を示さない理由があるということで、筆者の場合はそれが両脚のつけ根のヘルニアであった。歩くのがやっとの状態では、外で遊ぶことができず、いきおい興味は室内へと移り、そこに恰好のオルガンがあったというわけだ。このような健康状態を示した例に、ショパンとサン=サーンスがいる。池辺晋一郎氏も、つねにベッドに寝ていたと幼児期を回想していた。』
『筆者のはじめての作品は、小学校三年の夏、モーツァルトに倣って書いた二曲のピアノ曲だったが、見せたら喜んだはずの祖母は長期人院しており、まったく興味を持たない母は、その五線紙の上に天麩羅を置き、おまけに父が醤油をこぼしてしまった。もしもこの段階で周囲の誰かが興味を示して引き上げてくれたなら、筆者の少年時代は作曲三昧となったであろう。』
と言う訳で、天才の誕生するいきさつとは、偶然の産物か?それとも、運命のいたずらかと笑いながら、考えてしまった。 |
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