June/'04

’04/6月

2004年06月25日

6月19日、この日は息子の披露宴だった。
5月2日にハワイで挙式したものの、列席出来なかった私の両親や親戚友人達に2人の結婚報告も兼ねささやかな披露パーティーしたかったのだが、両家合わせて60名となるとなかなか受け入れてくれるレストランも無く、結局小規模ながらも結婚式場を借りての披露パーティーとなった。
新婚旅行も兼ねたハワイで盛り上がった後だし、2人の生活も既にスタートしている訳だからブライダルの商業ベースに乗っていわゆ「ありきたりの結婚式」をしたくはなかったが、やはりお祝いしてくれるお客様を迎えるにあたって失礼があってはならない。
くだらないイベントは極力減らしながら、お客様が喜んでくれる披露宴をしようとずいぶん皆で頭をひねった。
しかし本当に細かい事が山積みだった。その一つ一つ皆でこなしながら、それを楽しむゆとりも無く、仕事の合間でひたすら追われていたといっても過言ではない!!
司会は姉に頼んだ。私の姉は中学の時から弁論大会に学校代表になるくらいで、人前で進行をつとめるのはお手の物。その上生徒会を、まとめていたくらいだから、頼りになるのだ。
今ではピアノを教えるかたわら、趣味でシャンソンを習っている。シャンソンは会話しながら歌うそうで、その会話術に人生の年輪を加え磨きが掛かったともいえる。
おかげで、ほとんどアドリブで打ち合わせ無しに宴を進めてくれた。またアメリカからはもうひとりの双生児の姉が、駆けつけてアヴェマリア他も歌って、会を盛り上げてくれたが、しかし何といっても心に残ったのはお嫁さんのお母様の加わっている浜松出世太鼓だった。
お母様は幼稚園の園長先生をなさっているが、とても優雅でおっとりとしていて私のようにいつもピリピリしていない。こんな園長先生に優しくして接して貰える園児は幸せだろう。決して激しく興奮して、怒ったりしそうもないからだ。そのお母様とあのような激しく太鼓を打つ姿とは一致しないのだが、見て聞いてその迫力に心震え感動した
太鼓ってどんどん打つと思うが実際そうなのだ!!がしかし、そんな単純なものではない。
太古の昔(原始時代)人は木や何かを打ち、喜びや悲しみを表現したに違いない。リズムをとり、それに合わせ体を揺らしているうちに、そしていつしか踊り始めそれにメロディーや歌がついていったに違いないという確信に似たものを感じた。
多分その音を聞いていくうち、体の中の血が踊り出す感覚。人間というか、生き物全てに与えられたこの拍感が人間の体内メトロノームを動かさずにはいられない。
もうウキウキドキドキしてくるではないか「ハメルンの笛吹き」よろしく私も85才になる父太鼓のバチを取り、祝い太鼓を順繰りに打っていた。
特に私の父などはもう嬉しくて嬉しくて、ずいぶん長いことを打っていたから、この父のDNAが我等音楽家の3人娘のルーツだったのだ、と改めて恥ずかしながら感じた次第だ。
息子の披露宴で、素晴らしい浜松出世太鼓を聞き皆で順繰りに祝い太鼓を叩けたので、本当に想い出残る披露宴が出来た。
最後に、私が冬ソナのテーマを弾いて、ミーハーぶりを披露したのがまずかったが、しかしこんな席でピアノの先生である母親が、リストの「愛の夢」など弾いても白けるだろうと思ったのだが。息子夫婦が冬ソナでいいよと言ってくれたから自己満足!!
今どっぷりはまっている姪っ子が、傍らで「のびこママ感動!!」と言って譜めくりしていたが、何か私のやる事っていつも真面目なのに最後は漫画だなと思いつつ自分でも苦笑だ。
2時間で終了した披露宴だが、悲しいことにその余韻を味わう間も無く、20日のピティナ矢板(那須塩原)に向け挨拶もそこそこに、前泊するため新幹線に飛び乗る。
矢板は受験生79名と小人数なので審査も翌日11時から夕方6時迄だから楽なのが有難かったが、しかし披露宴の準備やらで3日前からろくろく寝ていなかったので強行軍だ。
その上週末にはどこかで生徒がピティナの予選を受けている。その祈りも欠かせない。子供達が予選生き残りをかけ、必死で演奏しているのを決して忘れてはいけないと思っているからだ。

≪矢板コンペの模様≫
矢板は栃木那須塩原である。都心から東北新幹線で北上すること1時間だから、首都圏らの受験者も多い。それが証拠に今回のコンペのレベルの高さには脱帽だった。
特にA1級、C級、D級の高さだ。
まず、A1級(小1〜2)は私自信85点を付けた生徒が5〜6名いた。
しかし合格者は12人中3人とわずかだった。優良賞も貰えない子供の中には十分実力のあるお子さんがいて可哀想だった。
小さい子が懸命にピアノに向かい、集中力と戦っている姿に心を打たれる。今回の審査員は、全員女性で心温かい先生方でびっくりするような、低い点をつける先生はいらっしゃらなかったが、やはり上位から人数をとっていってしまえば、自ずと充分本選に行ける実力の持ち主でも選外となってしまうのだ。
失敗もしなかったのにと、親御さんは元より本人の落胆を考えるといたたまれない。
コンペでは一喜一憂しないことだとしか、講評で励ます言葉がなかった。
これを読んでいる方がいたら、是非がっかりせず今後につなげ頑張ってほしい。
B級の「のみのサーカス」を選んでいる子は完璧なテクニックで揺らぐ子は全くいない。
C級もしかりだ。ずいぶん昔になるが有馬礼子の「版画のスケッチ」が近現代の課題曲に入った頃は、音色で転調を表現できる子はわずかだった。ここ矢板の「版画」を弾かれた子は、しっかり音色で印象派の表現力を表現していたではないか?UCを使い、音色の使い分けがうまくて驚いた。
フランス音楽の「イベール」も同様だ。重音でSOPを出すのは至難の業なのだ。
和音がずれている子は皆無だった。D級の「ゴリウォーク」(近現代)はどの子もテクニック的にも音楽的にも安定している、やはりテクニックは完璧な上、音楽的にもコンペ的にもしっかり審査の観点をクリアーしてくるのだから厳しいコンペだった
外に出れば、那須高原。台風が近付いて、さわやかな高原の空気とは程遠いこの日だったが、こんな田園風景とは裏腹に、毎年厳しくなっている予選に自分の生徒も今頃どこかでしっかり巻き込まれているに違いないと、内心心穏やかでいられなかった
コンペの目的、音楽教育の行き着く先を見失ったら、親子で一体これからどうなってしまうのだろうか?少子化で一人っ子の多くなっている昨今、ピアノを指導するだけでなく、一番大切なことを見失わず、コンペを受けられたら落ちても笑えとは言わないが、この経験を次につなぐことを教えることが、如何に重要な事か考えながら、帰りの東北新幹線に乗った




2004年06月19日

日本アーティストビューローにホームページが出来た。
早速、私のHPとリンク開始だ!
元々日本アーティストビューローとは、この会社が学研の頃からのお付き合いだから、その頃の学研のNさんは知り合ってもうかれこれ5〜6年も経つだろうか。
最初は学研のフリューゲルのセールスの電話を頂戴したのがきっかけだったから、勿論面識も無く、電話の声が初対面だった。
しかし、Nさんに対する私の印象は単なるセールスを越える親しみを感じさせるものだった。
それは多分、Nさんの大阪弁だったろうか?いや彼女の人間性だろうか?そのどちらからもしれないが、第1印象と言うものは不思議なものである。感性だけは人一倍強くないとやっていけない仕事上からか?相手の気持ちが顔色や声色、メールの調子で分かってしまうのが因果だ!(時には考えすぎもあるのだが?)と思う。(そのくせ大事な時は天然だったりして...)
たぶん、こちらはまたセールスのTELか!と随分横柄な態度で接していたに違いない。大体この手のCDや全集のセールスが山と来るからだ。
しかし当初からNさんだけは、私にとっては特別な存在だった。それは電話を通してだけなのだから何とNさんて素晴らしい魅力の持ち主だろう?それ程Nさんは普通では無いのだ。
センセおはようございます」「まだ、寝てらっしゃいますやろ?」「そですわ、センセお忙しいお体ですもの...」「ムリありません」「お体気いつけなあきまへんよ」「体が何たって資本ですぅ」「今日は元気なお声を聞けば満足ですわ、ほな、さ・い・な・ら
てな調子なのだ。肝心のセールスをされるのを身構えているこっちは肩透かし、その上、また数ヶ月すると、「お元気ですかぁ?」と掛かってくるではないか?
「可愛がっていた犬が死んで、ショックで...」と言うと「分かりますぅー」「そりゃぁ悲しかったですやろ」「犬といったって犬ではありませんからね」と一緒に泣いてもくれる。
そのうち、この人は私の親戚かもと思ってしまったではないか?自分がいつフリューゲルを購入したか?分からないが、Nさんにセールスされた記憶も無いから、もしかしたらコテコテ大阪商人?!
Nさんてすごいやり手だったのかもしれないと思ったりもしたが、夢コンで初めてお会いしてその疑問は晴れた。とても優しい穏やかな表情に電話だけではない温かい人柄に嘘は無かったのだ。
すっかりNさんの魅力のとりこになり、今ではすっかりフリューゲルを使いこなし、毎年夢コンに生徒を参加とあいなり、日本アーティストビューローの社長さん、若社長さんともお知り合いになった次第である。
Nさん、時々TELを下さるがその声を聞く度に里心がつくというか?ホッとするというか?前世に何か因縁があったかな?と思うほど嬉しいから不思議だ。
大阪弁も随分影響していると思うが「センセ...」と言われると体中の力が抜けるのだ。
こんな私って変だろうか?最近のNさんセンセ...見ましたよHP。冬ソナ、私もみてまぁすー。センセ同感ですぅ」と言われたひには嬉しくなって涙なのだ。
もしかしたら、全国にもNさんファンがいると思うからこんな風に、参ってしまったのは私だけでないと思うが、人というのは電話1本でも初対面で心と心が通じ合えるものなのだ。
それは、真心というものを持った人のみが発信出来る技なのだろう。Nさんにはいつでもどんな時でも人に対して誠実に生きる事を教えてもらった
(今週の冬ソナ)
とうとうポラリスのネックレスを買った。私のみずがめ座という星座は、はまると徹底的なのだそうだ。確かに...。
しかし、冷静な主人も携帯ストラップがポラリス。だから二人してお調子者同士だが、生徒の親に見せびらかしたら、先生買ってきて!と頼まれ東京で10本買い占め、皆に配った。馬鹿にして冷ややかだった姪っ子も、K大に入ったエリートのCちゃんもすっかり周りが冬ソナ一色で影響されたのか、私から携帯ストラップを買いたいそうだから、レッスンの合間の仕入れに忙しい。
この間新宿で、一人で夕飯を食べていたら、若い子が相手の彼氏に「冬ソナ見てる?」と聞いていた。「ナニー?冬ソナ?NHK?冬だか夏だか知らないけど、そんなのは知らないよ」と言っていた途端、彼女プィッと怒り口をきかなくなり、険悪なムードだった。
あーあ、やっちゃた!修復不可能な!リアクションに2人の仲は終わったと感じた!
ところでコンペも始まり、私のほうは否応なしに夏色一色になりそうである。(汗)




2004年06月12日

週末ピティナのリハーサルをした。6月中旬から早くも予選参加の生徒がいるので、そろそろ引き締めにかからないといけないからだ。
この日は運動会が重なったので全員参加を望めなかったが、今年初のリハーサルに夏のピティナが開幕したのだなぁと実感したのは私だけではないだろう。
コンクールも各種取り揃え、年中無休でやっているが、年々レベルの上がるピティナの予選は特に緊張だ。最近では予選でも、全国大会常連さんが当たり前のように落ちる地区が続出だから、昔の様に予選だからとにかく下手でなければ良いというだけでなく、プラスアルファが要求される。
要は、その子の持ち味を生かした演奏という点から、アピール性がないと生き残れなくなってきている。
そういう意味では本選といっしょだから、予選は楽だが本選は難しいという線引きもなくなってきている。
予選は近現代本選ではロマン派をどう弾くか?クラシックやバロックに至ってはテクニックの基礎力(左手のコントロール等)、頭でポリフォニーをしっかり理解しているかが問題点なので、そこが抑えられていなければ自ずと圏外なのである。
指導者として声を涸らして、審査の観点である大事な点をレッスンで指摘はするものの、子供は大切な事柄の優先順位がつけられていない。
これは絶対外してはいけないポイントで、これは欲を言えば出来たら良いポイントで、という細かい事が分かっていないから、山ほどの要求の中から、最終段階になると親御さんがどれだけその点を理解、把握して家でフォローして、我々の指導したポイントを適確に復習させるかに掛かってしまう。
だから小さい子供になればなるほど、目線の先が子供より親に向いてしまう。しかし、親御さんも各々タイプがあり、こちらの真剣さが伝わりすぎ、それがレッスン室でも家でも子供を追い詰めかねないので、親御さんのタイプを見ながら言葉を選ばなければいけない。
というのもピアノはその場1回限りの勝負だ。ケシゴムもなければやり直しの出来ない瞬間みたいなものだ。
どんなにレッスンで褒められ、リハーサルがうまくいこうと本番で実力が出しきれなければおしまいだからだ。
大体、落ちてしまう子は何処をミスしたかというより、硬くなり自分の音を聞けず、萎縮して、ガチガチになって不自然な音楽で終わりチャンスを逃すのが多い。
逆に寸前まで親や先生に集中力が無いと叱られ、回りがすっかりあきらめて本番に臨んでいる子に限って、本番だけは俄然集中して良い成績で残った、なんていう例が少なくないのだ。
準備万全、「さあいよいよ本番」なんて状態で臨めば、集中力がピークを迎え、大事な瞬間に「ブチッ」と切れる。こんな事でどれだけ泣いたり笑ったりしただろう。
コンクールを何十年もしていて、メンタル面が強くなるにはどうしたらよいかよく聞かれるが、教えてもらいたいのは、私の方だ。
次回は、メンタル面について考えてみたいと思う。




2004年06月08日

5月30日、日曜日
今週は、ステップ審査に埼玉川越に行った
コンペが間近なのでステップといってもコンクールの課題曲の練習に利用する方も多いだろうし、何と言っても首都圏なので少々緊張していた。
そこへ、出発2日前にワンポイント・レッスンの楽譜が本部から送られてきた。見ればC級予選の課題曲だったから予想は的中した。
ワンポイント・レッスンはたった10分の間でステージの上で、本人や会場の方々にも納得できる内容のレッスンをしなくてはならないからさらに緊張である。
以前、先輩の先生方のワンポイント・レッスンを拝見したが、言葉遣いも非常に丁寧だし、的を射たレッスンを短い時間で、身ぶり手ぶりを使って誰にも分かる様になさっていた。
私自信ステップ審査も長いことしてきたし、ワンポイント・レッスンも経験があるのだが自分のレッスン室と違って、やはりいつも緊張するものだ
今回は同じ静岡で15年以上もお付き合いのある、大先輩のY教授とご一緒だったので、ちょっとほっとした。
こんなに長いおつきあいがあるのに、ピティナで1度も審査で御一緒したことがないのが不思議なくらいだった。
今回、珍しく御一緒出来るので、大変光栄だったし、ゆっくりお話しできる機会に恵まれ嬉しかった。
この日は5月というのに真夏日で川越も暑かった。しかし、コンペの審査に比べれば、朝10時半から5時半の審査は超、楽である。
問題のワンポイント・レッスンも何とか無事こなすことができ、受講者のお母様や先生にも喜んで頂けたし、仲間の先生にもお世辞だろうが、「良かったよ」と褒められて嬉しかった。
何より、この生徒が予選落ちしないようにアドバイスしなくてはと、集中して真剣に教えられた事がよかったと思った。
音楽は答えのない世界だから、色々な人の意見や思惑を考えすぎてしまうと、言葉に詰まってしまうが、こうなったら自分なりの思いを伝えるしかないのではと開き直ってしまったのが、返って良かったかもしれない。
無事、大役を果たして、家にたどり着いたが、疲れて食欲もなく大久保の韓国の店で買った韓国のカップめん(これがおいしい!)を食べて、冬ソナをまた見て寝てしまった。
後で知ったのだが、ピティナ・ホームページのステップ川越に私の顔写真付きでワンポイントレッスンの宣伝が載っていたそうだ。本人は知らぬが仏。知っていたらもっと緊張してしまっただろう。見ないで出かけて正解だった。
<今週の冬ソナ>
川越の支部長の(トヨタ賞も受賞している)実力派のM先生も冬ソナにはまっていて、DVDを購入する予定だそうだ。良かった。これで仲間がまた増えた。
わが家もDVDを買った。これからは原語で見るのが楽しみである。
ついでにインターネットのノーカット版も見てみたいが、なかなか時間がない。
なんてたって6月中旬から生徒とピティナ予選が開始だからである。







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