| 夏のピティナが終わった。 8月22日は全国大会の審査に朝から津田ホールにいた。 午前10:00から夜8:00までびっしり94名の全国から集まったB級を審査したが、今回は講評書きが無く、点のみ記入だというのに、疲れは一緒だから不思議だと先生方と話し合う。 それだけ真剣に耳を傾け、聴くという作業は疲れるのだろう。 全体の印象は、午前の部は気合いが入る子が多かったという事、夕方〜夜にかけては集中力に欠ける子が多かった事、やはり小学低学年には、1日中の緊張は大変なのだろうと思うと弾き順も運のうちと思わずにいられなかった。 結果としては、9人の先生方に良い評価をおしなべて貰える演奏をというのは、あまり作られすぎず、自然で楽譜に忠実でありながら、その曲の魅力を引き出し、子供らしく、しかしツボを抑えた、インパクトというものが有る事が、重要だったように思った。 簡単なようだが、これがなかなか難しい。自然で且つキラリと光る個性などというものは、大変な事であるが、100人いてもそれがわかってしまうから恐ろしいことだ。 翌日は、JGに我が生徒も出演するとあり、銀座王子ホールに向かう。 ロビーで小3のAKさんの演奏を聴いてたまげた。その本能的に音楽の本質をつかみ、小さい体で、ピアノに覆いかぶさるように挑む集中力とその様相に、鬼気迫るものを感じたのは私だけではなかっただろう。 聞けば教えられなくても自分でほとんど音楽を作るというから、天才なのだろう。 ベートーベン全楽章とショパンのエチュードを楽々弾く姿に、将来ピアニストになるべく生まれてきたのか?と思いつつ、こんなに小さいうちにこんな事が出来てしまい、果たして今後順調に成長出来るのだろうか?という危惧と羨望で複雑な気持ちだった。 私の生徒もうまく弾いた。 昨年F級の時は少年らしさが抜けきれず、精神的にまだ不安定だったが、今年は、本当に青年に近付いてきている様子が分かる演奏で、胸が熱くなった。ショパンのプレリュードのNo.16をいつもより早く弾くので、ハラハラしたが、よくぞノーミスで弾き切れたと涙が出た。 難しいテクニックの曲ばかり集めたが、どれも弾きこなせた事は誇りだが、内容的にはまだ幼稚な面も多いには違いない。 しかしこれらの大曲に果敢に挑戦し、コンクールで弾き切れた事に、手前みそだが心から拍手したかった。 そして翌日は帝国ホテルで表彰式だった。 B級2名そしてJGの生徒だったが、東京の生徒が銅賞、JGのAI君はベスト賞だった。 今年こそはメダルが欲しいと思っていたAI君、悔し涙だが仕方ない。これがコンクールの明と暗である。 嬉しくて泣き、悔しくて泣き、しかしなぜか懲りずに毎年参加してしまうピティナなのである。 パーティーでのどが渇いて、ビールを2杯飲んでしまったら、酔ってしまい頭痛で早々に退散だが、今回も大阪のN先生がお綺麗だった。 我々の歳くらいになり、だんだん仕事一筋になってしまうと、あまり身の回りに気を配らないタイプが多いので、1年経つと"あらら"とびっくりするくらい、老けてしまう先生も多い中、N先生は一段と輝きを増していらした。 私も"あらら"の内で、だいたいいつもなら、帝国ホテルのパーティーには装身具やドレス、靴も吟味して前々から考えておくはずなのに、今回は忙しくてドレスこそGUCCIだが、以前から持っていたドレスだし、装身具もあり合わせ、靴なんかあるもの履いて跳んできた、という感じだったから"あらら"に拍車を掛けてしまった訳である。 昔から地味はあまり好きではないのに、今回はまるで地味そのもので、女はやっぱりいつも綺麗じゃなくちゃと思うことしきり。だいたいピアノの先生なんて職業は、夢売る仕事なんだから、どんなに忙しくても身の回りには気をつけなくちゃね!と反省した。 若いうちは良いけれど、年をとれば、尚更気を付けなくてはいけないのに、やっぱり手抜きはいけません。 8月は25日迄で、地元静岡の家にいたのは7日あまり、後はずっと外出していたのだから無理もない。 オリンピックも冬のソナタもはるかかなただった。 銀座の街のショーウインドーが秋色に近づいていた。デパートもブティックもここ数カ月のぞいたことがなかったなあと、違う世界を歩いているようだった。 それだけではなく、体はボロボロで、翌日は頭痛で起き上がれない上、持病が再発して都内の病院に駆け込んで薬を貰ったくらいだ。 あと8月終わりまでゆっくり休みたいが、そうもいかないのが辛い。 主人がほとんど出張中で、いないので2人して留守ばかりで、家庭は基地化してしまった。 食事はほとんど外食だったから、帰ったら主婦をしたいと思うし、主婦が懐かしくもある 今週は帰巣本能が強い、三好先生だった。 |
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| お盆の14日〜17日まで九州の長崎にいた。 お盆休みに"精霊流し"でも見に行ったの?いや違うのだ。 実は生徒が、今秋国際コンクールに参加するにあたって、日本を代表する若手のピアニストのサマー・スクールに参加したのである。 実は、生徒に国際コンクールに「是非テープを出してみたら!」と推薦してくださったピアノ界の大御所N先生が、急にお亡くなりになってしまい、その後のレッスンをフォローして下さる筈の大先生を失い、路頭に迷っていた我々に、降って湧いたような突然の話。 神様の導きを感じ、色々迷うことはありながらも参加させることにしたのである。 しかしなんといってもまだ中学生の子供に、そんな世界的なピアニストのレッスンを、未消化な形で受けさせるのは不安であったし、勿体無かったのである。 全行程一緒にはいられなくても、3〜4日のレッスンはついていて、先生の求めているものを私自信が学ばねばならない事も多いはずだと思い、生徒について長崎に行く羽目になったのである。 行きはお盆の帰省ラッシュを少し外していたにも拘らず、飛行機はおろか新幹線の指定さえ取れなかったが、何とか座れた。 しかし昼1時に静岡を出たら、到着は8時前だった。とはいえ新幹線の中では、本をじっくり読めたし、今後のスケジュールを立てたり、テープを聴いたり、普段やれないことに夢中になっていたので、あっという間に博多に着いた。 九州はピティナで何度も行っているが、ホテルと会場の往復だから街の中を歩くなんてゆとりはほとんどないので、今回は少し楽しみでもある。 夜8時に着くと、早速,、先に到着し、レッスンを既に受けていた生徒から「先生が三好先生を待っています」と言われた。 私にレッスン見学して頂き、お話しもしたいというのである。何事か?と覚悟して腹を決めて行く! 場所は長崎市内にあるヤマハ音楽教室だ。(そこを全室貸し切りにしてあるのだ。) まだ30代そこそこのピアニストの大先生は、親しみやすいスポーツマンのお兄さんという風貌でTシャツ、短パン、スリッパ姿だから、あの蝶ネクタイにタキシードでピアノを弾く、カリスマ性を想像していたから拍子抜けだ! しかし、そこでは一番大きなレッスン室に入り、ピアノの前に座るとまるで「御家族の方は?」と言われ、「これから病名を発表しますのでそこにお座り下さい」と言わんばかりの院長先生の風格である。「まず先生もそこにお座り下さい。」と生徒の座るピアノのそばに座らされた。 そして、ピアニストが私の生徒のしたミス、間違いをたちどころに指摘してくる。「なぜここに気づかなかったのか?」「なぜこういう教え方をしたか」を別に怒る風でもなく、淡々と冷静に次々と指摘してくる。 「あーそうか」、「そうだったのか?」納得していくうちにそれだけでなく、だんだんひどく落ち込んで行く!!ではないか? いくら世界的なピアニストとはいえ、ましてこっちは一介の町のピアノの先生の分際とはいえ、「何故こんなことも、ろくろく気づかなかったのか?」と思うような、一つ一つの指摘にいささかゲンナリ。自己嫌悪のパンチ連発をギャラリー数人(母親も含む)の前で食らうのである。 しかし、何といっても自分自身が情けないではないか?「あなたの生徒は、こんな指使いでここを弾いたが、なぜそうしたか?」「これでは無駄な練習をしているだけで徒労です!」 ちょっと指を出して、私も自分で弾いてみる。生徒と同じ指使いである。あれっ?私も一緒じゃないか?要は、こんなレベルのランクの先生には、子供でなくむしろ私がレッスンを受けた方がマシってわけである。 こうなったら居直り強盗の気分である。いつも逆境にはメチャメチャ強い私だ! 「分かりました。私に指導力のないのは認めます。」「では一体、どうしたらよいのでしょう?」と尋ねてみた(逆切れしたわけである。) するとピアニストは、「根本的な問題をもう少し、しっかり勉強させてください。」「大切なのはソルフェージュと理論です。」「ピアノばかり弾いても、ちっとも音楽は深まらない。」「ヨーロッパの音楽はハーモニーです。」「そのハーモニーの理論と調性感を含め、耳を育てず、指だけ動かしても、土台の無い所に家を建てている様なものですね。」と言われる。 確かに大学に入ると、我々は和声や理論を学ぶが、しかしそれは机上のものであり、あまりピアノに生かされることは無い。しかし彼は、高校の頃からフランスに留学していて、その著書でヨーロッパの最高峰の教育を受けた事を自負されるだけあって、ソルフェージュの本場で、伴奏法から和声、作曲法から学んでいるから、音楽そのものにハーモニー感や調性感が、総合的に生きているのである。 絵に例えるなら、我々が感覚でパレットに具材を調合しているのを、それより具体的、理論的に色を配合し、自分でそれを味わうことによって、音のハーモニーの微調整をしているのだ。 彼の音楽が、決してロマンチシズムに流されることなく、感動を生み、しかし本場のヨーロッパで受け容れられる、世界に通用する音楽かが分かる一面を垣間見た気がした。 あとは「自立」。親は当然、先生にもあまりにも依存せず、自分で音楽を作る事が大切である。 それには、「あまり教え込まず、彼の中から、内から生まれてくるものを待ってあげることです。」と話された。教育は『待つ』事であるという私自身の持論を、まだ若いピアニストに指摘され愕然とする。 なぜ待てないのか?それは、コンクールを立て続けに受けることに起因している。 コンクールは競争であるから、やはり勝ちたいがために必死で教えすぎる。下地なしの化粧を施し、土台の無い所に突貫工事で、家を建て続けていくのである。故に、手抜き工事の家が、何軒も建つわけである。 ピアノの技術指導力の無さを指摘されるだけでなく、ピアノに対する向かい方、教育に対する根本的な事を厳しく指摘され、目が覚めるようである。 ソルフェージュを習わなかったら、ピアノを教えない先生もある中で、何年も前から、うちの教室も小学生から、ソルフェージュは併用しているものの、塾やピアノの練習に忙しくて、ソルフェージュを休んだり、続けない理由の一つに、"ピアノに進むかまだ分からないからだ。"というのが多い。 こちらも親の決定を強く言えない。時間のやりくりや、経済的な事も考えると、なかなか強制は難しいからだ。 ソルフェージュの重要性をいくら強く説いた所で、今までどれだけむなしく、袖にされたかを思うと、最近では「ソルフェージュはいいです。」と言われると「分かりました。」とこちらも説得する情熱が湧かないのが、本当のところである。 中には「ソルフェや楽典は、音楽に進まない子に何の意味があるの?」と言われると、情けなく何も答える気さえしなくなってきてもいたからだ。 私が頑固なら良かったが、物分りが良すぎる面が、才能のある子を潰す手伝いもしてきたかと思い、また自己嫌悪。 ピアニストへの言い訳の一つに、塾や勉強も忙しい事を並べ立てて、親のせいにして逃げたら、途端、「何故塾に行く意味がありますか?」「何故ですか?」と真剣に問いつめられてたじたじである。 要は、ピアノが昔と違い芸術性を帯びていず、ただ英語や、塾など一連のお稽古事として存在しているからして、もともとは間違いがあるのだろう。 ピアノをやるなら、とことんやらせたい。優先順位を一位にさせたいあまりに、手っ取り早くコンペに出す。しかしその中で、勝ち気な子や、熱心な親子は伸びていってしまい、そしてついには本質的な壁に突き当たる。 それは、音楽を何故始めたか?音楽をどうとらえているか?芸術に対する価値観、教育に対する姿勢、ピアノは単なる競争の手段なのか?芸術としてのピアノで、更に時間をかけ、コンペ抜きでも本物を求めていく気があるのか?に突き当たるというわけだ 結論は塾をやめ、ピアノと真剣に向き合うか否かというわけである。 ピアノが駄目なら、勉強でも行こうか?チュンサンかサンヒョクかの二股愛である! 世界的なピアニストにとって、そんな親のエゴや見栄、御都合主義のピアノに対する姿勢が、認められる訳はない。それに奇しくも、同じ母親として、親の気持ちが分からなくもない状況で、それを容認してきてしまった、指導者の罪深さ。まさにキリシタンの本場、長崎に来て踏み絵を踏まされているんだと感じたのは、私だけではなかったと思う。 ピュアーにひとつのものを求め、本物を目指すという事は、わき目をする暇もなければ、ましていい加減などということは、許されない世界なのである 分かっていつつ、そのジレンマに悩みながら、しかし痛烈でストレートな指摘に、芸術に対して麻痺していた、自分の感覚をもう一度呼び覚ましてくれた、ピアニストの言葉だった。 そして踏み絵、3日目はソルフェージュの授業見学である 都内、長崎の高校生や音校生、そしてピアノの先生に混じって、うちの生徒も小3年から途絶えていた聴音をいきなり、3声体、4声体を書き取るのだ。先生もご一緒に如何ですかと誘われ、私も参加することに。 その難易度は大学受験並みである。音楽的であるから、難しくはないが、書こうとすると混乱してくるではないか。 生徒の横について、必死に教えているところへ(何とピアニスト自ら聴音してくれるのだ!)先生が私達のを、見に回られ、「違いますね!」"ガーン"、もうプライドなんて、こうなったら無いも同然。生徒と必死で、横で書き取りをするわけだ。回りを見れば、その難問の聴音を同年齢の子が、移調してとっているではないか?全く信じられないレベルだ。 こっちは、合間に和声の仕組みを教え込むのがやっとだ。 たった二問を確実にとるのに2時間以上、気付いたら大先生が、弟子の1人になって代わりにうんざりしながら弾いてくれている。 正解が出せるまで、その部屋を出られないのだ。二人三脚でやっと仕上げたら、今度は移調奏だ。うちの生徒は、ピアノに座らされ、何が何だか質問の意味さえ分からずじまい。 やっと大先生のカリスマ性に恐怖感が無くなり、慣れたと思ったら、さて帰途の日だから、あっという間だった。 たった3日だが、随分長くいたいような気がするから不思議だ。 まさに本物に目覚めた生徒と教師。長崎踏み絵の旅だった。 |
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| 「東日本本選審査委員長」という知らせを受けた時は、目の前が真っ暗というより他は無かった。 何でまたこんな責任重大な『お役』を仰せつかったのか?本部の信頼は有難いが、私にそんな大役が務まるのだろうか?今までステップの委員長さえ、なんだかんだと断り続けていたが、本選まであと3日しかないのに、こんな時に「嫌だ、何だ」と言えば、本部の事務に忙しい方々を困らせるに違いない。 こうなったら腹をくくるしかない。委員長というのは7人の先生方のまとめ役、全体講評も避けられないが、何といっても全曲を把握し、定められた時間内にすべてを終了しなければならない。 そうしないとホールの使用時間もあるし、審査の先生方や出場者の無駄な疲れを呼んでしまう。ましてや、全国大会出場者を選ぶ緊張の本選である。 こうなったら、委員長もベテランで、いつも時間内に全て終了出来ている事を、自負している友人の先生にメールして、色々事細かに指示を受ける。 彼にすべてのノウハウを伝授して貰い少し安心するが、全ての曲のコピーをして、その時間を計り、カットの位置を決める。 私は、一体いつ寝るのだろう?こんなに忙しいのに、またひとつ仕事が増え、パニックにパニックが乗っかると、人間であることをしばし忘れてくる。 気付いたら、東京に居た。それでもその晩アミューズを受ける生徒のレッスンもしているから、人間土壇場になると、"なんでもこい!"だと思った。 しかし胃は正直だ。委員長と知ったその日から何も食べられない。上野の会場に行く前に、タクシーの運転手さんに「すみませーん、薬局に寄って下さい!」と河童橋の前の薬局で胃薬を買う。 神経質な小心者に神様は冬ソナの罰に"真夏のソナタ"に展開部を与えて下さった。 神様は人に乗り越えられるだけの試練を下さると言うが、私の試練はどこまで続くのか? 少し悲しくなりながら、タクシーを降りる。 7人の審査員は、どの先生も超ベテランで、年齢が(たぶん)私より上の先生が4人だった。 最初の挨拶をし、役割分担を決め、了承して頂く。 1日目はA1、A2、2日目はC、D、3日目はBである。1日に約100名近い生徒が受験した。 この中から優良賞、優秀賞を選出し、全国大会に出場する生徒を決定するが、その数はわずかだ! そして、子供や親御さんの緊張が伝わる演奏が、連日続くのである。 1日目は小さい子供達なので、無事何とかカットも無く、終わる。2日目、3日目もようやく打ち解けた7人の審査員と和気あいあい、役割分担がうまくいった。カットの失敗もなく時間内に無事、表彰式を迎える事が出来、ホッとした。 審査をしていて思った事は、本当に色々な基準が、人それぞれだということだ。 ミスをしてもそれを大きく取り上げず、その子の良さを評価する先生、いやミスも評価に入れないと、ノーミスで弾いた子が可哀想という先生。 うんと歌い過ぎて、癖があり過ぎと嫌う先生、個性的とおっしゃる先生。 子供らしい演奏を幼稚と捉える先生、それを自然で素直と評価する先生。 指が早く動くだけを良しとしない先生、しかしその指の早さに年齢以上の努力を評価する先生。 物事の表の面、裏の面を各々の先生が点数として出してくる。上下限カットとはいえ、明暗の分かれ道である。 つくづく音楽のように答えのない世界で、色々な考えの先生に、共感を得られる演奏を目指すという事が、いかに難しい事かと身につまされる審査であった。 さぞかし、先生も親も、勿論本人も名前を呼ばれない事に不満を覚えるだろう。しかし、それが音楽の怖さであり、良さでもある。 大きなミスをしても終わる時もあれば、逆に生き残れる時もある。こうなると運次第だとつくづく思う。 同じ同業の仲間達と、もう入賞していたら、全国大会は時の運で、会場やメンバー、弾き順、当日の調子、7人の審査員の好みに分かれるから、"全国大会決勝進出=1番の演奏"ではないという事は、我々審査員の先生方のほうが、よく分かっているくらいなものなのだ。 その辺を理解せず、結果を受け止めてしまう事は、本当に危険である。 音楽の作り、テクニック、指導力の上に、更に運さえも掴まないと、これだけのレベルの中で1・2位に残ってくることは至難の業である。B級などは100名中、4−5人しか決勝に残れないのである。 最近は自分自身の運も含めて、人生「運」だとつくづく思うことがある。 そして人間は欲深い生き物である。夢の全国大会に出れば、今度は入賞したい。 入賞が叶えば、せめて金銀銅に引っかかりたくなり、そしてついにはそれを毎年叶えていきたいのだから、欲を(これを向上心と言っていいかも?)出せば際限ない。 今年はどんな運があり、どう評価されたかをよく見極め、色々な角度から反省し、次にどうつなげていくかを親子で認識しないと、賞取りゲームに踊らされてしまう事を、気を付けたい。 大切な事は今の現実の評価を受け容れる事である。 悔しい思い、無念な思いは頑張った親子ほど、先生にも誰にも訪れる。それを「人のせい」や「審査員のせい」、「運の無さのせい」などに転嫁せず、今年の結果として、しっかり受け止め、明るく前向きに頑張って行く事が大事である。 長い3日間の審査が終わった。委員長として本当に緊張の3日間だったが、最後に6人の審査の先生方が、一人ひとりねぎらいの言葉を下さったのが、本当に嬉しかった。 無事に大役を果たせ、本部からお礼のファックスを頂戴したら、嬉しくてホロッとしてしまった! |
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| 韓国からニコニコ笑って戻ってきたら、いきなり現実だった。 それなりの覚悟はしていたが、やはり想像を絶する忙しさに我ながら目が回った。 しかし、自分で3日も勝手に休んだツケだから、しっかり支払わねばならない。 1週間はドーピングする暇もなく(韓国のニンニク料理のおかげか?)一日中ピアノに追われ、更に東京往復も重なり、1キロ太った体重も、忙しく食事もろくに取れないので減っていくではないか?(ラッキー!!) そういえば、最近お米をといていない。というか食事も作っていない。全くの主婦返上だ。 コンペはたった1週間余りで、本選の準備をしないといけないから本当に目まぐるしかった 主人がほとんど飲み会でいないから、いいようなものの、家の中は掃除機もずっとかけていず、ほこりだらけである。 冷蔵庫の野菜は腐っていく、主婦がいないどころか、家の中はスラム化してゴキちゃんが走っている。 しかし、ホコリじゃ死なないと腹をくくったものの、親御さんに"トイレを貸してください"と言われると、さすがにためらわれ、"ごめんなさいだ!"。 子供の頃から、"玄関とトイレだけは家の顔だから、ちゃんと掃除しなさい"とピアノ以外は躾にうるさくない母親の唯一の口癖だった。そのせいか、やはりちっぽけながらも多少のプライドが残っていたではないか? 子供は良いが、大人に貸せないのが申し訳ない、というより情けないでないか? 忙しくてもトイレくらいは、掃除しなくちゃが、トイレ掃除どころかトイレットペーパーがなくなっても、買いに行く暇もなく、生徒の親に頼んで買ってきてもらう始末だ。 ついでに私の昼食もお願いと頼む。大して食べたくもないが、何かをおなかに入れなければ、働けないから無理して食べるのだ。 子供の頃から、母親に"人生は自分との戦いだ!"と口癖のように言われ、ずいぶん随分重苦しいなぁと感じたものだが、本当にこの言葉、身につまされる今日この頃である。 8月3,4,5日は、東京の東日本本選の審査にも行かねばならない。 しかしちっとも予定表が来ない。7月31日になってやっとポストを覗くと、予定表が→しかしそれを見て、仰天!! な、何と『審査委員長』になっているではないか?? ウソー!、とうとう冬のソナタツアーの天罰が下ったと感じた。来週に続く |
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