December/'03

’03/12月

2003年12月30日

12月25、26日はカワイコンクールグレンツェンコンクール本選(東京)があり、我教室から20名近い生徒が挑戦した。
初挑戦で今回が第1回目のカワイ・歌のコンクールは楽しかった。歌大好きの小学生を4名集め、子供達の好きな曲を精一杯歌わせるのだ。
私はピアニストを目指すAI君らも大切だが、音楽大好きな子供たちを育てるのも、同様に使命だとも思っている。
音楽を楽しむことは、ピアノを弾くことだけではないから、元気な声を楽しく歌う子供を見るとワクワクするくらい楽しい。
彼らの伴奏はもちろん私だ。子供と「楽しく歌ってみんなを幸せにしてあげよう」と楽屋から飛び出していったら、年を忘れた。
結果は小2年生の女の子が「南の国のハメハメハ大王」を歌って、中部名古屋本選に出ることになった。これは予想外だったのでびっくりした。
25、26日子供カワイコンクール、カワイコンクールAコース,Bコース。
各々選外なる子も出ず、皆入賞入選出来た。(詳しくはピアノ通信を見てください)
東京本選グレンツェンコンクールではトロフィーも増えごきげんだ(ピアノ通信参照)
TM君(高2)は金のトロフィー、これが2本目だから凄かった。
彼は音楽大好き人間で趣味とはいえ、音楽といい付き合いをしてくれている。一生ピアノと友達でいてくれる筈だ。
コンクールをしていてもうひとつの感想は、なんだかんだと言いつつ、これが1年間通しての通知簿なのかなと思う。
努力は必ず報われる気がする。運悪く評価されなかった子も、この悔しさをバネに次に繋いでいってくれる筈だし、人生はいつだっていいことばかりではない。
種をまく時期、育てる時期、収穫する時期各々違うのは当然だが、他人が収穫しているのを見るとうらやましくなるが、焦ってはいけない。
今実らない子でも、必ず実る時期が来るから焦ってはいけないのだ。
いつも言うことだが、子供を信じて待っている親になってあげてほしい!!

さあ先生はとりあえず大掃除だ。
せめてピアノの上のほこりぐらいは一掃しなくては...。

2003年12月29日

ホームページを作る際、更新はまめにと思っていたものの今年は12月に入ってのあまりの忙しさに目が回り、パソコンを開くことも出来ず気づいたら暮れも押し迫り、新年を迎えるのも秒読みとなっていたから驚いた。
そんな中わが家はやっとクリスマスツリーをしまった所なのだから情けない。
大好きなあこがれの主婦もやれず西へ東へと走り回っていた1カ月だった。
昔からクリスマスには一種のファンタジーならぬ夢があった。
ヨーロッパの絵本に出てくるようなクリスマスシーンを思い描き、暖かい暖炉と大きなクリスマスツリー、鳥の丸焼きに手作りケーキ、いっぱいのロウソクとプレゼント、家族の笑顔etc.。
クリスマスにはやはりこれがなくてはならない。主人が単身赴任で何年も留守だったし、息子は母と2人でクリスマスをやる年でもなくなり寂しかったが、今年はフルメンバーで背景は万全だった。
なのに、肝心の私が何せ忙しいので新しい料理を開拓する暇も工夫するゆとりも無く、料理上手の生徒の親に「お勧めは?」と聞きながら簡単に作れるものをあわてて準備しレッスンの合間に1人教えては、また台所に走りを繰り返した。
もっと時間があったら「ターシャ・テューダー」のようなクリスマスが出来るのに・・・と。いつかは?と野心を募らせしている。
さて忙しかったコンクールの結果といえば12月20,21日のショパンコンクールinアジア、このコンクールはとにかく課題曲が難しい。
そのうえ本選が予選の翌日だから中学生でショパンのエチュード,平均律の他に7〜8分の自由曲を全て準備となると大変なのだ。
何事も勉強だし今年は、12月の発表会がなかったのでそれぞれ何かに挑戦あるのみと、少し実力をつけたい子にはショパンをやらせた。
しかし結局「間に合わない」「間に合わない」で頭を掻きむしりレッスンした。気の弱い子は何度も叱られベソかきかきだった。
ホームページでおなじみの努力家のAI君(中T)も初のショパンの大曲に挑戦した。
バラードやスケルツォは時間もなくピティナが終わった9月からでは無理だったので、プレリュード1.3.8を選曲しエチュード10-8に挑戦させた。
指だけは早く動くので何とかなると思ったが、この3カ月はあっという間だった。
夏休みがあるピティナと違い3ヶ月でショパンを自分のものにするには頭と手をフルに使う必要もあるし、指導力も必要で、ずいぶん勉強させられる羽目に陥った。
何としても「お子様ショパン」だけは避けたくて、高いものを要求したので、幼い彼も苦しんだ。
気づくと予選の平均律のフーガやショパンの新練習曲がやばい状態ではないか?もうモグラたたき状態だ。
予選も本選も、その日まで何が何だか分からない状態で駆け込み受験だった。AI君がこんなだから他の子も同様だった。
こんなに余裕のないコンクールは初めてだった。会場でも「生徒もだけどこのコンクールは先生が大変ですね」と回りから声が聞こえたので、私だけではないと内心ほっとした。
結果は中学生が予選を2人通過し、AI君は本選「銀賞」を戴いた。
私からすると「努力賞」だ。「銀」を貰うと欲が出て「金」がよかったと思うのが人情だが、彼の実力ではこれが精一杯だった。
まだ全てにゆとりがなく、もう1回弾いたら今度はでかいモグラが出ただろうと思うから、もう1回弾くのは遠慮したかったので十分だった。
驚いたのは高校生部門だった成熟したショパンを聞けた。テクニックも精神性も高くて、すべてが大人だった。
あんなショパンを弾くようになってくれたら、聞く側もハラハラしないでいられる。
ピアノは職人のようにコツコツと努力をし、本番ではその血の滲むような努力を感じさせず、回りを楽しませ、幸せにしてあげるエンターティナーでなくてはならない。
練習不足だったり、自分がピアノと格闘していてはそれは得られない。
芸術家とは因果な商売だ。それに関して講評でポーランド人のおばあちゃん先生が話されたことが印象に残った。
「日本人の皆さんはずいぶん丁寧なお辞儀をしますね」「これだけ日本の文化水準が国際的になってきたのだから、是非お辞儀も国際的にしてください。もっと軽く会釈して下さい。」、ふーむなるほどと思った。
本場のお辞儀とはどんなものかといえば、たぶん王侯貴族のサロンでするようにピアノに手をかけ軽く会釈するあの形だろうと思った。
昔の芸術家は王侯貴族に尊敬される立場だったのだ。身分は低くても、人を幸せにする芸術家はある意味貴族より高い立場にいた。
そんなに卑屈にお辞儀をしなくてもよいのだろう。日本人の謙遜という文化はヨーロッパにはないにしても「聞かせてやろう」という態度は真似したいが、しかしその自信を裏付ける、血の滲むような努力をしなければならないのだから皮肉だ。

2003年12月12日

12月末に各種コンクールが、目白押しでもう頭の中がクラクラしそうに目いっぱい忙しい毎日です。
今年は発表会が4月になったものの忙しさはまるで発表会と同様の様相を呈している。
そんな中で東京教室の6歳になる幼稚園児の金塚ゆうちゃんの描いてくれた感謝状が、とてもうれしかった。
本人の了承を得ましたので、掲載させていただきます。


2003年12月06日

お知らせです!


ニューヨーク在住で声楽家である私の姉のご主人、つまり義理の兄のバイオリニストのゾラン・ヤコヴチッチサントリ−ホールクリスマス・コンサートに出演します。
日時は、12月21日(日)開演は18:30からです。
後援はゾランの母国であるクロアチア大使館です。
ピアノは、昭和音楽大学講師の三谷温氏とチェロは菅野博文氏です。
チケット・ちらしのご用命は、三好ピアノ教室まで。




2003年12月04日

日記の更新が遅れ申し訳ありません。
師走に入り、文字通りの忙しさに追われています。
先日は地元浜松で浜松国際コンクールが開催されました。
チケットを入手しながら遂に忙しさで手放す羽目になりました。
東京始め、地方からたくさんの方が勉強に遠路駆けつけていたというのに地元にいながら行けなかったのが残念でなりませんでした。
ピティナっ子の須藤さん、関本さんの演奏もぜひ聞きたかったのに悔しかったです。
そんな中で、大阪で開かれたショパン・国際ピアノコンクールinアジアでA.T.さん(小4)が見事本選で銀賞に輝きました。
おめでとうございます。
課題のワルツに最後まで振り回されましたが本番に強い面がプラスに転じたのでしょう。
学校行事と重複した為大阪まで遠征していった苦労が報われ本当によかったです。
さて、嬉しいことといえば7年前大学受験までレッスンを続け、国立大学に入学し現在は浜松の高校の国語教師になったN.F.さん(23才)がまたピアノを再開したいと電話してくれました。
また嬉しい元生徒の復帰です!!




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