May/'05

’05/5月

2005年05月29日

5月21日,22日は名古屋の一宮ステップだった。
ピティナの予選が近いこの時期は、体がしんどいのでステップはもう遠慮しているのだが、名古屋は友人のI先生がステーションをしているので、せっかく年明け早々から、ご指名を頂戴したのに、お断り出来ず出掛ける事になったのだが。
あけて驚き、2日で約235名の審査が待っている。
"どうしよう??"体力が持つだろうか?
コンペ前だから、皆真剣なアドバイスを要求してくるだろうし、責任重大である。
20日の金曜日は、最終の新幹線で名古屋に着くべく、ぎりぎりまで自宅でレッスンをし、生徒を怒鳴って、喝を入れて、栄養剤をひっかけ、藤枝駅にたどり着けば、電車が止まっているではないか?
多少のアクシデントでうろたえる私ではないが、たった今の人身事故で上下線ともストップ!生徒を叱ってばかりいる天罰か?
ちっとも動く気配がない。
そこへひょっこり、AI君登場!うちのソルフェージュの帰りに、ホームで待っていた。「先生!」と声を掛けられた時、その安堵感といったらなかった。
あーこれほど頼りなく、いつも叱り飛ばしているAI君が、救世主の様に思えた事はなかった。
とはいえ、何もしてくれる訳ではないが、人間一人では生きられないものだと、つくづく身にしみた。
"いつも怒ってごめんよ"とバックに偲ばせておいたお菓子を、2人で分けながら食べ、電車を待つこと30分。
しかし構内放送では「新幹線乗車のお客様、今日は諦めて下さい!!」
えーっつ!今日中に名古屋に着かなかったら、明日のステップの審査はどうなるの?皆に迷惑を掛けられない、どうしよう?
時刻表を見ると、朝6時の新幹線なら、9時のステップ開始に間に合うと判明。
仕方ない、また我が家へと逆戻り、早速寝ることに。
とにかく、早く寝ないと!
それでも4時間しか寝られない。とはいえ、やはり寝たのは1時だった!
普段8時間寝ないと体がもたない私が、たった4時間で跳び起き、また新幹線で名古屋へと向かう。これも仕事だ!仕方ない、何とか無事一宮に着いた
そこへ一宮のI先生、青白い顔で現れた。
何と過労による急性肝炎で、入院していたとの事だが、急遽ステップの為、病院のドクターストップを振り切り、ここに来たとの事である。
I先生は、私と同年で、パワフルなのは御互い様だが、先日のお嬢さんのコンサートやら、このステップの準備やら、普段にも増して超ハードスケジュールだったのだろう。
お互い、もう無理が効かない年なのだろうが、どんなことがあろうと、気力で何でもやり抜くタイプだ!
真っ青の顔のまま、2日間司会やら、進行やらやり通してしまわれた。
当の私も必死で235人講評用紙を埋めた。
しかし、ステップの合間にあった、國谷先生トークコンサートは素晴らしかった。
"ショパンとシューマンは友人"という題名で、子供に分かりやすく、親しみやすいお話しを交え、ピアノを演奏された。
先生の温かいお人柄が、素晴らしくにじみ出て、また審査を通して素晴らしい出会いが出来た事が嬉しかった。
一宮はベテランの先生を中心に、若手の先生方がきちんと教育されていて、小さい生徒がしっかり育っている。
ピティナの課題も4曲、全部暗譜していた。
"私も帰ったらまた頑張らねば"と、名古屋パワーに圧倒され、帰ってきた。

しかし、ドリンク剤の飲み過ぎで、疲れているのに眠れず、結局一日目は、朝5時から夜中の1時まで、計21時間起きていたので、完全時差ボケ
2日目もホテルに着いたのは、夜中の11時だったから、月曜朝、新幹線で東京に向かう頃フラフラで、東京のレッスン中、午後にめまいがしてきて、椅子から落ちかける。
翌火曜は、とうとう起きられず、午前中吐き気と頭痛で、飲まず食わずで、寝込んでいた。
気力はあっても体力が続かないとはこのことだ。情けない。
ボロボロになった体を引きずりながら、何とか藤枝に帰る事が出来ほっとした。
また、元気の出るお茶を飲むことにする。
気の毒な御主人??例によって韓国に一週間、出張中でした。
彼は毎日焼き肉で、顔色つやつやになって帰っていました。


2005年05月26日

先週末5月18日金曜、AI君のチャリティー・コンサートの様子が、テレビ静岡イブニング・ニュースに紹介されびっくり仰天。
取材されていたのは知っていたのだが、これほどまでだったとは思わなかった。
彼の演奏やインタビュー、演奏会の趣旨を盛り込み、素晴らしい内容に編集されていた。
何故か、私がAI君をたしなめているところまで、字幕入りで出ているではないか?
なんだか気恥ずかしく顔をそむけたくなった
"ピアニストを目指す中高生"などと紹介され、何だかおこがましいのだ。
まだまだ、これから山あり谷あり。考えると気が遠くなるような道のりを思うと、"夢は大きく、現実は厳しく"いう感じである。
それにつけても、彼の未熟な演奏が、地域の文化や社会、ひいては平和のためのチャリティーに少しでも役にたったのかと思うと、芸術の持つ力とは大きいと思い、感激した!
いつも、彼の演奏の悪いところばかり見つけては叱っている私だが、こうして少しでも人様のお役に立つことが出来た事は、素晴らしい経験だと思うし、こうしたチャンスを与えて下さった関係者の方々、彼を見守って応援してくださっている人々、励ましてくださる方達を裏切らない様にしなくては、とつくづく思うのだった。
AI君のTV放映の内容は、以下のHPで動画で見ることが出来ます。
http://www.geocities.jp/waimada/misc/heiwa.html (Iさん家のHPです。)

沖縄から帰るとすぐ、5月8日母の日だった。
息子夫婦からカーネーションの植木鉢を貰った。
昨年は「カーネーションは強いぞ!」と甘く考え、放っておいたらあっという間に、枯らしてしまったので、今年はしっかり面倒をみるつもりだ。
何故か?植木は貰った人に例え、育ててしまうのだ。
枯れると縁起が悪いと思ってしまい、水やりに気を使う。
そのせいか、年末に頂いたシクラメンは、まだ元気だし、今年去っていった生徒に貰ったアジサイも、しおれかかっていて気になったら、その子から体調が悪くて、学校休んでいると聞き、あわてて液肥(ハイポネックス)をやる。
そんなわけで、植木を貰うと嬉しいけど、プレッシャーである。
私はサボテン、ラン系に異様に強い!
多分水やりが楽なせいかな?
でも今年はカーネーションを枯らすまいぞ!


2005年05月15日

今年の大型連休は、家族で沖縄に行っていた。
今まで、我が家はあまり家族旅行を頻繁にしなかった。
それでも息子が小学生の頃に、グアムタイのプーケットにリゾート旅行、そして昨年の結婚式にハワイに行ったくらいなので、大きな旅行はこの20年の間これくらいで、多分少ない方だろう。
それは多分、夏のピティナに関わっているせいと、主人の長期海外単身赴任も併せ、家族のスケジュールが合わなかったせいもあったと思う。
連休中沖縄というと、割高で大混乱だろうが仕方がない。この時期しか私達が自由に動けないから、思い切って出発したのだ。
沖縄は、ピティナで行っているから、2度目だが、審査のみでどこへも遊びには行けなかったし、また今年も6月沖縄3泊4日の審査依頼が来ていたが、ホールに缶詰の仕事だし、ましてその時期静岡予選があるので断らざるを得なかった。
という訳で、今回はプライベートだからとても楽しみにしていた。
しかし何と、行ってみると沖縄は、梅雨入り、薄曇りの日が多く、青い海青い空が見られず残念だった。
それでも家族で、水族館や動植物園プールで昼寝離島へとレンタカーを走らせ、非日常を味わった。
沖縄食といえば、ゴーヤチャンプラーパイナップル各種フルーツ食べ放題泡盛に大好きなもずく酢島らっきょうミミガーラフテーと酒の肴ばかりオンパレードだが、私はこれらが大好きだから、ましてホテルで朝からバイキングで、朝食を食べていたら、2kgしっかり太ってしまった。
ホテル食は高くて、イマイチおいしくないと聞いていたから、地元のお店を紹介してもらったが、そこがとても汚くて狭いのに、出てくる料理は新鮮でおいしいのだ。
すっかり沖縄食に魅了され食い倒れてきた。
3泊4日で、海外より近くて、しかしどことなく海外のムードを味わえる沖縄、なかなか良かった。
今度は梅雨でもない沖縄を、是非また訪れたいと思う!

沖縄から帰ったら、さっそく6日にはレッスン開始。7日の土曜日は、朝からAI君の出演する、チャリティー・コンサートのリハーサルと、ピティナ予選のためのリハーサルを兼ね、ホールに飛ぶ。
6月11日が静岡予選なので、5月の連休で、のんきムードに浸っている私自身と子供達に渇を入れる為だ。
リハーサルは、抜き打ちだったから、生徒はいい迷惑だったろうが、こうでもしないと緊張した練習が出来ない。結局は、毎日を集中した良い練習が出来るか、出来ないかが今後の勝負の分かれ目だからだ。
AI君の出演するコンサートは、「青少年による平和へのメッセージ」ということで、島田市後援のチャリティー・コンサートだった。
リハーサルにまで、テレビ局は来るわ、取材はあるわ、更に当日もTV局が来て、元々あがり性だったのが、最近すっかり落ち着き始めていたAI君だが、昔の悪い(あがり性)が再燃。もう"どうにも止まらない"状態で、突っ走ってしまったらしい。
回りには、あまり気付かれなかったかもしれないが、彼の演奏を知る人は、あまりのスピードに驚いたに違いない。
今までは、落ち着いてピアノに取り組むのが、課題であったが、このところテクニックの見直しをし、根本を直すことに精を出していた私達だが、どんなに苦労をして身につけた実力も、上がってしまえば"砂上の楼閣"
もう一度、音楽に対する姿勢を見直す良い機会になった。本番にこそ、実力を発揮出来るようにならなければ、本物ではないからだ。
沖縄から帰り、リハーサル、コンサートと続き、気付いたら忙しくて2kg痩せていた。
なかなかいい調子で、ごきげんだ。


2005年05月09日

今週末、29日金曜日は、名古屋に知り合いの先生のご子息の演奏会を聴きに出掛けた。
この日は異常に温かく、春コートもいらない陽気の中、気持ち良く夕方の風に吹かれながら、名古屋芸術劇場のコンサートホールに向かった。
名古屋は今とても元気が良い。町も愛知万博のせいか活気がある。
音楽の世界も然りで、「中部から世界へ」とプログラムのキャッチ・フレーズに詠われる如く、中部は今、若手の演奏家がめきめき腕を上げている。
多分、ベテランの指導者や、中堅の指導者に加え、若手の指導者がぐんぐん育ってきているのだろう。とにかく、子供達を鍛えるのには、根気と情がいるから、若さに勝るものはない。我々中堅も体力・気力共に負けてはいられない。
さて問題のコンサートは、「協奏曲の夕べ」で、名古屋で将来期待される若手のソリスト4人(ピアノ2名、フルート1名、ヴァイオリン1名)による協奏曲の演奏会だった。
そのうちピアノの演奏者が、2名共私の知り合いの先生のお嬢さん、息子さんだから、この日を楽しみにし、レッスンも休んで駆けつけた訳だ。
今年、芸高2年になるTK君は、ラフマニノフNO.2を弾く、芸大4年のMIさんは、シューマンの協奏曲だ!
ラフマニノフは、私が子供の頃、音楽の素晴らしさに目覚めたきっかけの曲で、大好きな曲なので本当に楽しみにしていたが、TK君は、そのイメージを崩すことなく、ダイナミックで、男らしく壮大なスケールの演奏をしてくれた。
まだテクニックに粗削りな面もあるが、彼のイマジネーションファンタジー音楽の大きさは、日本人離れしていると思う。
ステージ・マナーも堂々としているから、見ていて気持ちが良い。
たまたま隣に座っていらした名古屋の長老S大先生も、「あの音楽は誰にも真似できない。」「やっぱり"DNA"だ。」と感心されていた。
お父上もお母上も、ピアノの先生でいらっしゃるから"DNA"と言われたら当然なのかもしれないが、いくら"DNA"といっても、子育てはそんなに甘くないのは、この私が十分承知である。
賢夫人で名の通っているK先生の奥様は、主婦の鏡の様な方で、料理も掃除も素晴らしくお上手、その上ピアノを教え、子育てどころか、2人のお子さんを立派に音楽家の卵に育てあげてしまわれた。
私は、この20年、人の子を育てるのに夢中で、主婦も子育ても手抜きで、後悔だらけなので、本当にひたすら尊敬のまなざしである。
MIさんのお母様も同様だ。主婦の腕前は存じ上げないが、大きなピアノ・スクールを経営しながら、立派にお子さんをピアニストの卵に育て上げた上、夫婦仲は傍目に羨ましい限りだ。
K先生の奥様も、I先生も、私とほぼ同年齢だから、なんだか自分の力のなさにがっかりしてしまう。
立派なお子さんを育て、主婦をこなし、そして夫婦円満、どれをとってもやさしいことではないのは、仕事を持つ身だと分かりすぎる程だから...。
演奏会の素晴らしさを味わいながら、立派な遺伝子を後世に残すのも、人間としての一つの努めかもと思いながら、コンサート会場を後にした。
ようし、こうなったらにかけよう!と密かに誓う、三好先生であった!


2005年05月07日

今週は、先週の「オペラ座の怪人」のリベンジを見事果たした。
静岡の島田という所で、20日を最後にやっているという情報を入手。
朝7時には起き、車の事故があっても大丈夫なくらいのゆとりを持ち、問題の冒頭シーン見た。
やはりそこが一番の感動のシーンというだけあって、現在から過去へ遡る所のシーンは、音楽の壮大さと、シャンデリアの復元映像が相まって、感動で胸が震える感じさえした。
またクリスティーヌが舞台で歌うシーンは、オーストリアはハンブルク家最後の皇妃の「ウィーンのバラ」と謳われた、エリザベートを彷彿させる衣装が美しくて、正に彼女が甦っているかのような錯覚さえ覚えた。
多分、演出の方もエリザベートを意識したのだろう。あまりにも髪型、ドレスが酷似していた。
我が家にも、ウィーンの美術史、美術館で買ったエリザベートの肖像画がある。
その横には、デュフィの「オペラ座」が掛かっているのだ。なんだ、我が家もこんな所に、間近に「オペラ座」があるではないか?
今回は田舎の場末とまではいかないが、映画館としては似ても似つかない、公民館のような映画館で「オペラ座の怪人」だったがこれでも充分満足した。
それからというもの、CDを買い日夜聞いている。特に眠りに落ちるまでの時間、このサウンド・トラックを聴くと、映画を見ているような気分で、いつまでも幻想の世界にいられるから幸せだ。

ピティナは、こんな事をしている間にも近づいている。
今年は静岡が6月初旬と異様に早い。レベルも年々高くなるピティナでは、予選も命懸けである。
連休でエネルギーを補給した老体にムチ打って、死ぬ気で頑張って生徒を引っ張らねばならないのだ。
そんな中、カワイこども音楽コンクールで、名古屋本選に参加したKS(小4)ちゃんの「金賞」受賞の知らせは、幸先よくて嬉しかった。





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