August/'05

’05/8月

2005年08月31日

今週末、20日から23日まで全国大会だった。
うちの教室からはB級、C級の生徒が決勝に残っていたので、20日(土)から静岡を出発して、ホテル・ニューオータニで授賞式パーティーのある24日(水)まで5日間も東京に滞在していた。
以前は生徒の参加が少ない時、パーティーは遠慮していたが、最近は「一期一会」という言葉を大切に、「一つ一つの事を、喜びをもって受け止めるゆとりを持とう」という気持ちになった。
なるべく全国大会の打ち上げは、友人の先生方とも再会できる良い機会なので、忙しくても参加して、終章まで頑張った生徒と共に、今年の夏の締めくくりをしておきたいと思うからだ。
今年の全国大会も、例年通り悔いなく戦ったつもりだったが、惜しくも入賞ならずだった。
B級、C級もホールが一緒だったが、このホールは意外に音が響かず、コントラストが曲想につかず、綺麗に小さくまとまってしまった気がしたから、そのへんが敗因だろう。
昔は、全国大会に生徒がいても、わざわざ付いて行った事も無かったのに、上位入賞をそれなりに果たしてきてくれたが、逆に先生が熱心に応援したところで、運の無い時は、無いものだとつくづく思い、実感する。
しかし、今回は親しくしていた先生方の生徒が、素晴らしい成績を取っていたので、我が事の様に嬉しかった。
日頃の友人の先生方の苦労が、分かっているだけに、まるで自分の事の様に、感激してしまった。
長い間、コンペやステップの審査員をしていると、たくさんの同業者の友人が出来る。
皆、すごく努力しているし、勉強もしているが、同様に同じ悩みを抱えている。
その悩みを聞いたり、聞いて貰ったりしながら、励まし励まされ、頑張れるのだ。
生徒を引っ張っていくという事は、自信や信念がないと出来ないが、それなりに悩みが絶えないものだ。
答えのない芸術の世界で、ついて来る物に不安を与えてはいけないものの、我々だって生身の人間だから、その実、内面では言い知れない葛藤が数知れずだ。
その葛藤を分かり合えるのは、同じ立場で戦っている友人達だ。
ピティナには、指導者賞というのがあるが、お陰さまで今年も16年間連続で頂戴したが、最近はその数が一年間健康であったという証拠に他ならないように思える。
その数が多ければ、多いほど、「この先生は本当に体が丈夫なのだなあ」と思ってしまうのは私だけだろうか?
来年もこんなに東奔西走、元気に走り回れるのだろうか?明日の事は分からないと不安になる。
最近、音楽関係の友人ではないが、親友が大病をした。
その快気祝いの席に忙しくて出席さえできなかった。友人が電話で「ノビちゃん!もう若くないんだから、無理は出来ないからね!」「それにね、病気すると回りは薄情なもんだよ。そんな時の為にも、メンタル面を鍛えておかないとね!」言われた。
快気祝いにも行けず、電話も出来なかった。
私は薄情者の仲間入りと思うが、言い訳ではないが、決して忘れていた訳ではないのだ。
人間誰しも、自分の生活で、目一杯、結局、人の事を思いやるゆとりがないということではないだろうか。それが精神的にも肉体的にも弱ると、冷たく見えてしまうのかもしれない。
回りは何ひとつ変わっていないのに、反対に、元気な時と違って見えてしまうのかもしれない。
といっても、実際自分が大病をしてみなければ分からない事だとも思うのだが...。
健康あっての仕事、ピアノなのだと思うのに、結局毎日のペースを変えられずにいる自分が、しっかりいるのだ。
「先生、体、大丈夫?」と回りが心配してくれたりするが、「やっぱり先生は、止まると倒れるコマかもね?」と言ってもくれる。そうなのかなぁ?
一方ピティナの全国大会で混乱のさなか、地元の県の学生コンクールで小学生、中学生が本選で各々上位に入賞を果たしたと連絡が入る。ホッとする。
ピティナが終わると、8月末まで今度はグレンツェンに、コンクール初心者組みが、トロフィー目指して、初挑戦で夏休みのギリギリ最後まで、夏の陣が続くのだ。
何だか自分でも、本当に良く頑張るものだと感心してしまう。
話は戻るが、ホテルニュー・オータニのパーティーだが、今年はお腹いっぱい食べた!
1度でもパーティーに参加した方ならご存じだろうが、いつもは子供達の波に圧倒され、ご馳走まで手が届かないのだが、だんだん図々しくなったのと、日頃の飢餓状態が御馳走を前にして、我を忘れさせてくれた。
生徒達と、人の波をかき分け、押し分け、やけ食い状態フルコースでしっかり食べてしまい、お陰で夕飯までお腹がすかなかった!
(決勝で負けてもごちそう戦争では圧勝だった。)
そのせいではないが、この夏でまた2kg増、不摂生すると痩せるのではなく、太るから中年は情けないよーーー。
取り敢えず、9月からまた腹筋再開を心に誓う!


2005年08月20日

本選が11日に終わった。
という訳で、皆さんの心配をよそに、私の体力も夏バテせずに何とか持った。
久しぶりに家の中の大掃除をした。
まず冷蔵庫、ミイラ化した野菜、木の様になったゴボウ(これが本当の誤棒?)を捨てたり、冷蔵庫の大掃除をしたら、何と見事に空になった。
冷蔵庫は家族の胃袋というのに、7月末から悲惨な食生活だった。(口内炎になるのも無理はない)
可哀想な主人は、何故か、1ヶ月の内2週間、海外出張だから無事である。
いつかはまた再びペットを飼いたいが、人間様もまともに養えないのでは、今は到底無理である。
冷蔵庫の掃除の後は、1日に何回も洗濯をして、大物をたくさん洗う。
主婦業は嫌いではないというより好きである。
人に言わせれば、「たまにしかやらないからだよ。」と言われてしまう。そうかもしれない。
は草だらけだが、まあ、秋になるまで待つことにして、日焼けしないように家の中だけを雑巾掛けしたりするが、しかし慣れとは恐ろしいものである。
掃除出来ないからと我慢しているうちに、かなりそれが普通化してしまい、何処が汚いのかあまり気づかないので情けない。
「何処が汚い?気になる?」と尋ねても、皆、気遣ってか?正直に答えてくれず、「先生、いつもよく片付いているよ!」とお世辞を言ってくれる。
そんな筈はない!と股の間から見ると、違う景色に見えるというのを思い出し、やってみようとしたが、半世紀も生きた体は硬くて曲がらない。チェッ!!

水曜日はお料理教室だった。
今月はおもてなしで、先生がおもてなしをして下さる月だった。
ブルーの特注の丸いお盆の上に、銀のお皿や小鉢。何もかもおしゃれで、溜め息が出る。
何と優雅なひとときだこと。あー、あまりの自分の毎日とのギャップにショックである。
今週末は、いつものように息子達が来るから、ちゃんと料理を作ってあげようと心に決める。
という訳で、週末はカニクリーム・コロッケをしこたま揚げ、夏野菜の揚げびたし料理やら、ナスの肉詰めなどをいっぱい作り、野菜不足解消を狙う。
当の自分は、油に当たってすっかり食欲減退で、気持ち悪くなっていたが、家族の喜ぶ顔が久しぶりに嬉しかった。

日曜は、東京の生徒が殆どお盆休みで帰省してしまい、歯抜け状態だったので、思い切って休みを取り、藤枝にいたかったが、全国大会の生徒が2人も東京にいるので、やっぱり仕方なく出掛ける事にする。
お盆も結局は休めない。それでも夕方まで時間があったので、主人とたまには映画でも見ようということになり、静岡の映画館に出掛けた。
見たのはトム・クルーズ主演の"宇宙戦争"
あまりこの手の作品は、ビデオでは見るが、映画館に行ってまでは見ないが、夏休みの時期は、あまり文芸作品をやっていないから仕方ない。
エイリアンとの壮絶な戦いを繰り広げるのを大画面で見て、ストレス発散も良いかもと思う。
予想通りの展開だが、しかし結構この映画、筋はさておき、私には学ぶべきものがあった。
中身もただのパニック映画ではなく、数々のメッセージがあった。(スピルバーグはやっぱりグレートだ。)
ブルーカラーで、教養・知性が無いトム・クルーズ演じる中年の男性が、離婚して週末に引き取っている思春期の息子と、まだ小さい娘を無敵のエイリアンから守るべく、サバイバル繰り広げる。
子育てに無関心、無理解、家庭など振り返らなかった男が、家族の危機に瀕し、命を掛けて子供たちを守る姿に感動した。
これは"家族愛"の映画だなと思った。
それと同時に、大都会が一瞬にして地獄化する映像に、我々現在生きている世界でも同様の事は、明日にでも起こりうる事で、リアルで怖いと思った。
"津波、地震、テロ"エイリアンこそ襲って来ないにしても、常に我々もそんな自然の驚異晒されている訳だ。
そんな時恐ろしいのは、災害以上に人間そのものだ。
人は、絶望的な境遇に置かれた時、冷静でいられないのは仕方ないが、いかに人間が脆く、怖いものかと見せつけてくれた。
パニック状況において、冷静さ、判断力、勇気など、平和な時には分からないが、人として一番大切な“人間性”を失わず、保っていられる精神力があるかと試されてしまうと思った。
トム・クルーズ演じる主人公は、子供達の信頼を、その勇気ある行動によって得る訳だが、人間に大切なのは、知性、教養だけではない、愛に裏付けされた冷静さと判断力、精神、そして命をも惜しまない勇気ある行動だと言っている気がした。
実際ピアノのコンクールでもそうである。殆どがうまく行かない事ばかりだ。
真夏に子供と何時間も缶詰で、練習を繰り返し、何カ月もの間、家族の楽しみを返上し、ひたすら、これだけの為に努力しても、何ひとつ見返りが無かった時、色々な意味で冷静さを失う
しかし、決して結論など出してはダメだ。
このことに何の意味があるのか?その意味の行方を楽しみに待つゆとりを持ってほしい。
耐えて、辛抱して、待って報われた事が山ほどあるからこそ言えることだ。
また、コンクールの後は、たくさん時間があるせいか、必ずああでもない、こうでもないと悩みすぎてしまう。
「子供を信じて!」と言われても、にわかに信じられない時、このままでよいのだろうか?と思ったら、一人で悩まず、先生にぶつけてみるのは大事なことだ。
きっと、良きアドバイスをしてくれる筈だから、"先生はお忙しそうだから"と思わず、直接ぶつかってみるのも良いと思う。

映画に話を戻そう。
人はパニックに陥ると冷静さを失う。
地震で何時間も突然、すし詰め状態のエレベーター内に閉じ込められたらどうなるのだろう?
突然、トンネルの中で新幹線が止まったら?地下鉄で停電になったら?自分はどうなるのだろう?と思うと怖かった。
テロも、地震も、災害もいつやってくるかは分からない。心の準備はしているかと思うと出来ていない。家具を固定し、水や食料を準備した所で、その日時を予測できない。
この映画は、運命には逆らえないが、人間最後まで諦めない事、どんな境遇に陥っても生に執着して、戦う事を放棄しない事を教えてくれていた。
戦争、天災、これから何が起きるか予測も出来ない世の中だが、生きていく事、まして次元こそ違うが、「平和な悩み」とはいえ、コンペでの敗北感も現実の事だ。
逆境にさらされてこそ、人としてどう生きるか?が問われる。
何事も常に最後まで諦めない事だなぁーーーと自分に言い聞かせ、頷きながら、また東京へと新幹線に乗った。


2005年08月14日

8月7日、本選真っ只中である。
この一週間、目が回るほど超高速回転で、東京−藤枝間を走っていた。
得意の朝寝もせず、午前中は場所を変え小さいホールを借り、響きの調整をして、また午後には自宅で通常レッスンをし、夜は東京でまたレッスンだ。
その上、夜にはアミューズの大学生が泊まるから、ガバッと起きてバタッと寝るまでピアノ漬けだ。
食事は殆ど、お弁当、外食、パンだから悲惨なものだ。
東京に行くにも、ぎりぎり時間。着替えもせずに常に走っているから、気付くと普段着につっかけで新幹線のコンコースを走っているから、情けない。
しかしハイヒールなんて履いていたら、数分ダッシュも出来ないし、かといって運動靴はさすがに気が引けるのだ。
8月2日・3日、本選の審査も入っていたから、もう自分がどこにいるか、分からずじまいだ。
しかし、この殺人スケジュールも11日で終わるのだ。
パニクらない、パニクらないと自分に言い聞かせる。
本選結果は、まだ全ては出てはいないが、凄く頑張って、あと一息という生徒が入賞はしたが、全国大会には一歩及ばずだったり、今年はなんとか賞状1枚だけでも貰いたいと頑張っていたが、残念ながら祈り届かず、という例が幾つもある。
「先生!一生懸命教えてくれたのに、先生の期待にこたえられずごめんなさい。これからも頑張るから見捨てないでください。」とお母さんからメールを貰うと涙が出る。
コンクールで駄目だったら見捨てるなんて、考えたこともない。結果は悔しいがプロセスが大切なんだから。本当に暑い中、親子で頑張った事は素晴らしい!と心から思う。
結果は、神様の決めた事だから仕方ないではないか?
全国大会なんか、50名に1〜2名。D級もE級も殆ど1位のみだ。本当に宝くじ状態だ。としかいいようがない。
私の審査した本選でも、惜しい子がたくさんいた。
全国大会は、本選で入賞していたら、もう射程距離にあると思う。
後は、運だけだから悲観することは無い。神様は、公平にチャンスを用意して下さっている。
常に努力して、「日々是精進」していれば、いつかは自分にその順番がやってくるような気がする。
いつも言っている事だが、大切な事は、自分を見失わず、常に前向きに頑張って、コンクールの結果で分かった自分の弱点部分を克服し、更に勉強して行く事だ。
そして、結果が良くても悪くても、お祭り騒ぎでこのひと夏の経験を終わらせない事だ。
我々指導者も夏休みを返上して、毎夏こんな事が出来るのも、その後の子供達の飛躍的な進歩が嬉しくて、ついつい、また夏をピティナに捧げてしまうのだ。
そして、それを理解して下さった親御さん方の笑顔が、とても嬉しいのだ。
"とても良い経験をさせて頂いて、有難うございます。"と言われると、嬉しくて、"今年も頑張って良かった!"と思うのだ。
また、今年は例年に無く忙しかったのに、特に暑い中バテずにいられたのは、京都のOさん他、ホームページのお陰で、全国で応援してくださっている方々の存在が励みになったからだ。
こんないい大人でも、誉められるとやる気が起きるものですね。
心のこもったメールを有難うございました。
またまだピティナは続きますが、こんな時、頭のすみっこで聞こえてくるのはSMAPのメロディーだ。
"No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One!"
こんなに頑張ったのに、良い結果を出せなかったからとがっかりせずに、これからの子供の能力、子供の可能性を期待して、子供を信じてあげて下さい。
我々指導者にとっても、自分の生徒は、特別なOnly Oneですが、何よりお母さんにとってOnly Oneである事が、子供にとって一番嬉しい事だと思います。
愛され、信じられた子供はきっと大きな力を発揮します。
そして、きっといつか世界にひとつだけの花を咲かせることでしょう。

 花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
 人それぞれ 好みはあるけれど どれもみんな きれいだね
 この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
 バケツの中 誇らしげに しゃんと胸を張っている

 それなのに 僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのに その中で 一番になりたがる?

 そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
  困ったように 笑いながら ずっと迷ってる人がいる
 頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
 やっと店から出てきた その人が抱えていた
 色とりどりの花束と 嬉しそうな横顔

 名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
 誰も気付かないような場所で 咲いてた花のように

 そうさ 僕らも 世界に一つだけの花  一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

 小さい花や 大きな花 一つとして(小さい花 大きな花)
 同じものはないから No.1にならなくても いい
 もともと特別な ONLY ONE



8月7日は藤枝・蓮華寺池の花火大会だった。
22年ぶりに花火を見た。
22年前に大きなおなかに、ゆかたを自分で左前に着て出掛け、皆に笑われたのがついこの間のようだ。
あの時おなかにいた息子が、今や夕方から席取り合戦に参加して、レッスンが終わった母親を待っていてくれた。
池の前の特等席を陣取って、ホルストの「惑星」が流れる中、花火が次から次へと打ち上がるのを見て、感動して胸が熱くなった!
これも音楽の力だと思う。美しい景色も美しい花火も美しい音楽があり、感動出来るのだと思わずにいられなかった。
こんな時は、遠い長野に行き、本選で戦っているMちゃんの事や、今の自分の事を支えてくれている家族、友人、何もかもいとおしく、生きていてよかったと思える瞬間だった。
そして、全ての欲望や落胆が、生きていてこそ味わえる感動なのだと思えて原点に立ち戻れた気がした。
忙しい中、わずかな時間でこんなチャンスを作ってくれた息子に心から感謝した。


2005年08月07日

ピティナの予選がすべて終わった。
今年はA1(1),B(5),C(8),D(3),E(4),G(2),アミューズ(3)の計26名が本選に進む。
毎年の事だけど、生徒は元気一杯だが、それに反比例して、こちらは過労に加加齢だから、溜まったものでは無いが、"やるしかない!"という感じである。
その上、地元のコンクールが3つも4つもあるから、もう凄い事になっている。
しかし、この大変さも期間限定、いつかは終わるのだと自分に言い聞かせつつ、同業者にメールを出してみる。
こんな時は同じ悩み、辛さを分かち合える同業者の存在が救いだ。
"のびちゃんはのびちゃったー"と、メールを送ると、"こっちは、持病再発""私は頭がクルクルパーよ"とか、"レッスン合間にアイス食べ過ぎて、ストレス太りだ""もう、やってられないよー"の叫び声が聞こえてくる。
「そっか、そっか」とうなずいて、また自分も頑張る事にする。
人の不幸を喜びながら、頑張るのだから、全く悪魔の心境だ。
何せ、こっちはこっちで、口内炎で笑う事すらやっとになってしまったのである。
今はひたすら、うなぎの肝をお茶で流し込み、ありとあらゆる栄養剤を飲んで生き抜く事に徹している。
昔は、本選が8月中旬まであったが、今は8月初旬に集中しているから、本当にあっという間の出来事かもしれないが、予選が終わってひと息付く間もなく、本選に振り回されてしまう。
生徒は、自分の予選が終わったら休んでいられるが、先生はずっと休み無しだ
コンペの結果は良い方が良いが、最近は年の効か、それでも昔ほど欲張りではなくなった。
30代若かりし頃は、滅多に神頼みしないのに、生徒の受験日には、"神様!仏様!"と線香をあげて、"良い成績を取れますように!"とお願いしたものだが、最近はウソのようだが、"この結果がこの子にとって、将来良い事に結び付きますように!"とお願い出来る様になった。
それだけたくさんの子供達と、良くも悪くもあらゆる経験を積んだからかもしれない。
"大人になった"と正真正銘の大人が言うのも変だが、結構悟ったのかもしれない。
あまり悟り過ぎると、情熱が湧かない。何事もとことん頑張る時は頑張って、後悔の無い様、子供達を本選に送り出せたら、それで良しとしている。
しかし、悔い無く毎日を過ごすのは、本当に体力・気力がいるものだ(汗)





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