二月からずっとホムペ・アップを怠った。 原因は、フェイスブックと、英語学習に凝っていたのと、iPhoneに変えたら、ミスタッチが増え、文章を書くのが億劫だったからだ。 Paris日記もあのままだし、なんだか誰も期待してくれていないと思いながら二ヶ月も空けては、我ながら自己嫌悪。 さて、学生に影響され加入したフェイスブックは、海外にいる、日本語を話せない親戚や姪や甥っ子、そして外国人の友人、留学中の生徒達とリアルタイムでコンタクトを取るためだ。 世界が余りに身近に感じる。 最近は日本にいる先生や生徒から友達申請を頂き、段々友達の輪が広がる一方で嬉しい悲鳴。 英語学習は、もっぱら映画を字幕なしで見たい為だ。 読めば分かるのに、聞いては分からない英語。 話すより聞き取れなければ、身振り手振りさえも出来ない。 とにかく、英語脳を作り聞き取れる耳を作り、姪っ子や甥っ子や、外国人のレッスンを通訳なしで聞きたい。 誰とも自由に意思疎通したい、とまあ日々努力しているが?効果は?さっぱりである。 でも元々、外国人も外国語も大好き、何故この身が日本人に生まれたか?小さい頃から呪わしくに思っていたのも今も変わらぬ訳で楽しく勉強している。 さて本業は、3月末藤枝、4月8日に東京と発表会を終えた。 怒涛の毎日を過ごしたが、藤枝には小さいながらホールとフルコンを備えたお陰で、普段からリハが出来るので効率はよい。 しかし東京はそういうわけにいかず、近所のホールにせっせと通いつめた。 藤枝が終わり翌週は、三往復新幹線だった。 それが終わったらまた、藤枝レッスンが再開だから休みはない。 しかし、ストレスを貯めない方法を長年の忙しさで知っているので、忙しい最中結構優雅に暮らしている。 最近は一人ワインにはまり、体重も増える一方である。 どうしたら減るか?運動が一番なんだろうが、これが一番難しい。目下の悩みである。 さて、一年がかりのParis日記は、音楽会。 パリオペラ座に行かずとも、嫌、わざわざ高いお金出さなくとも、帰りのタクシーも気にせずとも手軽に楽しめと知った。 それもマドレーヌ寺院でだ、ヨーロッパの文化、音楽が生活に密着、浸透している事に感動、感激した。 おみくじどうり、「思い切って出よ」が脳裏を横切った。 音楽に半生捧げてきたが、音楽に身を委ね幸せ一杯でホテルに戻った。 さあ、明日はいよいよ、お土産探し、買い物に一日掛けねば、持参のiPadでパリ郊外のアウトレットを検索して、思い切って初PERに乗り、パリから1時間ほど掛け、出掛けることにした。 家族の買い物もだが、掘り出し物があったら嬉しいな! しかし、PERちょっとドキドキだ。 しかしパリに来て何もかも上手くいき、調子着いていたのもあったし、翌日は、帰国という安堵感と、残念な気持ちからか?無謀にもPERに挑戦したのだ。 ネットでアウトレットに行った日本人親子のブログを読み、フランス語が少しは出来るんだから、何とかなるはず、と朝早くPERの連絡駅に向かい、矢印を頼りに地下道をグルグル廻ったら、何と目の前に電車が。 いや?待てよ?私はチケット買ってない。 地下鉄の切符で来てるぞ?とにわかに、不安に駆られる。 しかし、目の前にPERが来るではないか?えーいっ!乗っちゃえ!何とかなるさ!と飛び乗ったのが、猿の浅知恵だった。 ブログでは、「車窓からはフランスの田舎が」とあるが、窓が薄汚れてなにも見えない。汗。 ヴァルド、ヨーロッパ駅は、Parisのディズニーランドの手前駅、路線は間違い無かった。 45分位乗ったか?駅に降りると、田舎の綺麗な駅。 改札口に人気なし、見ると、切符を入れると自動的に開く無人システム。 チケット無しでどうしよう、ウロウロするしかない。 今さらParisに帰れない、困っていたら、前のフランス人が改札に、何か訴えている。 すると、改札が自動的に開いたではないか? しかし私は取り残されウロウロ。 その時脳裏に、響いた言葉、「ジェ ペルデュ アンビエ!」何故か?この熟語が浮かんだのだ。 訳は、「私は、切符を紛失しました。」だ、若い時覚えた言葉は永遠ダ〜! 改札口の、インターフォンに向かい、その言葉を唱えたら、何の事はなく、「証拠見せろ!」?も聞かれず、スーッと自動ドアが開いて何と無事に、ヨーロッパ駅に立つ事が出来たのだ。 さて、無事に、チケット無しでヨーロッパ駅に足を踏み入れ、勝者な気分だった。 目の前に広がるアーケード、行けども行けども商店街が広がる。 アウトレット、Parisのは凄い。 しかし、待てよ、よく見るとヨーロッパブランドはなく、GAPやらアメリカブランドばかり。 いわゆる、フェラガモだ、エルメスだ、が無いわけ。 しかし歩き疲れるほどのアウトレットに充分満足し、家族のお土産を買いそろそろ夕方?と、大荷物抱え、Parisに帰る電車に乗った。 しかし、何だか景色が行きと違うように見え、ついに心配になり、前の座席の、アラブ人のマダムに、「Parisへ行きますよね?」と聞いてしまう。 「もちろん」と答えてくれ、ホッとする。 Parisは英語も通用するが、少し郊外になると、フランス語Only。 人生勇気だけじゃあ、サバイバル出来ない。 若い頃の知識教養は財産である。 ヨーロッパブランドはなかったが、家族にお土産を買えて、すっかり満足して、ネットでブログを再読して凍りついた。 そこには”Paris親子二人旅”Parisアウトレット、ヨーロッパ駅、眼前に広がるアーケード、行けども行けどもアーケード。 しかしこれ本物のアウトレットと思ったら大間違い。アウトレットはその先に有るのだ。 と、「がーん!」これぞまさしく、徒然草の仁和寺の下りの様。 その時の私の落胆ぶりは、ご想像にお任せである。 私のParisは、音楽には恵まれ、完全に買い物には見離されていたのだった。泣 さて、翌日は帰国である。夕方には、Parisを離れる。 しかし、昼過ぎまで時間がある。 やはり、音楽家の端くれとしては、ショパンに挨拶無しで帰れない。 それに本場のガレットにも挨拶しなくては。 というわけで、朝からペールラシェーズに向かう。 2回目と言ってもお墓の広さにやっぱり迷い子。 やっとの事でショパンに挨拶し、モンパルナスまで行き、ブルターニュ名物ガレットをシードルと頂き、大満足して、Parisを後にした。 一人旅、アウトレットに見離されたが、音楽の神様MUSEには導かれ、最高の旅だった。 一人旅は体調が一番不安だか、毎日ワイン、とチーズと、生ハム、オリーブを食べいっぱい歩き、ほんとに幸せな旅だった。 今度はいつ行けるかな?