| 今週10月20日(水)から22日(金)まで、郵便局の簡易保険の旅行に行っていた。 「簡保の旅行に行くからお休みします。」と生徒の親に告げると、皆「先生が行かれるの?」とびっくりされる。どうもこの旅行は、熟年の方が参加するのが一般的らしい。 それに何故簡保なのか?というと、今を遡ること15年前、息子の学資保険の代わりに保険に入ったのだが、郵便局の人に「お客さん2口入ると旅行が2人分出来ますよ。」と言われ、何が何だか良く分からないが、両親に親孝行が出来ると思い、2口加入していたのだ。 しかし、両親もわざわざ神奈川から上京するのも大変だったし、健康上の都合などで行かれなかった上に、私も30代の頃は、旅行も温泉も興味がなく、見も知らない土地の人とバス旅行など、とんでもないと1人50,000円の旅行をむざむざ捨てていた訳なのだが、3回分捨てた辺りで、"志摩スペイン村の旅行"が目に飛び込んできた。その時、何故かスペイン村に行きたい欲求にかられ、母を誘って行った。それが病みつきになってしまった。バスに乗っているだけで、最高級ホテルに泊まり、ご馳走三昧という事に、味をしめたという訳だ。 それからは、絶対に捨てずに行こうというのを信念に、簡保の旅行を楽しみにしていた。 前々回は姉と北陸の温泉、前回も姉を誘い、日帰りで松茸料理とリンゴ狩りに信州へ行った。 そして、今回は下呂温泉と伊勢志摩の旅、2泊3日である。 下呂温泉は、天皇陛下も泊まったという最高級の温泉宿に泊まる。 なんだか姉もこの旅行にすっかりはまり、楽しみに神奈川からはるばるやってくる。 旅の仲間は、見も知らない藤枝の地元の人達だから気楽である。ピアノの先生という肩書と立場を忘れ、バスに揺られ、ただの普通のおばさんに変身できるのだから、ほとんどいいご身分である。 姉とはめったに会うこともないし、お互いピアノの先生で忙しいので、長電話も出来ないから、会ったが最後、貯まった1年分くらいの話題を一気に吐き出す! 女姉妹というのは本当にいいものである。横から誰かが話しかけてきても、奪い取るように姉を独占して、話をしたり聞いたりする。 そして車中で揺られ、"疲れたら眠る"、"お腹がすいたら食べる"を2泊3日繰り返すだけだから最高である。 お小遣いはお土産代だけなので、倹約旅行でもある。 しかし、出発日の朝は、台風23号が愛知まで上陸していた。22号に続き、私は台風と行動を共にしているのだろうか? 岐阜を目指す我々は、結局下呂温泉に直行で、途中郡上八幡の散策も出来なかったが、山崩れにも合わず、バスの屋根の上に乗る事態も避けられ、無事に下呂温泉に着けただけラッキーであった。 審査で日本中を歩くのが仕事だが、こんなにのんびりした事はない。温泉につかり、上げ膳据え膳でご馳走を食べられる旅行なんて、ぜいたくの一言に尽きる。 しかし台風が一晩で通過し、晴天が後の2日間続いたというのに、なぜか私の体調はその晩から最悪で、頭痛と吐き気で朝食は食べられず、薬のお世話になりっぱなし。 せっかくの姉とのおしゃべりも、2日目からは口さえ聞く元気もなくなり、お伊勢参りも皆に付いて、とぼとぼと歩いているだけという有様だった。 しかし、それに引き換え姉は、宴会のカラオケでシャンソンを歌い、豪華景品を貰い元気いっぱいだった。 薬の切れた2日目の夜は、フロントで「薬下さーい!」と頭痛薬を貰い、温泉もプールも入らず寝ていた。私にとっては実に珍しく不幸な旅行だった。 何をするにも健康第一、グルメも温泉も健康あっての喜びだ、とつくづく思い知った。 今回の旅行で驚いたのは、すでに私の教室を卒業した生徒のご両親夫妻と、ご一緒したことだ。優雅にご夫婦仲良く参加されていた。 同じ藤枝市内にいながら、めったに会うことのない元生徒のご両親と、2泊3日ご一緒出来、とても嬉しかった。 夕方6時に藤枝に着けば、3日間ほうっておいた受験生のレッスンをしなくては、と落ち着いてもいられない。 あまりにのんびりしている受験生に、"カツ"を入れたら、夜には旅行気分もすっかり、冷めていった。残るはひたすら現実だった。 |
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| 先々週は中秋の名月について書いたが、今の時期アメリカではハロウィン・パーティーである。 ハロウィンとは、万聖節の前夜祭。古代ケルトが起源で、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭りの事である。アメリカでは、カボチャをくり抜き、目鼻口をつけた提灯を飾り、夜には怪物などに仮装した子供たちが「Trick or treat (いたずらかお菓子か)」と近所を回り菓子を貰ったりする。(All hallow's Eveともいう ) そういえば私が子供の頃、お月見の日にはお菓子を貰う袋を持って近所を回るのが習慣だった。 "お月見ちょーだい!"と子供達と何人かで回って歩くのだ。お菓子をいっぱい袋に入れてくれる家とそうでない家をランク付けして、如何にたくさんお菓子を集めてくるかを競い、子供達で袋いっぱいのお菓子を見せ合い、その晩の収穫を競ったものだ。 あれは私の育った神奈川の田舎だけの習慣だったのだろうか?同じ町でも主人の町内には無かったというから、うちの近所だけなのだろうか?(今からうん十年前の昔の話だが...。) 今思うとハロウィン・パーティーとそっくりではないか? 今も昔も子供はお菓子が大好きだと思うが、最近の子供はお菓子に釣られてピアノなど弾いてくれないから難しい。 我々が子供の頃は、お小遣いやお菓子に釣られ、家のお手伝いをしたり、ピアノを弾いたものだ。昔は大人も子供を手なづけやすかった。物が豊富にある今は、子供の扱いも難しいから大変だ。 最近の子供といえば、子供の運動能力の低下が問題になっていて、体育の日である10月10日には、その事について新聞でも触れていた。 先日テレビを見ていたら"あるある大事典"で小脳の事を取りあげていた。 あなたはスキップができますか?といったテストで、リズム感の無い人は小脳が退化してしまっているそうだ。この小脳を活性化させるにはスキップ、縄跳び、キャッチボールが有効だということだ。 要は体の反応というわけだが、机に向かって勉強し、ピアノ弾いてばかりいては運動不足になり、逆に小脳が退化して、運動神経にかかわる反応やリズム感が鈍くなるという訳らしい。 勉強させると頭は良いくせに、よく簡単な事を出来ない子がいるが、運動神経が悪いと片付けがちだが、そういう子ほど運動する事によって、小脳を活性化させなければいけないのだろう。 脳に関して言えば、先日父兄に借りたビデオで「モーツァルトの音楽が高周波1/Fの揺らぎであり、(1/Fのゆらぎというのは規則的なリズムと不規則なリズムの組み合わせ。)人間の脳をリラックスさせ、そしてそれを活性化させDNAに働き掛けるのだ。」というのを見た。 モーツァルトの天才ぶりを横軸に、そしてその音楽に科学のメスを入れ分析し、音楽療法や医学に役立てていくという流れを取り上げていた。 科学や芸術には宇宙の法則というものがあって、絵や彫刻ではないが、美には黄金の比率(黄金分割)が存在しているのもそうなのだろうか? 生命というものは不思議なものだ。人間が心地よいというものは、体には良いし、免疫力も高まる。そしてすべての美しいというものには、法則があるのだ。 大自然の波の音、森の木々の風の声、鳥のさえずり、これらすべてはアルファ波を脳に生み、人間をリラックスさせる。 ストレスの多い毎日の中、生きていく為に大自然に触れる事など1年に1度も求められない今日この頃、音楽こそが現代人の救いなのだなと納得した。 ピアノを習ったからといって、将来、ピアニストにはなれないかもしれないが、音楽に日頃から接しているということ一つとっても、人間として健康や精神的な面でも有意義なことなのだ、とつくづく実感した。 |
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| 10月10日(体育の日)はピティナ熊本ステップ審査の日であった。 旅行は大好きだし、飛行機も嫌いではないし、九州も好きなので今回は依頼が来た時より密かに楽しみにしていた。 しかし台風当たり年の今年は、連休に強力な台風22号が、日本列島直撃という情報ではないか? いったい熊本に行けるのか?と心配していたが、どんな状況の時でもコンペは実施されているし、審査員が1人でも欠けてはいけないので(さらにステップ審査は審査員の数も少ない事から)責任重大に感じていた。 しかし天気予報は的中。出発移動日9日の羽田は、台風22号の暴風雨圏に入っている。 こうなれば、早めに行ける所まで行くしかないと新幹線を早朝に飛び乗る。 しかし、既にもうノロノロ状態の新幹線である。何とか2時間掛け、東京駅に着いたものの、羽田発熊本便は午後4時半、時間潰しするしかないが、こうしている間にも台風は時速50キロで西から東へ私を追いかけてくる。 せっかくやっとのことで東京に逃げてきたのにとイライラするが、しかし、待つしかないのである。 浜松町に着き、駅の掲示板を見ると"欠航便"のオンパレードで、熊本行きもすわ欠航か?と見上げると、何故か熊本行きだけ"搭乗手続き一時停止"と出ている。詳細は空港でと書かれているので、がらがらのモノレールに不安げに乗る。 空港では払い戻しの長蛇の列をしり目に、不思議にも4時30分発の熊本便だけ"運航予定"という表示。(4時半以降は全て欠航) 私って運がいい?ついている?と薄笑いしながら、搭乗入り口で待つのだが、人気も無いので、どんどん空港内のお店も店じまいの仕度。こんな空港は初めてと思いつつ、外を見るとそろそろ東京の雨も強くなっている。台風はすでに上陸していて、東京にたどり着く所である。 しかし、私の乗る飛行機だけ何故飛ぶんだろう?と不思議に思いながら、飛行機に乗り込む。 こうなれば自分は強運の持ち主なのかなぁ?と思うしかない。 ベテラン機長の判断だし、ときっと安全に飛べる自信があるのだろう、素人には分からない専門家の判断を信じるしかない。 いつものように飛行機を信じて、自分の席に座っていたのだが、回りを見るとガラガラ。窓側にぽつんと座る。乗っている人はわずかである。こんな飛行機もまた初めてだが、台風の為に他の人のキャンセルもあったのだろうと思い、心はこんな台風の中、熊本に今日中に予定通り着ける我が身を幸運の持ち主と思うのだった。しかしそれが違った事は離陸直後たちまちはっきりしたのだが...。 機長から"台風の為、多少揺れますので、名古屋上空まで機内サービスはいたしません。"とのアナウンスがあり、多少の揺れは覚悟していたのだが...。 飛び立つや否や、私はたちまちこれが悪夢の始まり、ジェット・コースターに乗っていた事に気がついた。 私は遊園地でジェット・コースターには乗らない。あんなに悲鳴を上げながら、ヒヤヒヤ、ドキドキする意味が分からないからだ。 半べそかきながら、乗っている人を見ると自虐趣味に感じるから、お化け屋敷もジェット・コースターも乗らないし、見ない!怖くないと期待外れだし、お金を払って期待して怖がっている自分も変だからだ! あれは楽しめる人が乗るものだと思っていたから、私みたく臆病者が乗るものではないのだ、という先入観があるのだ。 しかしこの飛行機はまさに絶叫マシンだった。ふわっーと突き上げられ、ドーンと落とされ、30分の間、生きた心地がしない。 墜落するのではないか?と、おびえてもいられない。そんなゆとりもない。ただ落ちたり、あがったりのジェット・コースターの中、おろしてぇーと悲鳴にもならない声を上げ、やり場のない手を口にあてて、我慢するだけだった。 次第に手足が冷たくなり、唇の感覚がなくなってきたので、貧血を起こしていることに気付いた。それでも降りる事は出来ない。これが強運のツケというやつだ! 忍耐、我慢、ガマンと自分自身に声かけする。がらがらで隣も人がいないし、自分1人で耐えるしかないのだ。 ジェット・コースターなら時間に終わりがあるし、安全という保証付きなのに、これはいつ終わるかしれない地獄だった。吐いてしまったら大変だから、備え付けのゴミ袋をつかむ。 そんなこんなで30分ぐらい経っただろうか? 名古屋上空にさしかかったのか、急に静かに穏やかになった。気絶寸前でおさまったのだ。 奇妙な事は、その間機内のアナウンスがなかったことだ。普通は"揺れますが、運航には不安はありません"と、何度か言ってもくれる(大して揺れなくても)、それがスチュワーデスも機長も最初の一言の後は、ただ沈黙。きっとスチュワーデスも自分のイスを押さえ、じっと耐えていたからなのだろう。 命からがら到着してみれば、今更のように自分の臆病さに嫌気が差していたが、サラリーマンが携帯で到着したことを誰かに報告していたのを聞いたが、"怖かったよー。ジェット・コースターより良かったよーーー"と言っていたのを小耳にはさんだ。大人の男性でも怖かったのだと、なんだかホッとした。 翌日はステップが昼過ぎからだったが、逢う人逢う人にこの話をし、講評でも「命がけで台風の中来ました。」と言ってしまった。 ステップでは、1ヵ月後に迫る地元熊本のコンクールの練習台に出場する生徒が多く、厳しい批評を求められたので、真剣にしっかりアドバイスをしたつもりだが、少しでもコンクールのお役に立てればと願うのみだ。 私がこんな命懸けのステップに来ている間、うちの生徒のA.I.君は、台風の為、大阪国際コンクールの本選で大阪にいた。早朝5時半に藤枝を出ていたが、無事に到着し、何とか3位を頂戴したとの事だ。 コンクールはしばらく休んで、F1じゃないがうちのA.I.君もしばらくの間、ピット・インし基礎から調整するつもりなのだが、ピティナのJrG級の練習台に参加した予選のつながりで、10月9日の本選までひきずってしまった。 これから、冬にかけしばらくA.I.君本格ピット・インのつもりだ。 |
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| ピティナの会報、"コンクール結果特集号"が届いた。 全国大会の結果が、点数と共に表示されているのを再確認し、また夏の記憶がよみがえるのは、参加された人なら誰しも同様だろう。 あれから1カ月が経過し、後悔や反省、新たに秋のコンクールや来年の目標に向かって走り出している生徒も、これを見てまた記憶を呼び起こされていることだろう。 私はB級全国大会の審査をしたが、あの熾烈際まる過酷な本選から選出された子供たちが、94名もいるのだから、頂点とはいえその底辺の広さ、すごさを感じる。 まだ無名ではあるけれど、全国大会に出ていない子供の中で素晴らしい演奏しつつ、決勝に残らず、審査員の心に残る演奏をした子がどれだけいるだろうか?と思うと、コンクールの意味と捉え方ひとつで子供の才能や将来の芽を摘んでしまうから、我々子供を取り巻く親も指導者も本当にコンペに振り回されず、うまくコンペを活用していくことだと思う。 D級審査委員長の江崎先生の講評の締めくくりに、
「指導者は一人ひとりの生徒に対し、コンペを活用をする目的を明確に提示し、単に結果ではなくその過程にある意味を、子供の心の中にインプット出来る様、導く力が要求されます。それでこそコンペの活用といえるのではないでしょうか?」
とあった。同意見である。 そして、G級の杉本先生の講評の中では、ピアニストの中村紘子先生の言葉が紹介されていた。
「アテネの若いアスリート達にとって、オリンピックは究極のゴールだが、若いピアニストにとってコンクール入賞は1つのスタートにすぎない。ゴールははるかかなたにある。」
江崎先生の講評が、小さい子供達や子供達を育てる親や、指導者達への警告なら、杉本先生の講評はコンペを踏み台にG級まで登りつめた、将来のピアニスト志望の人たちへの助言だろうか? 小さい子を育てながら、更に上を目指し、またその上を目指していく子供を育てる私としては、心にしっかり受け止めたい言葉である。 さてピティナの結果といえば、10月号のムジカノーヴァに、8月に行われたカワイ音楽コンクール全国大会の記事を見つけた。 うちの生徒(E.F.さん)は、東海地区小学生代表として全国大会に参加したが、“惜しくも入賞ならず”、だった。 後でMDを聞いたが、よく弾いていたと思った。結果だから仕方ないといつものように諦めていたのだが、次のような記事を見つけ嬉しかった。
『Bコース(小学6年生まで)は課題曲・林光委嘱作≪ロンド≫と自由曲の計2曲を演奏。・・・。林作品のメロディーをレガート奏法やベダリングで浮かび上がらせ優れた感性が光ったE.F.さん。』 『入賞を逃したからといって落胆しないで欲しい。例えば、構築性に知性や技術の確かさを感じさせたE.F.さん・・・』
とあるではないか?こんな形で評価される事は"嬉しい!"の一言に尽きる。 誰か1人でも心に残る演奏が出来た事は、指導者として冥利に尽きる事で、大変嬉しかった。 コンペで嬉しかったというと、本部を通して送られてくる、コンペの審査のお礼状の数々だ。 子供の幼い字で 「先生。コンペでられてうれしかった。てんをつけてくれてありがとう。」 と書かれた手紙の数々だ! その殆どは、まだ小さい子供達だ。予選を受けて感動して、来年も頑張りますという内容が殆どなのだが、本当にこういう手紙を読むと「初心、忘るべからず」と心が洗われる気持ちである。 音楽の目指している本来の姿が、情操教育・人間教育なら、親子で純粋にピアノに向かっている姿はほほえましく、心温まる気持ちである。 この気持ちを、ずっと失わないでいて欲しいと願うのみだ。 |
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| ビ デオや本を読んで、夏に走り回っていた為に失った静かな時間を取り戻していたが、気が付いたら、すっかり秋の気配も近づき、中秋の名月である。 細木数子がテレビで「女性は月を見てはいけない。いいことはありませんよ。」と独断と偏見に満ちた(いやあ、あの自信はどこからくるのだろうか?)毒舌を吐いていたが、あの根拠はどこにあるのだろうか? 洗脳されやすい私などは、月を見ないようにしてしまっているではないか?バカだ! あの言葉に科学的根拠はあるのだろうか?手相占いも信じるが、中秋の名月(十五夜お月さん)は見たいではないか? 皆さんは、十五夜お月さんを見られましたか? 十五夜が駄目なら、その翌日の十六夜(いざよい)に、ためらいがちに出る月を待つのが風流の道。 十六夜(いざよい)が雨でも、次の夜の立待月(たちまちづき)に期待し、それも姿を見せなければ、翌日はずっと居待月(いまちづき)。 さらに次の日は、床に入ってからも月を待つ臥待月(ふしまちづき)、そして名月から五日目には深更まで更待月(ふけまちづき)−。なんとも辛抱強く月を待つ。 日本人に生まれてよかった!何と風流ではないか? ここで一句(百人一首より)
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
10月は10日から、熊本のステップ審査に呼ばれて いる。今年は九州に何度となく行く。 昨年の今頃は、宮古島に行った。その際、宮古のステップでお世話になった方に、「ドラゴン・フルーツが庭で取れたら送りますね!」と言われ、社交辞令だと思っていたが、1年後の先日、海を渡って1箱、ドラゴン・フルーツが届いてびっくり!感動してしまった。 忘れずに送って下さったのかと、思っただけで感激ひとしおで、またあの美しい海と夕日を思い出しながら、南国の味を味わった。 宮古の皆さんお元気ですか? 『ドラゴン・フルーツ』本当にありがとうございました。 とってもおいしかったです。 |
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