June/'12

’12/6月
2012年06月10日

週末は岡崎にステップ審査だった
先週は、山梨だったので、いよいよ夏のコンクール本番が始まる。
今年も健康で臨めて何よりである。
しかし、とにかく気付いたら家族が成長してしまうので、家族と夏の思い出作りもしておかないと、と最近は特に切実に思う。
それ程コンクール、受験、発表会と、日々追われ気づいたらあっと言う間に、家族が成長してしまっているではないか?
これからは、仕事もしながら、
家族と毎日を大切に過ごそうと心するようにしている。
さて、岡崎は
徳川家康の生地でもある。駅に降り立つと何故か?夜中だったのに清々しい!
タクシーの運転手曰く、
「新幹線を誘致しようとしたら、大反対を受けた」そうだ。
人や車が増えると、排気ガスやら騒音で町が汚れるからだそうだ。
岡崎は、なんでも?京都よりお寺が多いのだそうで、住民は、町の発展より、町の保全が、第一なのだそうでうらやましい土地柄である。
とにかく、
家康生誕地というプライドがあるのだそうだ。
さて今回のステップは、コンペが近いせいもあり、緊迫感があり、なかなか審査も緊張だった。
審査後は新幹線でまた東京に舞い戻り、いつものレッスンである。
最近は1人でご苦労様会が増えた。夜出掛けちょっと不良である。
自炊ブームが今去って
外食ブームなのだ。
そのうちまた飽きて自炊ブーム再来か?てなわけで忙しいながらストレスを溜めずに頑張っている。
元気に今年夏を乗り切るべく、神様に護っていただかなければ。
そうだ、神様と言えば前々回ホムペに書いたカードケース事件の後日談。
実は先日車のディーラーさんが、カードケース発見の顛末を詳しく教えてくれた。
実は私が試乗した新車は、私のカードケースを椅子のしたに落としたまま売られたわけだが、新しい持ち主の下、しばらくしたら、パワーシートに異常がおき?ディーラーに修理のために戻って来たそうだ。それを直すため、椅子を解体、外したら、なんと椅子の下からカードケースが現れたというわけだった。
という訳で
奇跡に近い確率の発見だったそうだ。
パワーシート異常は、滅多に起きないし、まして、新車な訳だし、カードケースのせいで異常がでたわけでなかったから尚更奇跡?
分からなければ廃車になるまで絶対に出てくる事もなかったらしい。
なにしろ、椅子を外すなんてないわけだし、それを聞いて正直、怖くなった。
おみくじもだが、奇跡や?偶然がよく、身の廻りで起きる事が度々だった。
何だかいつも護られている気がする。
こうなったら
今まで以上に真面目に生きていかなければ、と思ったのだった。




2012年06月02日

先日、久しぶりに音楽会に昼間出かけた。
仕事を休むわけには行かないので、なかなか行かれない音楽会、久しぶりなので、嬉しかった。
それも、「金子みすゞ、詩の世界、ピアノとチェロ、詩の朗読」である。
金子みすゞは、昨年、震災直後からテレビのコマーシャルで、馴染み深い例の『こだまでしょうか?』の作者。
若くして逝った明治の、女流童謡詩人である。
以前朗読とピアノで、『月光の夏』を聞きに行き、ほんとに感動したので楽しみにしていたが、今回は、心が、ほんとに素直に綺麗になれる時間を味わった。
昔から詩集が好きで、良く読んでいた。あまり説明しない世界が好きだ。音楽もだが、最近は休符ばかり、いやに気になる。
植木好きが、石が好きになると、そろそろお迎えが近いそうだが、そんな境地?
いつも子供達と接するせいか?自分の年をすっかり忘れていることがしばしばだが、こうして、詩人の無垢な穢れなき魂に触れると、最近見失っていた優しさ、素直さに心洗われる。
この日は、音楽会にしては珍しいマチネ、いわゆる昼間の音楽会だが、昔のヨーロッパのサロンでは、詩の朗読に、ピアノや室内楽、寸劇などを組み合わせ、優雅な時間を過ごしたそうだ。
いかにも貴族的?
そんな中で、詩や音楽、絵画、政治を含め芸術が花開いっていったのかもしれない。
今のように、ネットや、テレビや、情報が少ない時代は、サロンが情報交換の場?そうして、詩人は発掘され、金持ちのパトロンを得てファンを獲得していったのかもしれない。
シューベルトのシューベルティアーゼさながら?多分酒瓶片手に、ゲーテが詩を詠んだのもそうなら、Parisなら、ローランサンに、アポリネールが、詩を捧げたり?ああ、ベルエポック!そんな時代に生きてみたかったあ。
それにしても、詩に音楽が加わる事でこんなにも聴いている側のイメージが膨らむなんて、私は『大漁、』という詩を思い出すと、波の音を確かに聞いた気さえするから、不思議な感覚である。
観客も私を含め、妙齢のゆとり世代である。みな静かに聴いていた。
それにしてもこれ程透明な純粋な魂!世俗にまみれ生きていくのはさぞや苦しく辛かっただろう。
芸術家は、その感受性が故に数奇な運命を辿るのが、常だと言われるが、残念な一生だと思わずにはいられなかった。
詩はもちろんだが、加えてピアノとチェロが素晴らしかった。
バレエも、フィギュアスケートも、映画さえも、バックに音楽なくしては、感動も半分である。
いつもお稽古で聴いているシューマン、全く違って聞こえた。
全てを削ぎ落としたシューマンの、リピートにこそ、詩の世界がある気がする。
昔は、またリピートか?と、最近はリピートしながら、二回目はどんな風な歌詞を付けて弾くかな?とよく考える。
芸術も、最上のものは、シンプルに感じる。多分、そこに、神の意志?全てを受け入れ自然に生きて行きなさい、というメッセージがあるからかもしれない。
若くして命を絶った詩人は、過酷な運命を受け入れるには、余りにも若く、純粋すぎたのだろうか?
しかし、生きていくことは、まるでサーフィンが如くである。大波にのまれるのは怖いのに、波が無いのもつまらない。
人間はなんて贅沢でわがままなのだろう?そんな事を考えながら、途中に成城石井で藤枝には売っていないひよこ豆の缶詰めとパンをデパートの、文具売り場に忘れた。
しかし、大吉で、「失せ物出る!」のおみくじ期限、まだ有効なはず、と電話したらパンは処分されたが、缶詰めはあった。
これで、蛸とひよこ豆でイタリア風スープを作るのだ、詩人と音楽、のテーマはよかったが、なんだか結局食い気に落ち着いた。
未だ未だ長生きしそうである。



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