October/'12

’12/10月

2012年10月31日

シャガール美術館。
今まであまり知られていないシャガールの絵、ユダヤ人が故のホロコーストを主題の陰に描かれた象徴的な宗教画の数々、100号以上の物が殆どで、巨大なキャンバスに、ユダヤ人としての民族への誇り、苦悩が、滲みでていて、今までのような?幸せな優しい色調、のイメージとは全く違って、
ピカソのゲルニカ、南仏版だった。
かなりの衝撃だった。日本語の解説を聞きながら見たのだが、音楽もだが、何処にも意味の無い無駄な個所がない。
後で、見たゴッホもだが、芸術家、世紀に残る絵画を遺した人の共通である、
自分の主張、人生のテーマが、しっかりと描かれているから、感動するのだと、改めて感じた。
写真は、壁に描かれたシャガールである。
シャガール美術館に行かれたら、是非絵の裏に隠されたテーマを解説聞きながら見る事をお勧めである。
感動は、二倍三倍、民族愛に涙である。
シャガール美術館に感動し、ニースに来てよかったと思った。
帰りは元来た道をバスで戻ったら、マダム2人組と出会った最初のバス停に来た。
なので、自分が何処にいるか?把握出来たのだった。
ホテルのレセプションは反対を教えたというわけで、これは人災にカウントしよう。
さて、ニースは一日しかない、ニースらしい、オリーブ油を買いたい。
シャガールの後はマティス美術館も気になるが、詰め込みは身体によくない・
感動は少なめがいい、というわけで
、ニースの町散策である。


2012年10月27日

ニースのホテルは、エズから一転、プチホテル
身分相応、しかしこの小さなビジネスサイズ、意外に部屋を歩き回らなくていいし、一人だから快適!落ちつく!
さあ、ニースは、
シャガール美術館に行くべく、フロントに行き方を尋ねたら、バス停からバスに乗るように教えてくれた。
迷いようのない場所だったから安心して身軽にまた出掛けた。
なのにだ、バスに乗ろうとしたが、エズの失敗繰り返したくない、確認の為、
「シャガール美術館行く?」と運転手に聞いたら、何と、「ノン!」と言うではないか?
え〜!番線は間違いないのに、モナコ諦め、シャガール諦めたら、なんの南仏旅行?
もう、意地でもシャガール行くぞ!
ぼったくりタクシーも使わず、しかも一ユーロで、と近くでおしゃべりしていたマダム2人連れに、聞く、これで、パルドン!何発目?
嫌になるくらい聞いてきた気がする。
マダム達は、
「私達わからないけど、たぶん此処ではなく、全くべつの通りよ、ごめんなさい、急いでいるから、詳しく教えてあげられないの」とご丁重に謝り、いそいそとバスで行ってしまう。
あのホテルのレセプション、ウソ教えたというより、
反対側だったのだ
が、これが、逆にあとで、怪我の功名?だったのか、仕方なく、あっちらへんよ?と指刺された方角でバス停を探す。
これが、友人と一緒だったらあっちかな?こっちかな?と知恵を出し合うのだろうが、一人は身軽だから頼りになるのは自分だけ。
頑張るしかない、それに、同じ番線で、乗降がちがうなんて不親切!
ぐるぐる歩いていたら、目の前にバスが、これかも?と走っていき?
「シャガール美術館行く?」と聞いたら、「ウイ!」やったあ!
がしかし、何処でおりるかわからない、窓の景色とiPadを見ながら予想を立てる。
日本人いないかな?そういえばまだ幸か不幸か?日本人に会っていない。
しかし、グループや、観光客風なカップルの動向を見ていたら、みんなワイワイ降りるので、多分此処に違いない、と便乗して降りたら当たった。
遂にワンコインで、シャガール美術館到着!


2012年10月22日

翌朝は、5時まえに目が覚めた。
当たり前だ、9時には落ちたから、寝過ぎである。
一泊なのに、
ジャクジー入らねばと、階下におりる。
アメニティは持ち帰ると重いのでシャワージェルをいれ過ぎたら、泡だらけで溺れそうに。
このお風呂だったら、家のチビたち喜ぶだろうな?と残念。
それから、朝の散歩、フランスは9時で、やっと7時くらいの明るさだから、7時はさしずめ5時前で、まだ、夜明け前で暗いし、人もいない。
中世の町、観光客が、1人も居ない要塞村を、昔の気配をかんじながら、iPodに入れた、
アンリ ビュートンのヴィオラとピアノのソナタ聴きながら、1人エズを歩いた。
気分は中世である。最高の贅沢!帰国して同じ曲を聞くと同じ所に戻れる。最高の自分土産である。
同じことをニースでやったら、すりに会いそうだから、こんな場所でしか無理だ。
おみくじ通り、旅行、利益あり!を信じよかったぁ!
朝ご飯は、また最高。
エシレのブーレ美味しい!
パンはどうしてこんなに美味しい?生ハム、搾りたてのジュース、
フランス最高!
さて今日は、ニースに戻り一泊するつもり、
シャガール美術館に行きたい。ルノワールの村に行きたい。
しかし、
モナコ公国一目見たかった。エズから、バスで15分、今度は絶対バスで行くぞ!
荷物をホテルに預かって貰い、バスの時刻表をレセプションから貰い、モナコ公国に行こうと身軽に出かけたのである!
バス停は二つ、間違いなかった。アメリカ人が、モナコ、モナコ、と騒いでいたから。
しかし、フランスのバスが悪いのか?私の方向音痴、磨きがかかったか?まだ呪いはかかったままだった。
ターミナルで降りたら、コートダジュールらしい、海岸線、テクテク歩いていくが、行けども、行けども、モナコらしい建物がなく、
落ち着いた海岸線が続く
そのうちトイレに行きたくなり、フランスの公衆トイレ、20セント?入れてはいるオシャレな郵便ポストみたいなトイレに初挑戦!
出られなかったら泣くしかない!無事に挑戦。モナコ目指し歩く、歩く。
疲れ果て、散歩中のおじさんに、「モナコ何処?」と聞くと、バス停指差され、「バスに乗れ!」と言う。
しかし、「私はバスから来たんだよ」、と言いたいが。しかしおじさんが間違いか?私が、間違いか?Ipadはやはり、リヨン事件と同じく、違うところで、点滅。
一時間歩き、疲れ果て駅前のインフォメーションに飛び込み、
「モナコへ行きたい」と言うと地図をくれ、「このバス停からバスに乗れ!」と教えてもらう。
結局降りたバス停に戻ると、エズから一緒に乗って来たおばあちゃんが、用事済まして戻るらしく、座っていた。
「あんた、どこ行くの?エズなら、この時間だよ。」と教えてくれた。
モナコは諦め、エズに戻る積もりだったから、おばあちゃんと、またバスに乗る!
しかしバスに乗っても、フランスのバス無言。降りたい人が気配察知して、ピンポン押すのだ。
そうすると、最寄りのバス停に止まるシステム!観光客には不親切なシステム。油断したらまた何処へ連れてかれるやら。
おばあちゃんに、
「すみませんが、私はエズでおりたいから、教えてね?。」と頼んだら、まかしときな!という合図。
おかげで、無事にエズに戻ったのである。
冷静になり考えたら、モナコ公国は、反対。私は、ニース向きの、
エズの海岸、ビールシュラメールという、それはそれで有名な、避暑地をひたすら歩き回っていたわけだ。
こうなると、半日馬鹿なせいで損したのである。
もう自分が信じられなかった、エズから、タクシーを呼んで貰い、ニースまで戻った。
70ユーロ、来た時の半分!方向音痴は、めちゃくちゃお金と時間の無駄使いである。悲しい!
でも無事にニースの可愛いホテルに着いた。

しかし人災はまだ続くのだ。


2012年10月18日

部屋で、しばらく休憩したら散歩!
要塞鷲ノ巣村散策!
一人は、気楽だがやはり喜び分かち合う連れがいないのは残念!
結局、村の中のブティックで、お土産買ってしまう。
とにかく重い荷物は命取り!軽い物をチョイスする!
ホテルのアメニティが、ブルガリでも重いから持ち帰らない徹底ぶり!
散策の後は、一番乗りで、
ミシュラン星付きレストランにドレスアップしてハイヒール履き出掛ける。
一人だから優雅にしないと、寂しいからしっかり
変身グッズは持って来た。
お食事はさることながら、絶景!最高のサービス!ちょっとフランス語を使えるのが良いみたいだ!
こういう時は、自称
前世フランス貴族の血が騒ぐ!現世の庶民を忘れるのである。
食事?確かに美味しいが、量が、多いと最後は義務化してしまう。
美味しい物を少しづつのほうが、感激大きい!
デザートのワゴンから、
プチケーキひとつだけにしたら驚かれる。デザート別腹?私はデザートは余り要らないおじさんタイプなのだ。
美味しいワイン、絶景、レストランを満喫して、早々にベッドに倒れこんだら、知らないまま寝てしまっていた。
どんな事があろうと、化粧を落とし歯磨きはして寝ないと落ち着かないのに、何十年ぶりに落ちた!
14世紀からのシャトーならお化けも住んでいるだろうに、多分口開けて疲れ切って寝込んでいる、ジャポネのマダムを見て、中世のお化けも呆れ、諦めたにちがいなかった。
まあ、翌日の事件のため寝ておいて正解だったのだが。


2012年10月14日

タクシーの運ちゃん威勢のいい入れ墨入のお兄ちゃんだが、海外ではめずらすくないし、外国人恐怖症どころか?大好きだから抵抗なく乗っていく。
ニースからモナコまで15分!開放的な気分でご機嫌!
ここまで来たらもう旅の目的達成!なので、運ちゃんに、
「お天気最高!パリは雨で寒かったよ!」と話しかけたら、「南仏はずっと晴れだよ、ずっと快晴さ!」と。
それからいろんな話しをした。
「モナコ行くのか?カジノ面白いよ!」と言うので、「ギャンブルは好きじゃないし、お金ないから」と答えた。
世間話をしながら、海を見る。
「あれが、舟、きれいでしょう。」と、海を横手に、が、しかし、メーターをみていると、ドンドンあがっているではないか?
しかも高速道路を走り、15分のエズに30分近く乗って、着いたら、なんと
150ユーロ!なぜか?10ユーロ返してくれた。
どういうこと?以前学生と、韓国で、夜タクシーに乗り、メーターの速度に驚き、高速乗っていたのに途中で「下ろしてくれ!」と叫んだが、今回は、鳩が豆鉄砲状態で、気づいたら、140ユーロ。
10ユーロは、ゴメンね、ぼったくって、てな感じ?
全くもう、日本に着いて、
「ニースぼったくりタクシー」で、検索したら、ニースはタクシーぼったくりが、問題になっているんだとか?常識の悪事らしい。
世界中が、ギャンブルやりにモナコで集う地である。金持ちからは頂く!という考え?エズのシャトーホテルに泊まる
金持ち日本人と勘違いされ、多分大回りして、高速道路まで使ったか?
いやはや参った参った!
若くて賢かったら一ユーロ!高い人生勉強!でも無事に鷲ノ巣村エズのシャトーホテルに着いたのだったぁ。
エズは14世紀からの、要塞村。中世の街が、崖っぷちに立っている。
その家々の一画をホテルに改造してある。
まずホテルのレセプションに行き、チエックインすると、村の中の一画の戸口に立つ。
開けると別世界、五つ星ホテルが、眼前に拡がるのだ。
私の部屋は
一階にジャクジー付きのお風呂。二階は2部屋続きの部屋が広がる。
こんな贅沢な空間一人で独占はもったいないが、この時期に一緒に来てくれる連れはいなかったから仕方ない。
10日前に突然誘われても、誰も来ない!
まして、珍道中の連続である。他人に迷惑を掛けず良かった。
小さなバルコンに立つと
コートダジュールの海が眼前に広がる。
冷蔵庫のビールをあけ、そこに座り幸せ満喫!
ここまで来る苦労を自らねぎらった、生きててよかった。
「いままでよく頑張って来たな〜遂に大好きな南仏に辿りついたのだぁ。」
しかもエズのシャトー!感無量だった。


2012年10月9日

ノボテルのカウンターで、ずぶ濡れになって、夜中、「ボンソワール、エスクブザベユヌシャンブル?」「部屋ありますか?」
ありました。しかしお高い!駅前だし、175ユーロ!命の値段、安いもんである。
しかし予約してあったのが、「72ユーロ」もったいない、助かれば、現金なもので、
「すみませんが、朝食付き?」と聞いた。
「ノン」だって、がっかり。しかし、ノボテル流石である、お湯は勢いよく、出るし綺麗、快適!
水も、冷蔵庫もあるから、便利で、パリの、古いホテルと違う。
それに、サバイバル出来た喜びに、1人打ち震えたのであったぁ。
早く寝よう、しかし、寝られない、朝から一睡もせず、映画五本見て、このサバイバルで、一番嫌だった夜中知らない町をホテル捜しながら、短時間とはいえ雨の中を彷徨ったのだ。
多分徹夜状態、寝ないといけないと、思いつつ興奮して眠れない。
これがパリだったらなあ。たしか学生が、「パリから、ニースまで五時間かかります。」と言ったのがヒントだったのだ。
あの時、あれっ?と不思議に思ったのに、放置して、準備不足?ああ、馬鹿だったと、後悔しきり。
携帯からは、海外パケット通信代が、高額になる可能性があります、自動から手動に変えてくださいと、しきりに指示してくるが、やり方も分からない。
いいや、明日にしよう、うとうとしたか?あまり寝てはいないが、朝だった。
慌てて、ソフトバンクに電話。手動に切り替える、以前知らないで、
高額請求に驚いた前科者である。孫さんも、二回は、許してくれないだろう。
朝になれば、昨日の騒ぎは、何とやら?しっかりパックして寝て、いそいそと朝ご飯に降りて行く!
やっぱり、パンが美味しい!フランスのパンはどこも、焼きたて!超しあわせ!

さあ、リヨンパルデューから、ニースに出発!
昨晩ずぶ濡れマダムは、しっかり、チャージ済み、駅に向かった!
海外にいても、私は不思議と、人に何の違和感がない。喋れなくても外国人の中にいて、何のストレスもないのは、家族が、外国人のせいだろうか?
海外で日本人を見た方が違和感がある。だから何処にいても平気なのだが、道に迷うのは嫌だ。
リヨン駅の電光掲示板で、自分の電車の発着番線、確認したら、そうだ、お昼ご飯買わなきゃ!
大好きなPaulのパンが、駅にある、そこで生ハム、ジャンボンクリュと水を買い込み、ニースに、向かう。
もう超るんるんだ、泣いたカラスが何とやら!しかしまだ眠くない。多分まだ興奮状態なのだろう!
ニースまで、2時間半?パリからならちょうど5時間?あっと言う間にニースに降り立つ。
しかしまた、階段!今度はみんなもブーブーいいながら荷物運んでいるので、それに紛れながら荷物を運ぶ。
さあ、ニースから
お目当てのエズに行こう!
バス停は、少し遠いと聞いていたが、見つけたらラッキーな1ユーロ!
しかし、こんな所でまた道に迷うのは勘弁だ。1人旅で大事なのは体力である。
体力温存で、早くエズの五つ星ホテルでくつろごう!見ると、アメリカ人と、タクシーの運ちゃん、もめている。
乗車拒否?振り向き様に私に向かって、「マダムは何処行きたい?」と聞くのでエズのシェーブルドール、と答えたらヨッシャ!あんた乗せた!という調子で、迷う間もなくタクシーに乗れたのだった。
がこのタクシーの運ちゃん、とんだ食わせ者だったのだ。



2012年10月6日

今年も、フランスに行ってきた。
今回は、南仏!夫が身を削り貯めたマイルを頂くのだ。
南仏は、昔から憧れのプロバンス!
その暖かいインテリアや暮らしぶりに憧れ、プロバンスの本や映画を読み漁り、家や家具をプロバンス風に改築したり家具を特注までした。
それをすっかり忘れ引っ越ししてしまっていた。
学生達が、南仏ニースやプロバンスに夏期講習!糸杉や、セミの鳴き声の聞こえてきそうな写真を見せられ、プロバンス熱にうかされた昔を思い出し、矢もたてもたまらず、南仏に旅出つ計画を密かに企んだ。
が、しかし現実には日が近づくと、日々に追われ諦めかけた。
夏のコンクールは終わっても、院試目前の生徒、受験生、秋のコンクールと、空き時間は、限定されている。
その僅かな間隙をぬうしかない、諦めたら、春までチャンスはない。
こうして、どんどん年をとり、体力的にも、1人旅も出来なくなってしまう、負けるもんかあ!と気合いを入れ、出発10日前、ほぼ徹夜で、一か八か?ホテル予約、TGV予約も含め、1人旅実行計画に着手!
まずは、南仏はモナコは、エズの鷲ノ巣村、シャトーホテルに泊まるのだ!
五つ星のホテルで、絶景を目前にミシュラン星付きのフランス料理を頂くのだ!
一生一度の、贅沢実行!ワクワク!このホテルが取れたら行こう!行くべきなのだ、と願かけして、パソコンを開いた。
何度も無謀な、無計画に気合いだけではどうしようもなく、諦めかけていたが、エズにいけたら頑張って行こう!
しかしなんと、残席一部屋あったのだ。しかも、水曜日のみ、慌てて予約したはいいが、キャンセルは無効!行かねば高額宿泊代を捨てねばならない。
そうは、いかない、ならばと、それから、脇を固めることにする。
まずはANAは便が決まっているから、パリ到着は、五時半、それから移動すると、南仏は夜中!
体力的にも、精神的にも、夜に荷物抱え、知らない町を歩くのは嫌である。
とにかくパリはリヨンに一泊して、翌日パリからTGVで、ニースに行き、そこから、エズに行こう。
そのあとで、ニースやモナコを観光して、大好きなプロバンスに行くため、拠点としてアヴィニョンに再びTGVで移動。
三泊してゴッホや、ルノワール、セザンヌ、かのペトラルカの泉を見よう。
もう、ワクワクではないか?
ホテルやTGVは何故か?面白いくらい、簡単にみつかり、予約出来た。
ほんとは、フランスの民宿、シャンブルドットに泊まり、現地の方々と、触れ合いたかったが、流石に10日前は無理だった。
九月半ばとはいえ、ベストシーズン近辺なのだからだそうだ。
こちらも南仏は、夏が、魅力的!あまり寒くなってしまってはつまらないから九月半ばが夏の名残りもありながら、夏の喧騒は避けられるという計画なのだから、計画は、万端!
予約した翌日に振り込みしたら、TGVのチケットが、手元に着いた!
もう心は南仏だった。
旅行の準備は仕事が、休めないどころか?試験前の生徒が泊まっていたので、ほとんど出来ていない。
ただ、スーツケースを開けておき、気付いたモノを放り込んでおく。
今回は、移動が多いから、荷物は少なくして、身軽にしなくてはいけない。
持ち帰るものは、思い出だけである。そして、冒険である。
楽しみでワクワク、そしてドキドキ!朝早く試験前の生徒に、「行って来まぁす!」と元気よく、東京から、成田に向かった。
搭乗手続きも、慣れているから、何もかもスムーズ!大好きな飛行機に乗る。
さあ、ビデオTime!ワインを飲みながら、映画を五本見た。
レッドクリフ!諸葛孔明天才!中国の三国志面白すぎ!一と、二を見てしまい、すっかり眠れない。
そして、ダークシャドー、とどめはプロバンスを思い出すためにマルセルの夏、を見てしまい、気づくと、パリだった。
11時に出て、パリ時間夕方5時半。日本時間は、夜中12時過ぎ、眠い時間だ。
今夜は、移動せずパリで一泊。パリは慣れているせいか?ほっとする。
ロワシーバスで、チケットを買いリヨン行きに乗る。TGVそばにホテルを予約したからだ。
無事にバスに乗り現在地を確認!とアイパッドを開いて???何故か現在地と目的地のホテルが見つからない。
どうして? やってしまったことに、気づいたのは暫く経ってから。あってはいけない間違いをやってしまったのだ。
私が向かっているのは、パリリヨン駅!予約したのは、リヨン市のホテル、パリのガールリヨン駅と、リヨン市ガールパールデュー駅は、名前は似ても、場所は似ても似つかない。
東京、名古屋間!ひえっ!どうしよう!どうしたらいいだろう!もうパニックだった。
バスで一時間乗っていながら、頭はこれからどうするべきか?グルグル回っていた。
とにかく12時間寝ずで、これからあと、3時間近く移動は無理!しかしホテルはないし、明日のTGVが無駄になる。
パニックの結論。まずリヨン駅に行き、電車があるか?調べ、あったら行くしかない。
無理なら、ホテルを探し、パリに泊まり、朝一で、ニースに行くしかない。そう決めて一時間バスに揺られた末リヨン駅に、覚悟して降り立つ。
夕方のリヨン駅、7時を過ぎているのに、まだ明るい。パリは朝8時まで薄暗いから、逆に夜はなかなか暗くならない。暗くなると、心細いからパニックな身には嫌である。
しかし、重い荷物抱え、目の前石段!泣きそう!それを、天の助けか?ヒョイと持ち上げてくれるムッシューが、パリは女性にメチャ優しい!
ちょっと元気が、出たものの、チケット買わねば、てか、今日何時に着くチケットがあるか?だ。
ビエ売り場を見つけたら、夜だし余り人がいない、ラッキーだった。
窓口に向かい、「ボンジュール、エスクブザベ、、、」この質問系帰るまでに何回使っただろうか?窓口のお兄さん、「リヨンパルデューならあと30分後だよ。四番線だから、急いでいきな!」てなフランス語、もうパニックな身には日本語に聞こえていた。
良かったあ、チケット握りしめ、ガラガラ荷物押しながら、四番線!間違って変なとこまで、行ったらまずい、駅員さんに、「パルドン、エスク?」、また質問して、間違いなくリヨンパルデューに行くのを確かめ乗ったはいいが、電車が、二階建てで、階段だらけ。
まただあ、と泣きそうになったら、また、ムッシューが、手伝ってくれた。
地獄と、天国を行ったり来たり、それにしても席が見つからずウロウロしまくる。
何しろ番号が何処にも書いてない。また、聞きまくる、やっとの事で、俺についてきな!と駅員に連れられ、自分の席にやっと座る。
ああ、これで、リヨンから本当のリヨンにいける。
既に8時だった、初TGVの感動より、とにかく次なる段階に進めた事にほっとする。
日本から寝てない、体調崩してはいけないと、トランクから、ドリンク剤を出し飲む。あと、2時間半乗っていないといけないのだ。
しかし私は外国人にあまり抵抗がないのが、地獄に仏!しかし安心するのはまだ早かった。
リヨンパルデュー駅近に予約したホテル、予約表みていたら、ホテルは、9時までで受付は無人になります。
遅れる場合は、要連絡とあるではないか?この電車が着くのは10時半!全然間に合わないではないか?
電話しなきゃ!それから、電話すべく悪戦苦闘!
言葉?もうそんな段階ではない、英語でもフランス語でも、駆使すれば、「遅れます、開けといてくれ!」ぐらい言えるはず!がしかし電話が通じない。
プラス81いれたり、はずしたり、いろんなパターンやりまくるが、無理だった。
なんでえ?また、泣きそう!こうなりゃメールだ!つたないフランス語で、「遅れますが、行きます。」とメール出した。
やるべき事は全部やった、あとは運を天に任そう!2時間半はそんなこんなで、あっと言う間だった。
無事に駅に降り立ったら、また階段!泣きそう!そこへまたムッシューが、ヒョイと、助けてくれた。
「メルシーボクー」駅は、南口北口みたく、ふたつ、さあ、どっち?私は無類の方向音痴、地方の審査でも駅前で迷子なんて、普通!
もう、タクシーで行くしかないと、タクシー乗り場に行き、行き先つげたら、「駅の裏だよ。」乗せるまでもない!と乗車拒否される。
そんなあ、雨まで降っていた。
駅のインフォメーションに戻り、ホテルの正確な位置を聞く。
「真っ直ぐ行き、左手だよ。」と教えてもらう。
アイパッドの点滅と、お姉さんの指示通り行くが、真っ暗で、そぼ降る雨の中、ホテルがみつからない。
既に23時になりそう。ずぶ濡れになり、既に一人旅を後悔した。
しかし、くよくよしている場合じゃない、とにかくなんとかしなくちゃ。
もう捜すのは辞めよう、近くのホテルに飛び込むしかない。覚悟して見上げると、ノボテルの看板が。
これしかない!ノボテル目掛けて、一目散だった。


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